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平安時代の旅でのトイレ事情

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平安時代の旅でのトイレ事情ーお尻の拭き方


 人間の生理にかかわることは時代が変わっても、それほど変わることはない。しかし、トイレに関しては、この数十年で大きく変わった。つまり、排便が衛生的で悪臭のない不浄の行為ではなくなったのだ。これだけでも現代に生まれた幸運を噛みしめたい。しかし大災害が起こり現代の利便性が失われたらどうなるだろう。この前の東北大震災で山に逃げ込んだ人々はどのように、お尻の処理をされたのだろうか。たまたまティシュを持っておられた方は幸いだが、着のみ着のままの方はどうされたのだろうか。こんな時、過去の日本人がどうしていたのか知っていれば、多少は参考になるかもしれない。
 トイレットペーパー、あるいは、それに代わるものがない時、思い付くのは大きな木の葉っぱだが、たぶんそんなものではきれいに拭けない。その上、葉っぱが破れてて手を汚すこともありそうだ。日本人はそのために籌木(ちゅうぎ)という、どこでも手に入る衛生消耗品を、ずっと使い続けてきた。
 江戸時代には都市の住人や田舎でも富裕層には紙が普及したが、貧しい人たちは、ずっと糞ベラを使っていた筈である。それどころか現代になっても戦後のある時期まで、一部の山間地では依然として使われ続けていたというから驚きである。言い換えれば籌木(糞ベラ)は一部の地域では、戦後の昭和の時代まで生活消耗品であり続けたが、口にすることを憚られ、なかったことにされていたようだ。

  籌木(ちゅうぎ)が話題になったのは、平城京や藤原京の発掘時にトイレの跡から木簡を再利用した籌木が大量に出てきてからである。役所や宮殿は木簡の再利用ができたろうが、一般人はその辺の木の枝の先端を平らに削った籌木を使用していただろう。貴族階級であっても、旅となればわざわざ反古木簡を持ち歩くわけはなく、庶民と同じくありあわせの木の枝で用を足したと思われる。
 平安時代末期に描かれた『餓鬼草紙』の「食糞餓鬼」の図をみると当時の庶民のトイレ事情が良く分かる。おそらく廃屋の脇の小路が公衆便所にされていたようだ。子供は裸で、大人用の高下駄をはいている。その脇では母親であろう女が着物の裾をまくりお尻を出して「うんこ」をしている。子供は右手に籌木を持っている。近くには、「うんこ」や使用済みの籌木が散乱して汚いこと限りなしである。これでは高下駄がなければ近寄ることもできない。注目されるのは、散乱物の中に紙のようなものがあることである。この時代は籌木で排便の始末してきた筈だが、紙だとしたら誰が使ったのか?京都市中には役所、寺社が多かったので、その辺から流出した反古紙があったのかもしれない。

籌木の現物は筑紫鴻臚館で出土したものが、福岡県立博物館に展示してある。これを見ると、長さや太さはまちまちで、とても、専用に用意されたものとは思えない。各人が適当に手近にあったものを使用したことがうかがわれる。

メイン画像:『餓鬼草紙』(東京国立博物館蔵)中の「食糞餓鬼」図に見える親子のトイレ風景拡大図


筑紫鴻臚館出土の籌木
福岡県立博物館展示物
長さ、幅はまちまち、ヘラ状に削った物が多い。先端部は角を取って丸めてある。一本で少なくとも2回は肛門をお掃除できる。
餓鬼草紙ー食糞餓鬼
「食糞餓鬼」図全体
地面には籌木のほか、紙のようなものも散乱している。洛中ではお尻を拭くのに反古紙も使えたのだろうか?

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