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足柄峠を越え駿河・横走りの関に入る

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平安時代東海道を京に上る
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  暗いうちに、人の騒ぎ声で目が覚めた。夢の中では昨夜聞いた悲しく透き通った歌声が何度もなんども繰り返されていた。身支度を整え、女たちが食事の支度をしている焚火のところに行くと、姉はもうそこで湯を沸かしているユリとおしゃべりをしていた。
「あの歌の歌詞はひょっとしたら、あの遊び(歌い手)の身の上話なのかねえ。とても真にせまっていたよね。」
「私もそう感じましたよ。作り事ではとてもあんな風には歌えませんよね。」
そばの大釜でご飯を炊いている蓬(ヨモギ)が、煙にせき込みながら頷いて
「私も人ごとではないと身につまされました。村ではどこにでもある話です。思わず涙があふれてきました。」
飯を炊く女たちは、寒さも忘れて昨夜の最後の歌のことで盛り上がっている。


今も消えない足柄の遊びの歌声


  最後の出し物に入ると、年増の女が拍子木をひとつ打ち、語りを始めた。
「甲斐の国は狸穴(まみあな)の里と云う処に3人の子を抱えた病身の女が暮らしておりました。上の娘は十歳、下には八歳の息子と六歳の娘がおりました。夫?そのような者が居たのでしょうか。とにかく農家の下働きをして野菜や雑穀を分けてもらい村はづれにある崖の端に粗末な小屋掛けをして、かろうじて生きておりました。しかし、苦労がたたり病気になって畑仕事にも出られなくなったのでございます。これから冬がやってくるというのにどうして親子四人生きてゆけばよいのでしょう。
そんな時一人の人相の悪い男が村にやってまいりました。人買いです。村人は嫌な物を見る目で相手もしませんが、その男はお構いなしに村はずれまでやってくると、女の小屋を覗き込み、こう言うのです。
『だいぶ困っているようだな。どうだ娘も大分大きくなったじゃないか。俺が預かって、いいところに奉公に出してやるから任せないか』
もちろん母親は力なく首を横に振ります。
『無理をするなよ。娘は大事にしてやるよ。でないと、みんなこの冬に野垂れ死にだぞ。お代ははずんでやるからよ』
それを聞くと娘は
『私行くよ。おじさん、お代はずむって言ったよね』
『ああ、もちろんさ。布で払ってやるよ。』
『母さん、行っていいでしょう。そしたら何とかこの冬を越せるよ。』
横たわっていた母親は首を振りながら涙を流し、娘の足をつかみ、かすれ声で拒否します。
男は大声を出し『娘は行くといっているじゃないか。』
と怒鳴りつけ袋の中から布を取出し母親の顔に投げつけました。
その布は、はらっと広がりましたが半丈(1.5m)もありません。
貧しい家の子は幼なくても物の価値にさとく、娘は思わず言いました。
『さっきお代をはずむといったじゃないか』
男は娘の頬をバーンと張り飛ばすと
『この餓鬼が。お前にそんな値打ちがあるか。これからお前に飯も食わせるし、これでも多すぎるぐらいだ。さあ、来い』
と手を引っ張って連れ出そうとします。母親は必死の形相で娘の足を引っ張りますが、男に振りほどかれます。娘はその瞬間、わーんと泣き出し、同時に弟や妹たちも恐怖におののいて泣き出しました。無理もありません。まだ小さな子供たちです。その尋常でない泣き声は村の方まで響き渡り、村人達が様子を見るように戸口から顔を覗かせます。すると男は『うるさい!泣き止め、これもくれてやる』
と一升ほどの米袋を小屋に放り込んだのです。娘は泣きじゃくりながら自分の名を呼ぶ母の方を振り返りました。大きく目を開いた母の顔がそこにありました。それが今生の別れとなったのです。」
(カーンと拍子木が一つ鳴ると、脇の闇から遊びが登場)
二十ばかりの遊びが歌い始めた。歌詞は正確には思い出せないが次のような内容だった。

私は家族を捨てたわけじゃない
生き延びて欲しいだけ
私の大事な母さんに生きてほしかった

弟、妹、母さん頼みます 肩寄せあって
冬の三月(みつき)を越えましょう
みんなで耐えて、救いの春が芽吹くまで

(この間に2番ほどあったが忘れた。)

私はいつもそばにいる
どんなにつらい定めでも
みんなが生きていることを
遠い空から見ています
それでは皆さんさようなら。
それでは皆さんさようなら。

  別れの情景がその場の出来事のように歌い上げられていった。焚火の周囲で聞いていた侍や武骨な人足達も涙にくれない者はなかった。あの者達もそんな辛い目にあってきたのかもしれない。


東海道の難路、足柄峠を踏破する


  馬がどたどたとそばを通り、我に返る。そうだ、今日は足柄峠を超えるのだ。気合いを入れていかねば…、でも寒い。「おーさむ」
向こうの焚火では火を囲んで、父、兄、三郎、虎吉、源蔵らが打ち合わせをしている。 その向こうでは侍たちが弓に弦(つる)を張り、ぶんぶん鳴らして出発の準備をしている。

「美代次と家の者は、ご家族の宿営道具と身の周り品だけ持って、もう出発しました。お食事が済み次第、殿を始めご家族はご出発いただきます。それから物資の輸送にかかりますが、二段構えで行います。峠入口までは、なんとか馬が使えますので、そこに仮屋を3棟設営します。1棟は宿営用。もう2棟は荷物の保管用です。どうも明日辺りから天気が崩れそうです。そこまで運べる限り馬で運び上げます。相模の馬は明日の昼過ぎには返さなくてはなりませんので大変です。馬には今日は米糠をやって気張ってもらいます。目方の重いものはどうしても馬でないとはかが行きません。
峠入口から先は全て人足の肩で運ぶことになります。山道を人が運べる量はたかが知れていますので、関山まで全て運び終えるまでには数日、おそらく四日か五日かかるでしょう。警備については源蔵から説明してくれ」
源蔵はたどたどしい口調で
「まず、相模から応援に来てくれている者達のうち3名にご家族の警護を頼みます。地元で道を良く知っておりますので好都合かと存じます。三郎様もご同道願います。最初、峠入口の仮屋とこの場所に4人づつ警備の者を置き、残りが輸送中の馬の護衛に当たります。あっしは荷物を全て運び終えるまで、ここ関本におり、最後の馬が帰るのを見届けてから、峠入口の仮屋に上ります。」
虎吉が、付け加えるように
「私は峠入口の仮屋で荷の出入りを点検しますので、荷が全て運び出されるまでそこにおります。雇い入れた人足には着き次第、まづ木を伐らせます。仮屋の設営には夕方までかかるでしょう。」
(※峠入口とは現在の地蔵堂辺り。当時は何もなかった。ここから急坂の山道になる。)

  まだ夜が明けきらぬ暁に、私たち家族は出発した。天気は昨日と同じようにどんよりとして寒い。相模の侍を先頭に歩き始めた。吐く息が白く指先が冷たい。みんなが揃うのを待つ間も、足踏みしていなければ我慢できない。
歩くこと一刻、峠入口に出た。虎吉が話していた仮屋を立てるという場所はここだ。

「四日か五日の事でわざわざ仮屋まで立てるのは大変ねー」と言っていると
鳶丸が口を挟み、
「この天気だと雨が降るかもしれません。この寒さで雨に濡れたら命取りになりますから、仕方ないんです。荷物も濡らすわけにはゆきませんから。」
確かにそうだ。言葉には気を付けねば。ところで、この旅には赤牛という名の中年の匠(大工)が同道している。正直、風采のあがる男には見えないが宿営の時は本当にすごい。庵を張ったり仮屋を作るときは、てきぱきと場所を決め、柱にする木を指定して伐らせる。そして、斧だけで切り込みを入れ、組み合わせて、あっと言う間に形を作ってしまう。あとは人足に茅を刈らせて屋根や壁を作るだけだ。たいていは立木をそのまま利用し庵や仮屋を設営する。柱を立てる手間がないので作るのに時間がかからない。まさに臨機応変で、さすが匠の技と感心する。あの赤牛おじさんが居なければとても長旅はできない。
 峠入口で少し休憩し、いよいよ山道をよじ登る。うっそうたる森に真っ白な霧がかかり行列の先頭がかろうじて見えるだけ。草に覆われた狭い道をかき分け恐怖に震えながら深い闇の中に入っていった。
「ひょっとしたら、この白いものは麓から見たら雲かもしれませんね。」とユリが言う。
「そうだ、これきっと雲だよ。私たち雲を足で踏んで歩いているんだ。ねえそうでしょう。」
姉がにっこり後ろで頷いた。

こうして歩くこと一刻(約2時間)で足柄峠に出る。少し先は真っ白で何も見えない。 相模の侍の頭が父に向かい、西の方を指し、
「晴れていれば、あの辺に冨士の嶺が見えるんですが、今日は雲が厚くて見えません。今、冨士の嶺は煙を噴き上げています。夜になると頂上の辺りが赤く輝いて見えます。」
峠で暫く休み、山を下り始めた。最後尾から侍と三郎のおしゃべりの声が聞こえてくる。
「この道はこんなに急なもので、荷を積んだ馬は通れねえんです。しかし荷を下せば何とか超えることはできます。昔、坂東で盗んだ馬をこの峠を秘かに超えて西に運び駿河で売り飛ばした盗賊が居たそうです。そして今度は駿河で馬を盗んで武蔵に戻り、また売り飛ばして大儲けをしたと言います。1頭や2頭ならそんなに難しくありませんが、十頭以上になると空馬でも道一筋しかないこの暗くて狭い山中を大人しく歩かせることなどできません。半分は逃げてしまいます。よくもそんなことができたものだと思います。相当に馬の扱いにたけた連中だったようです。」

少しばかり開けたところで、しばし休む。この寒く暗い山中には私たち以外誰もいいない。あるのはただ風の音だけ。ふと見ると傍らの木の下に葵がたった3筋のぞいている。
「世間を離れてこんな山中だからこそ生き残っていたんですよ。本当にけなげなものですね。」
と大人たちは同情することしきり。下りには川が三つあった。渡るたびに足袋や草鞋が濡れる。
心の中で「足がちめたーい。」
と叫びながら転がるように麓を目指した。
  坂を下りきるとそこはもう駿河だった。板を何枚か渡した川(鮎沢川)を渡ると、前に小高い丘が見えてきた。もうお昼に近かった。侍の頭が父に向かい、
「あれが関山です。少し登りますが大したことはありません。」
「来るときには、そうとも感じなかったが、結構高いところにあるんだな」
「そこの鮎沢川を下れば伊豆の国に出ます。関の前の道が東海道でここから右に行けば甲斐の国でございます。関山に登ってしまえば、あとは楽な道です。」
山の上は平坦になっていて、村には家がたくさんあり、人の姿も多く賑やかそう。これくらいの村に泊まるのは久方ぶりだ。村の中ほどに大きな屋敷がありその前で、先に出発していた美代次が待っていた。
「殿も奥様もお疲れ様です。お待ち申しておりました。こちらがこの横走りの関の村長を務めております、横山の牛養(うしかい)です。こちらに宿を頼んでおります。」

「これはこれは、上総の前司様。ようこそおいで下さりました。手前がこの村を与かっております横山の牛飼と申します。本日は早朝から峠越えでお疲れになりましたでしょう。すぐお上がりいただき、おくつろぎください。温かいお食事も用意しております。どうぞこちらからお入りください。」
「上総の前司菅原じゃ。暫く厄介になるがよろしく頼む。4年前に通った時は貴殿の父御(ててご)だったのかな。確か、白いひげを生やしておったあの…」
「あ、あれは手前の父親でしたが昨年亡くなりました。それから私が村長を引き継いでおります。」
脇から女が出てきて
「奥方様、姫様方も、ささ、どうぞこちらへ。」
と案内され一同、中に入る。先に来ていた栗女(くりめ)が水桶を持って来て、この家の奉公人のように、
「お着きになりましたか。奥様、さあ、草鞋(わらじ)を脱いでそこに腰かけてください。足をお洗いします。」
勧められるままに、長者の屋敷に上がり、まづ、囲炉裏のある部屋に通された。まだ、真昼間というのに囲炉裏には火が明々と起こされていた。」
この屋敷の内儀と思われる先ほどの若い女が
「ご遠慮なく、火で足を乾かしてください。外を歩いていると足の感覚がなくなるくらい冷えてしまいます。冷えは万病の元ですから、どうか気になさらず足を前にお出しください。」
正直、足が冷え切って震えが止まらず、私が真っ先に炉の前に座り込み赤くなった足を前に出した。すると大人たちもそれにならい、囲炉裏を囲んでずらりと足が並んだ。思わず私が吹き出すと、みんなもどっと笑いだした。
こんな具合で駿河の国、横走りの関での滞在が始まった。

 


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双葉葵(フタバアオイ)
ウマノスズクサ科カンアオイ属
多年草。写真は10月30日撮影したので、そろそろ枯れる頃。元々森林の日陰を好む植物。
京都加茂神社の葵祭で用いられるので、更級一行にもなじみが深かった。それで枯れ残っているのに目ざとく気付いたのである。

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