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竹芝寺裏伝説その2

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平安時代東海道を京に上る
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竹芝の里


 「さて、ここまでは若者たちの無分別な物語といえましょうが、竹芝の郷に着いた後から、大変な騒乱が持ち上がったのです。」
ここまで話し終えると、一息入れ僧は水でも飲んでいるような気配がしたが、父の声で
「御住持、水など飲まず酒を召し上がられよ」
「いやいや僧ともなれば、そうも行きません」という声が聞こえたが、
「いや、それでは少しだけ…」
私も、姉さんも寝床の中で、じっと体を硬くして僧の声を聞き逃すまいとしていた。

 「『延喜の治』(902~907頃)以前は、東国に限らずどこでも同じようなことだったかもしれません。この武蔵の国でも都から派遣されてくる国司と在地の郡司や郷長などの争いが絶えませんでした。それというのも、昔の税制では不作や疫病で実入りが少なく税が納められない状況でも税だけはお構いなくかかってきたからです。民のほうでは已む無く税を逃れるようと、課税されるべき男を女と偽り、成人を子供と偽って戸籍を申告したのです。もちろん郡司なども承知の上です。病弱だったり、田畑が荒れていてはお上が勝手に決めた収穫など、土台無理な話です。払えない状態にあるのに真実を記載すれば彼らは逃亡するしかありません。税は元々戸籍に記載された個人が直接払うのが建前でしたが、いくら、その時代でも、それではあまりに収税効率が悪いので、実際には土地の有力者、たとえば郡司などが税の徴収を請負い、まとめて役所に納税する『負名』という制度が行われていました。郡司は先ほどのごまかしの多い戸籍を元に徴税するのですから、当然、税収は国司の見積額より不足します。国司にしても、定められた税を中央に送らねばなりませんから、取立てを厳しくするのですが、郡司らは武装した郎等も置いていますから、簡単には行きません。勢い、引きつれてきた荒くれ男たちに直接、村を回らせ隠しているものを、片っ端から奪い取って行くのです。奪われた物には、百姓が自分で食べるものや来年播く種籾まで含まれています。このようにして、悪循環が始まり遂には百姓は逃げ出し、田畑はますます荒廃することになったのです。国司も使命感でやっている場合はまだしも、公然と不正を働き私服を肥やすために略奪にやってくる人物もおりました。郡司等はこのような国司と民の間に挟まり、何とか流血の事態だけは避けようと、もがいていたというのが当時の状況でしょう。

 こんなところに竹芝の若者が宮様を伴って三月もかかって都から戻ってきたのです。もちろん、道中で追っ手らしきものが東国に下向するのを目にしていましたから、当然、竹芝郷の家にも手が回っていることは予測していました。若者は武蔵に入れば勝手知った庭のようなものです。宮様を連れ、人の通らない小道をたどり、家の近くまでやって来ると宮様を畑の番小屋に隠し、暗くなるのを待って、家に忍び入ったのです。案の定、庭には数人の兵士がたむろしていました。家に入り、驚く母親を起こし、これまでの事情を語り、追っ手の様子を聞いたのです。
「ふた月前に、突然、武蔵の国衙の役人が都から来た役人をつれてきて、お前が、帝の姫宮様をさらって逃げたというんだよ。戻っていたら即刻、ここに出せ、とね。何のことか分からぬまま、郡衙のお前のお父さんのところに使いを出し、来てもらったんだが、やはり、同じ押し問答さ。お父さんは、
『これは、国司の奴が俺に言いがかりをつけて、郡司の俺の一族を武蔵から消そうと企んでいるのかもしれんな。これまで、陰に日向にあいつらの横暴の邪魔をしてきたからな。俺も覚悟を決めるときが来たかな。しかし、ただではやられんぞ。』
とね。役人達は、表に居たろう、あの兵士たちを残していってずっと見張っているんだよ。」
「まさか宮様をさらうつもりはなかったんだ。内裏で女童が一人くらい消えることはよくあったんだ。」
「それでお前、宮様はどこにいらっしゃるんだ。まさかお死なせしちゃいないだろうね。」
「隠れ谷の畑の番小屋で待ってる。元気さ。とても宮様とは思えないくらいしっかりしてる。」
「何だい、お前その口の利き方は。宮様をまるで村の娘かなんかのように。」
まだ中年というには若い母親は、一安堵はしたものの、ここで息子と宮様の関係を敏感に嗅ぎ取ったのです。
「これは大変なことだよ。お父さんはどうも、一戦するつもりで武蔵の他の郡司達とひそかに兵を集めているようだ。そうでなくても国衙との間は険悪だったからね。なんということだ。どうしたもんだろうね」
「俺もどうしていいか分からない。しかし、とりあえず食い物が欲しい。このところ、まともなものを食っていないんだ。それに着る物も欲しい。ずっと、こんなぺらぺらのボロを着て逃げてきたんだ。逃げたときは秋だったんで野宿でも何とか過ごせたが、冬に入ってから夜がとてもつらい。抱き合っても寒くて夜通し眠れないんだ。」
母親は驚き、あきれながらも、闇の中で食べ物と着る物を用意し、声を押し殺し
「夜が明けたら、もっとちゃんとしたものを持っていくから、連中に見つからないよう注意して出るんだよ。」
  母親は直ちに、郡司に急報しましたが、郡司もさすがに、これには頭を抱えてしまいました。
「露見すれば、俺の一族の運命は終わりだ。取り敢えず、息子と宮を隠し通し、国司の暴政を訴え出て、時間を稼ぎ、うやむやになるのを待とう。帝に姫君はたくさんおられるのだ。」
こう決意すると、開き直った人間というのは強いものです。集めた兵力を引連れ武蔵国衙(東京都府中市)に至り、郡司連名で国司の悪政を糾弾し、是正を要求したのです。当然、国司は受け入れません。郡司側からは直ちに、都に向け国司悪政糾弾の訴状を持った使いが派遣されましたが、同時に国司のほうでも彼らを反乱軍として、追討の許可を都に願い出たのです。こうして、この地域は両者がにらみ合い一触即発という危険な状態になってしまったのです。確かに、宮様誘拐事件どころではなくなりました。
 宮様の方はといえば、若者の母親が半里ほど離れた目に付かない粗末な百姓家にお連れしてお世話していました。この家は両親と娘の三人で細々と暮らしておりましたが、昨年親が貧困と病気のため相次いで亡くなり、娘は竹芝の郷長の家の下働きとなって住み込み空家になっていたのです。
 母親は、若者が戻った翌朝、最近ではめったに炊かないご飯を炊き、衣類を持ってこっそりと番小屋に訪ねていきました。戸を開けると、そこには自分の息子と見知らぬ娘が、昨夜渡した汚い着物にくるまって眠っているではありませんか。びっくり仰天していると、宮様が目を覚まされ口も利けないご様子で、若者の首にしがみつき、
「誰じゃ!」
「俺の母だ。心配ないよ」
驚かれるのも無理はありません。宮様はこの三ヶ月の間、若者たち以外誰とも会っておられなかったのです。それは人に会わないよう村を避けて旅をしてきたこともありますが、元々、当時の田舎は疲弊して人そのものがいなかったこともありましょう。母親は、どうしてよいか分からず呆然としていましたが、平伏して
「ははー」という声しか出ませんでした。

 とにかく、最低限のお身の回りの世話をして、その日は戻ったものの、何か腑に落ちません。宮様はさらわれて来たというのに、怯える様子もなく、息子のそばから離れようとしないのです。まるで、二十年前、夫の郡司が自分のところに忍んできた頃の自分を見るようでした。しかし、高貴の出であることは、物怖じしない態度や言葉遣いにはっきりとしていました。翌日、例の娘に空家を片付けさせ、そのまま召使として残し、そこで二人を生活させることにしました。

 このときの宮様のお気持ちは一体どうであったのでしょうか。この宮様は幼い頃から、自分のお気持ちをはっきり出される方であったそうです。たとえば夏の暑い夕べには人目もはばからず、一人で濡れ縁にお出ましになり扇子をお使いなされていたそうです。しかし、その一方、何事にも関心を示され、侍女はそのご説明に窮することも度々だったとか。帝が御寵愛あそばされたのも、お美しさだけからだけではなく、そのご利発さに感じいられたためではないかと存じます。そのようなお方は、宮中の狭い世界には退屈なされるものです。毎日の決まりきった習い事、お作法など、そしてその後、自分の知らないところで決められた皇族の一人と結婚させられるのです。突然のこの竹芝の若者との三ヶ月の逃避行は、それは食べる物も満足にない苦しい旅ではありました。しかし、宮様には、それまで見たこともない大自然の美しさに圧倒され、また自ら生きんとする営みに全身を没入された、感動の日々であったのではないでしょうか。後に楽しそうに思い出話をされたそうですが、若者三人が協力して罠を仕掛けウサギをとったり、川で岩を積み魚を追い込む漁を見るのは、それは楽しかったとか。捕まえた動物や魚を食べるために、小刀を使ってさばくのに最初は肝をつぶされたそうですが、すぐに宮様の仕事となったそうです。ある日のこと、若者たちが罠を仕掛けに出払ってから、お一人で朝取ったばかりの魚で、まことに香ばしい魚の串焼きをお作りになって皆の帰りを待っておられたそうです。帰ってきた若者たちもこれには、感心するやら驚くやら。その日を境に、宮様は若者たちの虜(とりこ)ではなく仲間の一員となられたのです。獲物の多かったその日、若者たちは腹いっぱい食べ、そして例の酒壷の歌の大合唱となり,歌声は深閑とした山中にこだましたのです。宮様は下々の生活に宮廷では想像も出来ない人と人との絆という宝があることを実感されたのです。冬に向かう厳しい自然を生き抜くのは大変でしたが、季節が物の実る秋であったことは幸いでした。またいつの時代にも若者たちには怖いものはありません。宮様はこの旅の中で、その後のことも分からぬまま、もう元の生活に戻る気を失くされていったのです。富士川を渡り、竹芝の若者と結ばれてからは、ただ彼と共に人生を歩むことしか頭におありになりませんでした。愚僧はそう拝察しております。

 

図は粉河寺縁起絵巻から



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