記事コード:
trv013

武蔵野を歩く

関連カテゴリ:
平安時代東海道を京に上る
携帯やスマートフォンで見る場合、QRコードを読み込んでください。
 

草高き武蔵野をゆく

 

 外では暗いうちから、人馬の騒ぐ声が聞こえる。どうやら今日はいい天気なりそうだ。食事を終えて外に出ると境内一杯に馬が馬方の手で背中に荷物を積まれている。  
 「今日から車は使えないので、私たちも足で歩きますよ。お天気もいいから楽しい秋の野歩きってとこですね。」とユリ。
 「私は大丈夫よ。ユリの方こそ大丈夫?この前、『もう歳で遠出が辛くって』なんて言ってたじゃない。」
「そんなことありませんよ。まだ私はそれ程の歳ではありません。以前に比べれば、辛い、と申し上げたのです。」
そこにまま母さんが旅装束で現れ、
 「ユリは無理しないでいいのよ。もし、疲れたら輿が二挺用意してあるから、それに乗ってね。」
「とんでもありません、奥様。あれは奥様と坊ちゃまのためにご用意してあるのですから。」
 「私は大丈夫。こんないいお天気には狭い輿に乗るより歩いたほうが気持ちがいいわ。孝子ちゃんと一緒に歩きましょうね。」
そこに三郎がやって来て、
「今日は丸子の渡しまで行きますが結構上り下りがあります。でも全体には下りですから大したことはありません。源造はこれからの足慣らしにちょうどいい、とか言っていました。」
 「三郎はずっと馬に乗っていいなー」
 「あれー姫様も馬に乗りたいですか。良かったらいつでも乗せて差しあげますよ」と、にやっと笑った。
 そうだ、桔梗ちゃんがうちに遊びに来ていたころだ。彼女はいつも三郎の馬に二人乗りして帰っていったが、あるとき帰り際に、
 「私も馬に乗ってみたいなー」と、口走ったことがあった。
そしたら、次にやってきたとき、二人は無理やり私を馬に乗せようとしたのだ。私は仰天し怖くて、ぎゃあぎゃあ泣き出し、家中大騒ぎになった。あの時、三郎は平謝りに謝って、逃げるように帰っていったが、今思えばちょっと悪かったかな。二人が馬に乗った姿は確かに格好良かったし、軽やかだったので、自分も簡単に乗れるのかと思ったのだ。でも実際に馬の背に押し上げられてみると、私の背よりも高い所で、鞍にはしがみついたものの馬の背が突き上げるように上下するので頭から振り落とされるような危険を感じたのだ。実際、三郎たちが乗る馬は荷駄を運ぶ馬より背の高さが、私の手のひら二つ分は高い。侍の乗る馬は重い鎧を着た上に、武具を持って乗るので大きな馬でないと使い物にならない。
  桔梗ちゃんの話では馬は車なんかよりはるかに乗り心地がいいという。確かに車は雨の日はともかく、道が平坦でぬかるんでいないときだけ乗るものだ。道がでこぼこだったり傾斜があるときは車の中で転がらないように必死で柱にしがみ着いていなければならない。平坦なところでも小刻みな振動で気分が悪くなり、長時間は乗れない。とにかく、あの事件以後、誰も私に馬に乗るよう誘ってはくれなくなった。でもいいんだ、今日のような秋晴れの日はひとりでに足が前に出そうなくらい気分がいい。
  太陽が輝きだす頃、行列は動き出した。先頭を馬に乗った源造をはじめ主だった武士たちが固め、その後を私たち家族が家の者たちと共に歩く。父と兄は馬に乗っているが、普段から乗り慣れていないので、何か馬の背にしがみついているように見える。後には馬の荷駄が延々と続く。行列の最後尾は三郎がその郎等たちと共に落伍するものがないよう目を光らせている。
 「長く使っていた者達でも、昨今は生活が楽ではないですから、ついお宝を運んでいるとそのまま姿を消したくなる気持ちもわかりますがね。」
とユリ。 馬方も空身ではなく、いろんな荷物を背負って、片手に持った竹の鞭で馬を扱うので大変だ。
  私の背より高く生い茂った枯れ草の間に踏み分けられた、かろうじて分かる道筋をたどりながら野道を進む。
  「この辺を武蔵野って言うのだけど、どうしてか知ってるよね?」とママ母さん。
 「紫野(むらさきの)が変わったんでしょう。」
 「そうよ。この辺は昔から紫の染料にする紫草が多くて、それは税として、今も収められているんだけど、本当はこの辺は、この通り痩せ地の野原ばかりで米や野菜のようなものが、あまり採れないんだって。自分たちが食べる分だけでやっとなので、紫草のような特産品を税として収めているの。」
「本当ね。『紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る』の歌とは全然違う世界だね。」
 「あと、布の原料にする苧麻なら、こんな土地でもたくさん育つそうよ。この武蔵の国は昔から高麗(こま)や唐土(もろこし)から来た人たちが機織りの技術を持って入植し開拓してきた土地だそうよ。苧麻から糸を紡ぎ、布を作るのは時間もかかるし、とても大変な仕事だけど、女や老人にも出来るし、何より高く売れるからね。それで食糧を買い入れ、なんとか生活できるのね。こんな荒れた野原ばかりの国では米はいくらも採れないでしょう。」
 家族の周りには、前から奉公している犬丸や鳶丸など若い男や、女たちが炊事道具や通りがかりの農家で仕入れた野菜など食材を担いで歩いている。鳶丸がまま母さんの話を耳にして
 「奥様、米の話ですが、寺で聞いた話では、意外にもこんな土地でも結構獲れるんだそうです。確かに台地の上はこんな野原で何も取れませんが、台地の下の谷は泉が湧き出し、いい田になるんだそうです。特に南に向いた田は日当たりが良く、平地の田より出来がいいくらいだと言います。竹芝寺の下の谷の地名は美田(みた)といい、それはたくさんの実りがあるそうです。そのほか、荏原郡内の桜田、蒲田、満田、木田など「田」が付く郷は小さな田地ですが郡の宝と言われているそうですよ。もちろん上総の広い条里のある広大な田に比べたら、話にもならない石高でしょうがね。今朝も、まだ暗いうちにすぐ近くの農家が今年の新米を売りに来ました。」
そうなんだ、今度の旅では、米は食糧として食べるほかに人足に払う日当やいろんな費用に充てるのだけど、そのための米は上総から直接舟で海を渡って対岸の弘明寺まで運ぶのだと言っていた。確かに大量の米を人の背で運んでいたら、それだけでくたびれ果ててしまう。下総や武蔵はまだ米もたくさん獲れるので、現地で買えばよいということで、当座の分しか携行していないのだ。で、何を渡してその米を買うかと言うと、干物だ。確かに上総のアワビ(鮑)や鯵の干物はおいしい。今朝来た百姓はそれを自分では食べず、それを持って武蔵国府の市に行き、布などを買うのだそうだ。なるほど、できれば、なるべく軽いもので価値が高く、必ず人が欲しがるものを持って旅をすればよいのだ。そういえば、上総で紙をたくさん仕入れていた。紙は濡れたら使いものにならないので柿渋を引いた紙で包み、更に油紙で厳重に包んでいた。
 「孝子、何をぶつぶつ言ってるの。それにしても鳶丸は賢いねえ。まだ若いのに走り使いをしながら、いろんなことを勉強してるのよ。読み書きは出来なくても耳学問で世間のことは、何でも知ってるみたい。」
確かに、彼は私より二つ上だけど、もう世間のことでは、大人と変わらない。私や姉さんはこの旅でも誰かが助けてくれなければ死んでしまうだろう。
 「姉さん、何か必要なものを交換で手に入れる場合、相手が欲しがっているものをこちらが持っているとは限らないよね。そんな場合はどうするの?」
 「大きな集落で、たとえば国府があるような場所だと市が立つので、そこでなら米や布で何でも替えるのよ。でも途中の農家から直接食糧を調達する場合には、鉄製品が一番いいらしいよ。たとえば小刀、鍬の刃、釘なんかはとても喜ばれるし、量に応じて、たとえば釘、何本とか細かく支払いが出来るでしょう。上総で旅の準備をしている時、鍛冶屋が何度も出入りしていたでしょう。あれは米で鉄製品を買っていたのよ。実はこれも鳶丸が教えてくれたんだけど。」
 今日は途中一休みを入れただけで、川が見えるところまでやってきた。この川を望む高台で今日は野営する。話によれば明日、川を渡ってからは本格的山道になるので、今晩のうちに十分休養を取っておくことにしよう。


 つまらないことだが、庵を組み立てている鳶丸に聞いてみた。
「ねえ、鳶丸。どうして河原で泊まらないの。水がそばにあったら炊事も楽だし、明日も夜が明けたらすぐ出発できるじゃない。」
「それはそうなんですがね、怖いことが起こるかもしれませんよ。だって、夜中に盗賊に襲われたら川にしか逃げ場はありませんよ。それにここの天気は良くても、川の上流に大雨が降ることがあるんです。そしたら夜中に音もなく、川の水位が上がり、みんな流されてしまいます。」
「そうだったのか。私って何も知らなかった。」

 

 

図は「石山寺縁起絵巻」より



前のページ「竹芝寺の裏伝説その3」へ戻る

この記事に対するお客様の声