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歴史地理学に関する書架

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日本の地形は火山活動、地震、津波などの自然現象による地形変動、土砂災害が激しいために、わずか千年でも場所によっては大きな地形変化が見られます。歴史的な地理的変化を考慮しないと古典の解釈も正しいものにはなりません。


 書名  概要  価格(円)
鎌倉時代の東海道に関する歴史地理
 中世の東海道を行く:榎原雅治、中公新書(2008)  鎌倉時代の東海道について飛鳥井雅有の日記を軸に京都から鎌倉までの交通路を明らかにしている。この本は類書に例をみない貴重な書である。文献記述から地理学的考察を行うことで中世の地形を再現することで、実証的に経路を推定している。これにより、これまで茫漠としていた鳴海、美濃、尾張の河川地帯、浜名湖を通る経路が相当に明るくなった。今後、このような手法での研究が一般的化することを期待したい。  840
 三つの東海道:湯之上隆 、静岡新聞社(2000)  主として駿河、遠江を通過する古代、中世、近世の東海道の交通に主眼を置いてこの地方を解説している。内容的には鎌倉時代から戦国時代が中心。文献が少ない平安時代以前の時期は考古学調査の結果で補っているが、現時点では最善の努力であろう。著者は地元在住のため、土地勘があり文字とおり地に足が着いた著述となっている。  1680
 東京近傍図七面組地形図(明治20年2万分の1):古地図史料出版(℡0424-76-1525)  歴史研究には近代化以前の地形図が必需品だが、これがなかなかない。特に専門家でない者にはどうしてよいかもわからない。 幸いなことに東京近傍については明治13年測量の地形図が復刻、出版されていて簡単に手に入る。この地図は陸軍参謀本部、陸地測量部が明治13年に測量した、いわゆる迅速図と呼ばれるもので、精度は多少落ちるというが歴史研究には十分である。明治13年当時、鉄道は新橋ー横浜間しか開通しておらず、交通網はほとんど江戸時代のままである。橋も少なく渡し船がそのまま運営されていた。西南戦争後間もない頃、このような全国測量の労苦は並大抵でなかったと想像され、明治新政府の心意気が感じられる。  東京近郊以外の明治初期の地形図は国土地理院、関東地方測量部、閲覧室で閲覧、コピーするしかない。(東京、千代田区九段南1-1-15九段第2合同庁舎℡03-5213-2051、但し、日本全土が揃っているわけではないらしい。)  4800 (部分図各800円でバラ売りも可)
 横浜周辺地形図 同上  上記、東京近傍図の南に接続する横浜周辺地形図。都市化しているのは横浜市関内の周辺だけで、ほとんどは江戸時代のままで、原地形がよく分かる。  800
 房総万葉地理の研究:今井福治郎、春秋社(1964)  この書物は万葉時代に限らず房総関係の歴史を調べる人には必読の書。著者のライフワークともいえる労作で膨大な文献の渉猟と丹念な実地踏査で万葉に現れる地名を比定したものである。戦後の物資不足、交通不便な頃に、よくもこのように丹念で緻密な研究ができたものと研究者ならずとも頭の下がる思いがする。この書物の類書にない重要な価値は日本が高度成長に入る直前に、それまでに残された歴史的地形、地名、伝承の痕跡を記録してくれたことにある。この書により現在では開発により跡形もなくなった土地について、わづかに想像をめぐらすことができる。  絶版、千葉県立中央図書館、和洋女子大学図書館
 東京低地の古代:熊野正也編、崙書房(1994)  東京低地(葛飾区、江戸川区、墨田区)とその周辺(市川、豊島など)の考古学の最近の成果の解説。豊島郡衙と下総国府を結ぶ古代直線道についても触れられている  1200
 市川歴史探訪:千野原靖方、崙書房(1985)  千葉県市川市の国府台を中心とする遺跡、旧跡の歴史ガイドブック。出版がちょっと古いが良くまとまった一冊  1000
 旧鎌倉街道・探索の旅ー下道編:芳賀善次郎、さきたま出版会(1978)  鎌倉街道とは鎌倉時代に全国の幕府御家人の軍勢を迅速に移動集結させるために整備された道路網である。この道路は新たに開削された部分もあるが、多くはそれまでにあった、官道を中心に再編整備されたようである。古代律令国家が建設した整然とした駅路伝路に比べれば、多少格好が悪い感もあるが、自然地形を活用し実用性第一優先で建設されたと考えられる。費用も在地の御家人が負担し、無駄なく効率的に作業が進められたので、極めて短期間に完成したらしい。実用的であるがゆえに、この道路網は今も拡幅されたり、そのまま使用されている部分が少なくない。その意味でも鎌倉街道の研究はそれ以前の平安時代の実用道路の推定に不可欠である。著者の芳賀氏は文献記事を元に実際に現地を踏査しそのルートを推定している。実に大変な調査であったと思われる。下道編は鎌倉から浅草、坂戸、大宮方面を探索する。   1500
 旧鎌倉街道・探索の旅ー上道編:芳賀善次郎、さきたま出版会(1978)  上道編は鎌倉から藤沢、所沢、高崎へ向かう街道を探索。  1700
 平安鎌倉古道:尾藤卓男、中日出版社(1997)  平安鎌倉時代の鎌倉から京都間の東海道の古道探索。実際に現地を歩き、在地の郷土史家の聞き取りで地に足が着いた調査となっている。とはいえ、開発による地形改変により古道の探索は著しく困難になっている。その困難な状況でも『考古学、歴史地理学、地籍図、中世の紀行文に加え古老の伝承をつむぎ、現地を歩けば大差ない線が得られる。』というのが著者の姿勢である。この書は私ども後輩が実際に歩く場合の貴重なガイドです。  1800
 なごやの鎌倉街道をさがす:池田誠一、風媒社(2012)  文字通り名古屋周辺の鎌倉街道を実地に探索した本。実際に歩いてみると出版が新しいので、交通もそのものズバリでガイドとして、とても有用。鳴海潟についてはこの本を基に歩いて初めてどんなところか実感できた(もちろん現代は市街地化しているが)。  1500
 道と駅:木下良、大巧社(1998)  古代交通研究の草分けである著者の一般向けの、日本の古代から現代にいたるまでの道路発達に関する通史。律令国家は現代の高速道路網とも重なる古代直線道網と駅制の整備をすすめ、国家建設を推進していたが、その野心的計画が時代とともに崩壊、変貌し、いかにも島国日本的な交通へと移り変わってゆく過程を解説。  1200
 富士山宝永大爆発:永原慶二、集英社文庫(2002)  富士山は江戸時代の)宝永4年(1707)に大爆発を起こし相模国に甚大な被害を与えた。その災害復旧のため地元民はもとより、小田原藩、幕府まで百年に及ぶ苦労をしている。本書は当時の記録をもとに被害状況、復旧活動について詳述している。  富士山は平安時代を通じて活発に活動し江戸時代以上に周辺地域に甚大な災害をもたらしたはずであるが、記録がほとんどなく実体が明らかでない。しかし本書に描かれた江戸時代の実例から当時、相模国がいかに困難な災害状況に見舞われていたかを想像することが出来る。  740
 平成18年度ふるさと歴史シンポジウム、復元!古代都市平塚~相模国府を探る~記録集:平塚市教育委員会社会教育課(2007)  相模国府は数度移転したといわれるが、その場所は確定されていなかった。しかしこの10年、考古学調査が進み、どうやら最初に大住国府(平塚市)が設置され、いつの時期か大磯国府(大磯町)に移転したという、2遷説が有力になってきた。本書はその公開シンポジウムの記録である。  絶版、平塚市立中央図書館
 日本の古代道路を探す:中村太一、平凡社新書(2000)  現在、古代道路研究の第一線で活躍する著者が、現在までに判明した各地の奈良~平安時代前期の古代(直線)道路の概要、調査方法、駅路伝路の推定と変遷などについて解説。写真、図版が多くわかり易い。  760
 武州久良岐郡地名考 :武内廣吉著、平山和彦編、まほろば書房(1995)  現在の横浜市磯子区を中心とする地域にあった久良岐郡とその周辺地域のの歴史、古地名、古道を丹念な調査で比定した貴重な書。著者は明治26年生まれの地元の郷土史家(既に逝去)で、戦後の土地開発が始まる以前の土地に詳通した人である。本ホームページは更級日記の菅原一家が武蔵、相模を通過した経路推定をほぼ、この書に負っている。更級日記に関して、かなりのページを割いて記述されているが、中でも特筆すべき指摘がいくつかなされている。そのひとつは武蔵、相模国境の『あすだ川』問題である。従来これは作者の記憶違いで、下総、武蔵国境の隅田川であるとされてきた。ところが、あすだ川は往時内陸に深く入り込んでいた入り江に注ぐ横浜市の大岡川の古名であるという。その通りなら、そこから相武国境までわづか2km.だから、更級日記の記述は正確であったということになる。理解できないことを簡単に作者の思い違いや誤写で片付けることが如何に危険であるかの好例である。専門家の検証を待ちたい。  2200
 平安の気象予報士紫式部:石井和子、講談社+α文庫  源氏物語の中に記述された気象現象を現代の気象学から検証すると、驚くほど京都の気候を正確に記述しているという。意外にも紫式部は自然を文学的ではなく、科学的な目で観察し物語に書き込んでいったらしい。平安時代の気候全般についても言及され当時の気候的背景を知る一助になる。  800
 道路の日本史:竹部健一、中公新書(2015)  長く道路公団で道路建設に携わった技術者が古代から現代にいたる日本の道路の建設、変遷を通史的に俯瞰している。専門家の目で見れば古代の駅路と現代の高速道路の建設思想には共通するものが多いという指摘は興味深い。  860
     
     

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