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平安時代の社会や文化に関する書架

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平安時代の社会や文化に関する雑多な知識を知ることで時代の雰囲気がわかります。
 


書名  概要  価格 
平安時代の社会・文化に関する書籍一覧
 旧暦と暮らす:松村賢治、ビジネス社(2002)  日本歴史上の日付は全て太陰太陽暦(旧暦)で記されている。この暦は現代の感覚からすると一年の月数がマチマチであったり、季節により一刻の時間数が異なったり、何かいい加減な印象があった。ところが、この暦は自然暦とも言われ農業、漁業はもちろん人間生活のバイオリズムとも良くマッチし、これこそが究極の暦ではないかと近年再評価され始めている。昔の人はスローライフなどといわなくとも、そのままで自然と共に生きていたということが、この一事でも分かる。  1600
 伊勢詣と江戸の旅:金森敦子、文集新書(2004)  扱われている時代は江戸時代の東海道。近世東海道の旅は平安時代から見れば、道路、宿場が整備され治安もよく、至れり尽くせりの豪遊である。しかし移動方法が基本的に徒歩であることは同じである。  この本で知った意外な事実は江戸時代には街道での馬車や牛車の利用が原則禁止され、わずかに京都ー大津間だけ許されていたことである(p.205)。鎌倉時代に描かれた石山寺縁起絵巻には更級日記作者一行が石山寺に詣でる図があり、そこには、多くの荷馬車が見られるが、これをもって、当時車馬による運搬が一般的であったと誤解しそうである。ところが、十六夜日記の作者も上記区間は車を利用しているが、以後は馬に乗り換えている。つまり京都、大津間のみが日本ではまれに見る、平坦で、道幅のある、車が利用できる道路だったということである。  700
 千葉県の歴史:石井進一、宇野俊一編、山川出版社(2000)  千葉県の通史。古代から中世に至る期間も最近の研究結果を取り入れかなり詳しく解説されている。  1900
 船橋市史前編:    千葉県立中央図書館
 市川市史第2巻:吉川弘文館(昭和49)    市川市立中央図書館
 古代末期の葛飾郡:熊野正也編、崙書房(1997)  平安時代までの古代葛飾郡について、地理的変遷、考古学の成果を含めてこれまでに明らかになった事実を解説。下総国府周辺の状況、葛飾郡における荘園の形成について詳しい。更級日記、「まつさと」の渡りについて市川国府台下説に言及  1300
 新訂 官職要解:和田英松、講談社学術文庫(1983)  古典史料に現れる官職(平安時代以後が主)の位階、職能について出典に基づき解説。給与などについても言及。本格的に日本史、古典文学の勉強をする人に必携  1200
 王朝風土記:村井康彦、角川書店(2000)  国府、国司など地方政治組織について始まりから衰退に至るまでの解説。国司の赴任、施政の実態についても史料に基づき紹介され興味深い。平安時代の地方政治事件簿といった面白さがある。分かり易く書いてあるが内容は濃い。  1500
 平安王朝:保立道久、岩波新書(1996)  日本史の時代区分の中で平安時代はもっとも長く400年に及ぶ。この時代は従来摂関政治と院政の時代と単純化されて理解されてきた。しかし、この長い時代も時の進行とともに変質、変化していた。著者は天皇位の継承に視点を置き、32名の天皇の時代を特徴づけることを試みている。  700
 律令国家の転換と「日本」:坂上康俊、講談社(2001)  平安前期を扱う。律令制定以来、日本は国家といえる体制を持つに至ったが、その後律令体制は時とともに完成に近づいたかというと、そうではない。逆に、それは中国からの輸入制度であったことや、律令そのもののもつ理想主義的性格のために、社会の実態からかけ離れていった。平安前期を律令崩壊の時代と見るか、律令を超える変革の時代と捉えるかには諸論あるが、著者はおそらく、後者であろう。本書は東アジアの中での外交、官制、税制の改革を通じて平安時代が絢爛たる王朝文化開花に至る過程を解説。特に全てに先立つおカネの源である税制改革について詳しく説明している。  2200
 道長と宮廷社会:大津透、講談社(2001)  平安中期、藤原道長の活躍する時代を中心に描く。従来この時代は王朝文化華やかなりし頃で、政治経済的には退廃し衰弱していった時代と見られがちであった。しかし、それはこれまでの研究が女性の仮名文学に偏っていたことによる誤解であり、近年、政治中枢にいた公卿達の漢文日記の研究が進み、この時代の政治経済システムもそれなりの発展を遂げていたことが明らかにされた。地方統治のための受領制を含む官僚制度はこの時期に完成した。国司がどんな風に任命され具体的にどんな方法で任国を統治したかなど、細かいことも色々触れられていて面白い。  2200
 武士の成長と院政:下向井龍彦、講談社(2001)  前二書と同じ「日本の歴史」シリーズ。扱う時代は平安時代全体である。視点を武士という軍事職能集団の発生と成長に置いている。従来、武士というものは律令制の崩壊に伴い、地方農民が自ら開墾した土地を自衛するために武装して発生したという通説があった。しかし、それは根拠のない通説で、受領制の確立という社会制度変化によって必然的に発生せざるを得なかったことが示される。地方の徴税、統治を中央から派遣される受領国司に一括委任するすることで財政の安定化と統治組織の簡素化(いわゆる小さな政府)が実現し、国政は安定した。しかし一方で受領の裁量権拡大は課税される側の富裕農民(負名)との深刻な対立を生むことにもなった。この抗争は受領側から見れば反乱であるが、負名側から見れば非道な苛政に対する自衛であった。この対立は中央政府の裁定ではなかなか平和的に解決せず(情報の疎通が著しく悪かったことも一因)、結局暴力で決着をつけるしかない事が多かった。この過程で実力を担う職能集団として武士が発生することになった。  2200
 消された政治家 菅原道真:平田耿二、文春新書(2000)  平安時代の政治経済構造を知る上で極めて重要な新事実を解説。平安時代、「延喜の治」と呼ばれた構造改革が実は菅原道真によって構想、策定されたものであったのに、実施の直前、藤原氏により道真左遷と記録の抹消という形で奪われてしまった。その後藤原氏に奪われ、既得権者の利益を守る不完全な形ではあったが実施された菅原プランは破綻寸前の平安国家財政を救い、その経済的裏づけの上に王朝文化が花開くことになったという。この通りなら道真はまさに、平安時代、中興の祖である。言うまでもなく「更級日記」作者の五代前の先祖である。  710
 道真(上)(下):高橋千図、NHK出版(1997)  道真の一生を描いた歴史小説。これは菅原道真の漢詩集、菅家文草、菅家後集の行間を読み、作者なりに推定復元した道真の伝記である。菅原道真に関する文献記録は上記漢詩集を除けばほとんどないといわれる。その理由は上記文献に記されているように、「記録抹消」であろう。この作品はフィクションではあるが道真の実像に迫ろうとする作者の意気が感じられる力作である。しかも平安時代の自然描写、生活を分かる限り描き込もうとした努力の跡が随所に見られ、丁寧で上品な作品となっている。ドラマは文徳天皇妃であった、藤原明子との道ならぬ恋を伏線として展開し堅苦しい漢詩の世界に花を添えている。  さて、この作品はあくまで道真失脚の原因を、従来説にある藤原摂関家の嫉妬とみているが、もし、この小説の構想、執筆以前に前記文献『消された政治家 菅原道真』で言及された、当時の政治改革闘争が明らかになっていたら、この作品は全く違ったストーリーになったであろう。道真の太宰府での厳しい境遇も闘争の勝者である当時の既得権者の総意に基ずく復讐であったればこそ、誰も道真に救済の手を差し伸べることが出来なかった、と理解できる。裏を返せば菅原道真が一部の人間の利益追求を否定し社会全体の利益に目を向け、時代を先取りした急進改革者であったことを垣間見ることができる。この意味で道真は今後日本人が研究すべき重要人物である。  上下各2100
 菅原道真:嶋岡晨、成美文庫(2002)  漢詩文に優れた学者であったが、政治には少々疎かった青白い文人政治家という、従来の道真観から書かれた伝記。分かり易く物語風に書かれ史跡めぐりのガイドブックにもなる。  570
 人口から読む日本の歴史:鬼頭宏、講談社学術文庫(2000)  日本の人口は歴史時代だけ見ても何百倍にも増加した。しかし人口は単調に増えてきたのではなく、多くの要因が絡み停滞、爆発を繰り返しながら現代に至っている。各時代の人口データだけでなく、その調査推定方法を紹介しているので説得力がある。  860
 日本社会の歴史(中):網野善彦、岩波新書  3分冊の日本通史の中巻。平安時代から鎌倉時代を扱う。寛平、延喜の国政改革により国司の徴税請負制(受領制)が確立し、中央への富の流入が容易になり、京都の都市化が進んでいった。一方、地方も独立性を強め国司とその係累が在地の実力者として力を蓄え、後に朝廷と拮抗するほどの勢力となる武士団に成長する過程を描く。これらの動きには職能集団の分化を始めとする産業の発展が不可分の形で影響していたことに着目  640
 十二世紀のアニメーション:高畑勲、徳間書店(1999)  収録されている絵巻は信貴山縁起絵巻、伴大納言絵詞、彦火々出見尊絵巻、鳥獣人物戯画。この最高傑作ともいえる絵巻をジブリの高畑監督がアニメーション専門家の立場から解説。現代の技術から見ても、人物の描写力、画面展開の巧みさは驚くべきものであるという。同時代のヨーロッパの稚拙な?タピストリーと比較してみると、我らのご先祖がいかに卓越した才能を持っていたかと、ため息。技法だけでなく、当時の風俗が細かく描きこまれ、重要な歴史資料ともなっている。この本は買って損なし。  3600
 絵巻物に見る日本庶民生活誌:宮本常一、中公新書(1981)  昔の風俗は絵巻物によってわづかに知ることが出来る。しかし、一般には書物に印刷された不鮮明な絵を眺めることしかできず、それだけでは詳細なことは分からない。この書は具体例で、ここは何をしているところだ、ということを解説してくれている。絵巻の見方入門であると同時に、どんな絵巻に何が描かれているかの案内書となっている。残念なのは新書であるため図が小さく、白黒で不鮮明であることである。  760
 源平合戦の虚像を剥ぐ:河合康、講談社選書メチエ(1996)  ここに描かれている舞台は平安末期である。当時の戦争が文学で語られるような、きれいごとでなく、現代の戦争と基本的には同じく戦争技術、兵站が重要なポイントであった事を解説。特に機動力の源である馬運用の実態が詳しく述べられている。  1500
 馬の世界史:木村凌二、講談社現代新書(2001)  馬の家畜化は人類の発展に極めて大きな貢献をした。その運搬力、スピードは機械力のない時代にあっては、人間の能力を飛躍的に拡大することになった。騎馬軍団の質、量が戦争の帰趨を決め、世界史が形作られていった過程を解説。現代では日常生活と無縁となり忘れられた、馬の特質、常識についても教えてくれる。  700
 苧麻・絹・木綿の社会史:永原慶二、吉川弘文館(2004)  日本における三大衣料、苧麻、絹、木綿に関する技術の推移と経済的、社会的関係を総合的に捉えた労作。約半分のページは既に絶版となった同著者『新・木綿以前のこと』(中公新書)の改訂版であり、旧著を日本史における繊維衣料史として拡大著述した著作である。これまでこの分野の研究は服飾史、染色史に偏り、その社会的な面には目が向けられていなかった。人間が生きるために食住と同じくらい重要である衣料が古代から近世までどのように生産され流通したか、税制の中にいかに組み込まれていたかを解説。平安時代には大部分の衣料は苧麻布で、莫大な時間と労力を費やして作られた。生産性も、保温性も悪かったが、当時は、庶民にとっては(貴族でも下着や普段着には)それが唯一の衣料であり、貴重な財貨でもあった。(現代のように衣料が氾濫する時代はとんでもない、罰当たりの時代である。)  3200
 草木染・染料植物図鑑:山崎青樹、美術出版社(1985)  古代日本における染色の多くは植物から得られる染料によって行われていた。染色は布に豊かな色彩を与え、着る者に満足感を与えるのが目的だが、古代には色で位階を誇示することも重要な目的であった。そのため奈良時代までにその技術はかなりのレベルに達していたという。古くは鮮やかな色が追い求められていたが、平安、鎌倉と時代を下るに従い、落ち着いた中間色、味のある多様な色が好まれるようになり、種々の植物が染料原料として用いられるようになった。この植物図鑑を見て驚くのは、その多くが身近にみられる植物の根や葉などであることである。今では化学染料の普及で見向きもされないが、奥深い味わいには捨てがたい魅力がある。  2800
 中世の村を歩く:石井進、朝日選書(2000)    1500
 王朝の映像ー平安時代史の研究ー:角田文衛、東京堂出版(昭和57)  古典文学の研究は、文学だから細かい考証をしなくても、自由に想像を羽ばたかせて楽しめばいいのだという考え方もあるようである。しかし角田博士はその時代背景を出来る限り正確に理解した上でないと、文学といえども真の理解に至らないという立場をとられている。本書はそれを実証するために書かれた貴重な書である。  このホームページで引用するのは菅原一家が上総から帰り着いて入った京都三条の菅原孝標邸がどこにあり、どういう経緯で菅原邸となったかという考証の部分である。当時の文献を渉猟し警察捜査のような緻密さで菅原邸を突き止めてゆく過程には推理小説のような面白さがある。そのほかにも、たくさん平安時代の興味深い人の生き様が白日のもと明らかにされており興味が尽きない。例えば蜻蛉日記のなかで夫、藤原兼家が作者のもとに通って来る日が、必ず生理と生理の間であったことを考証しているが、まさに仰天ものである。古書でも高価だったが大枚をはたいて買ってしまった。  8800
(多分品切れ)
 平安の春:角田文衛、講談社学術文庫  平安時代を中心として、主として宮廷で繰り広げられた興味深いエピソードをまとめたもの。気楽に読めるがこの道の専門家の手になるだけに、根拠、背景がしっかりしている。  920
 平安朝女性のライフサイクル:服藤早苗、吉川弘文館(1998)  平安時代の女性が年齢を重ねるにつれ、どんな人生を送ったか文献に基づき具体的な人物を例に解説。著者の意図としてはあらゆる階層について、論じたかったらしいが結果的に文献があるのは貴族に限られるので、中、上流貴族の人生模様ということになった。庶民はわずかに今昔物語に登場する女たち位である。しかし貴族層についてだけでも財産相続、生活費のこと、老後の生活など下世話なことまでいろいろ教えてくれる。  1700
 殴り合う貴族たち:繁田信一、柏書房(2005)  平安時代というと貧しくとも戦争のない平和な社会というイメージだが、実はそれを支配する貴族たちは身勝手、未熟な不品行な人間たちであった。暴力沙汰、セクハラは日常茶飯事、時には殺人すら珍しくなかった。なのに貴族であるがゆえに罰されることがないという不条理がまかり通っていた。著者は藤原実資の『小右記』の記事から当時の貴族たちの見苦しい実態を白日の下にさらしている。源氏物語の世界からは想像も出来ない社会だが、「やっぱりね」という変な納得を感じさせる面白い書である。  2200
 王朝貴族の悪だくみ:繁田信一、柏書房(2007)  前著が主として私的な醜態を暴いていたのに対し、この書では大きな社会悪に注目している。不正、汚職、横領、証拠隠滅、殺人など目を覆いたくなるような事件が頻発していることが分かる。平安時代の支配層にはそもそも社会正義とか、儒教的自己規律というものは無縁であった。むしろヤクザが支配する社会といっても良いほどである。このような社会に暮らす国民はとても不幸であったはずである。このような社会の裏面を描く試みは時代の正しい歴史評価を行う上でとても有益である。  感想:400年に及ぶ平安時代が人口がさほど増えず、技術革新も見られなかったのは、このような無能、無規律、無節操の支配層のおかげである。関東武士団による鎌倉幕府の樹立、承久の乱鎮圧による朝廷権力の完全奪取、元寇時の全国動員体制に乗じた中央集権化を経て、ようやく日本は倫理観念を持った支配者を得ることになる。鎌倉幕府の成立は、まさに革命であった。  2200
 平安朝の女と男:服藤早苗、中公新書(1995)  いつの時代にも女と男の関係はロマンであり、また日々の生活そのものでもある。前著と同じくこれも中、上流貴族の男女関係の話が中心であるが、どのようにして男女が出会い、婚姻生活に入っていくかということから始まり、婚姻が上流社会では重要な政治手段であったこと、当時は自由恋愛と思われがちだが、実は仲人業というか口利き屋が暗躍していた事も明らかにされ、やっぱりそうかと納得する。  700
 平安朝の母と子:服藤早苗、中公新書(1991)    700
 紫式部:清水好子、岩波新書(1973)  紫式部が自ら編纂したとされる紫式部集に沿って彼女の少女時代から死にいたるまでの心の旅を再現。歌そのものの注釈書ではなく、言葉の解釈よりも式部を取り巻く背景を文献から実証的に再構成している。非凡な頭脳をもった紫式部だっただけに、苦悩多き人生でもあったが、反面、友人特に女友達から愛され頼りにされていた紫式部像が浮かび上がる。著者の紫式部への思いが伝わる好著。  430
 紫式部のメッセージ:駒尺喜美、朝日選書422(1991)  紫式部日記、紫式部集に表れる紫式部の鬱屈が「女は所詮男の道具である」という、当時の女の宿命ともいうべき性差別から来ていることを論考。著者は源氏物語を光源氏という”身分あり、富あり、ハンサム”という非の打ち所のない貴公子を主人公にして、彼という男が女に対して演ずる身勝手さと、それに対抗することのできない女の悔しさ、無力感を描いたものと考える。「男の正体とはこんなものなのよ」というのが紫式部が女に遺したメッセージであるという。  1100
 源氏物語愛の渇き:大塚ひかり、ワニの選書、KKベストセラーズ(1994)  文句なしに面白い本である。古典の知識のない方も、この本を読めば、源氏物語全巻を読んだ錯覚に陥るのではないだろうか。これは源氏のダイジェスト版ではないが一体紫式部が何を語ろうとしたのかという視点で全巻を俯瞰している。松太夫がこの本を高く評価するのは著者が千年前の女性読者と同じレベルで物語を楽しんでいる点である(著者は古典専業主婦と自称するように学者ではなく読者である)。千年前に更級作者もこのようなワクワク感で源氏を読んだのであろうと想像するが、同時代を生きたといっても、思春期の夢見る乙女であった更級作者と、現代人であっても既婚者である著者の”読み”には当然隔たりがある。  (蛇足:”世の中”を知った女性の読みの深さには、男性はただタジタジとするばかりです。)  1400
 源氏の男はみんなサイテー:大塚ひかり、ちくま文庫(2004)  本書はまづ、源氏物語について高雅な宮廷ロマンという根拠のないイメージを、具体的場面で、これでもか、これでもかとぶち壊し、源氏が欲望とエゴが渦巻く人間模様を描くという点で現代小説と少しも変わらないことを示している。  次に、紫式部本人が女性の生き方に疑問を感じ、常に満たされることのない鬱屈を抱えていたことが、物語を書く原動力であったことを明らかにしている。紫式部の意図は現代は勿論のこと、当時でも理解されてはいなかった。例えば更級作者は思春期の頃、源氏を読みふけり『光るの源氏の夕顔、宇治の大将の浮舟の女君のようにこそあらめ…』というように、あこがれの対象であり、作者が秘かに示そうとした女の孤独感、絶望は読み取られることがなかった。  『源氏』は人間の絆、その中でも家族というものを描く優れた重ーい心理、社会小説であり、これはそのまま現代社会にも当てはまるという。皆さんも、これを読めば『源氏』を読みたくなると思います。  840
 紫式部:山主敏子、あかね書房(1986)  紫式部の子供向けの伝記だが、彼女の人となりを、子供にも感じ取れるように、うまく表現している。  1100
 古代農民忍羽を訪ねて:関和彦、中公新書(1998)  取り扱っている時代は奈良時代だが、下総国葛飾郡、現代の地名では市川市から東京都江戸川区を舞台としている。著者が突然、古代にタイムスリップして当時の人の生活を垣間見るという設定である。面白い試みだが、このような視点は啓蒙書だけでなく歴史研究そのものにも重要ではなかろうか。  660
 万葉びとの「家族」誌:三浦佑之、講談社選書メチエ(1996)    1500
 食の万葉集:廣野卓、中公新書(1998)  誰でも昔の人が何を食べていたか、少しは興味があるだろう。意外なことに基本的食材の多くは万葉時代のものが現代でもそのまま存在する。それらの食材で作られる料理は栄養バランスもよく、十分に食べることさえできれば、容易に健康を保てたことが示される。食材の具体的出典が万葉集やその他の文献から紹介されている。コラム記事の食材の処理法、調理法も面白い。  780
 日本食物史:樋口清之、柴田書店(1987)  縄文時代から現代まで日本人が何を食べてきたかの総説。各時代の食器、調理具、調理風景を多くの絵巻、浮世絵や再現写真で示している。  2200
 カラー版古典の花 枕草子・徒然草の花 松田修、国際情報社 (1983)  古典に現れる植物は同じ名前でも現代のものと異なる場合が多い。品種改良による他、全く呼び名が変わったものもある。古典を実証的に理解するためには写真で確認することが不可欠である。  1600
 日本の女性風俗史 :切畑健編、紫紅社文庫  古墳時代から江戸時代に至る、日本女性の衣服、髪型を実際に考証、復元して美しい写真版で紹介している。上流階層中心の風俗ではあるが、目で見える形には得がたい価値がある。  1200
 鉄から読む日本の歴史:窪田蔵郎、講談社学術文庫(2003)  日本における鉄器利用の歴史を考古学から文献的資料を総合的に利用して各時代ごとにその発展を述べたもの。著者は鉄鋼製錬の技術者ではないが関連業界に長く勤務したセミプロ。平安時代に関する記述はごくわづかで、前後の時代に比べ、鉄に関する技術革新がない技術停滞時代であったことを想起させる。鉄供給が少ない時代にあっては  960
 人はどのように鉄を作ってきたか:永田和宏、講談社学術文庫(2017)  本邦初の実証的製鉄技術史。一般読者向けに書かれたものだが、製鉄の歴史学という観点から見れば専門書と言ってもいいのではないか。著者は東工大の名誉教授で金属工学の専門家。
これまでの製鉄の歴史を扱った書物では、技術的な事項については一挙に近世以降のたたら製鉄まですっ飛んでしまい、古代中世の鉄生産については全く闇の中の感があった。この書では古代でも意外と簡単に鉄が作れた可能性(当時は先進技術であろうが)を再現実験で明らかにしている。正直、これは大きな驚きであった。現代の製鉄技術が基礎知識にあると鉄の製造は決して易しい技術ではない。しかし一方で平安時代の源平合戦ではおびただしい武器が消費されたことからも、どんな田舎でもそこそこの技術で鉄が作られていたことは想像に難くない。やはり、そのような、時代の身の丈に合った技術が存在したということがわかり大いに合点した。
 1080
 病が語る日本史:酒井シヅ、講談社(2002)  昔の人は蔓延する病気のため短命であった。感染症や寄生虫病がほとんど撲滅された現代から見ると、過去の人は、まさに病気のジャングルに住んでいたようなものである。そこで天寿をまっとうすることは、まさに稀なる幸運であった。この書は歴史上の人物がかかった多くの病気や、社会で流行した病気を現代の病名に比定し、当時の治療法を紹介している。その多くの治療方法が無益で結局、祈祷に頼るしかなかったことが述べられている。我々は現代に生まれただけで大変な僥倖に恵まれたことを、自覚させられる。 平安中期、「小右記」の作者、藤原実資は89年の長い人生で他人の病気について多くの記述を残してくれているという。ところが本人は三十代に一度赤痢にかかっただけだという。何と強運と体力に恵まれた人物であったのか、これだけでも驚嘆に値する。  1800

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