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菅原孝標が帰京後、藤原実資の娘千古家の家司に任ぜられるに至った決め手

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 万寿四年(1027)4月21日に菅原孝標は右大臣藤原実資の娘「かぐや姫」こと千古(ちふる)の結婚に備え独立した藤原千古家の家司に任ぜられている。このとき同時に内蔵助藤原経孝と学生藤原行光も採用されているが、あとの二人は明らかに実務担当者であり、孝標がその最終管理責任者であったと思われる。この家司の職務とは、私的な業務であるため家によってさまざまだが、藤原千古家については資産管理であろう。千古は父実資からその大部分の財産を譲られたため、相当な資産があった。とはいえ、世間知らずの箱入り娘に資産管理等できる訳がありません。しかも現代と違い現金や株という金融資産ではなく、多くは地方にある荘園が産する現物資産であったため、大人の男性でもそれを管理し収納するのは容易なことではなかった。うかうかしていると、他人に横領され本来の所有者が没落してしまうことも日常に起こっていた時代であった。資産家であった藤原実資の有する資産規模はちょっとした国(当時の)に匹敵したかもしれず、それを管理運営するには受領国司のような実務経験者でないと務まらない大変な仕事であったと想像される。


菅原孝標の受領国司としての実績は相当な物であった

  孝標が家司に選任されたのは、受領として大いに業績を上げたからである。受領の業績とは、上総の国を豊かで立派な地域にしたということで間違いはないが、はっきり言えば、いかに任国から収益を上げたかということである。あえて孝標の名誉のために言えば任国から得た直接の国司報酬そのものではなく、それを元手として大きな財を成し得たことが並ではなかったのである。孝標は帰京後、三条天皇の退位後の住まいであった広壮な旧三条院を購入しているが、これは現代で言えば東京赤坂の東宮御所を買うようなものであろう。それは当時の都人には大きな驚きであり、菅原孝標の理財、計数の才覚や能力に対し、羨望と尊敬の念を抱かせたにちがいない。そうでなくては、受領経験者などわんさといるのだから知恵者で名高い実資の目にとまるはずがなかった。古典文学の世界では孝標は凡庸という評価をされているようだが、それは、歴史や文学関係者が関心のある政治、文学の分野の話であって、地方行政官としての能力、理財の才能については別の話である。この方面の能力に長けていたからこそ藤原千古家の家司に任ぜられ、またその財力で没落しかけていた菅原家嫡流の地位を回復することができたのである。

かぐや姫とよばれた藤原千古の略歴


藤原実資54才頃(寛弘8年1011年)に儲けた女子で、あまりの溺愛ぶりに世間の人から『かぐや姫』とあだ名されていた。(大鏡)。いくつかの縁談があったが、最終的に藤原道長の孫、藤原兼頼と結婚した(長元2年1029年)。長暦元年頃27歳くらいで一女を残し死去したらしい。
 実資の日記『小右記』には「小児」、「小女」として何度も登場し実際に孫のような娘を可愛がっていたか分かる。彼女の名前は『千古』と伝えられているといわれるが、実はその出典ははっきりしない。本来、皇族や高級貴族の子女でなければ本名は伝わらないので、皇族の妃でもない実資の娘の名が伝わるというのは、本当なら非常に稀有な例である。


藤原実資は菅原孝標が二人のお娘を持つ父親であることにも着目


孝標には更級日記作者である娘とその姉の二人の娘がいる。更級作者は千古より3年年長であると考えられている。いわばほとんど同世代である。孝標が実資に任用された理由として二人の娘を手元で育てた父親であったということも無視できない。実資としては遅く授かった幼い娘をどのように育ててゆくのか、同じ年頃の娘を持つ父親仲間を必要としていたのではなかろうか。そのようなことを考え合わせれば孝標は千古家の家司として最も適任であった。
孝標は家司である立場から実資が千古を愛し可愛がる姿を日常的に見ていたはずである。一方、更級日記をみても分かるように孝標もまた娘をいつくしんだ人であった。父親として実資と孝標には相通じるものがあり、職務を越えて千古の幸せを確かなものにするため献身したのではないだろうか。
千古家の家司を務めた後、孝標は二度目の国司、常陸介に任ぜられるが、それを蔭ながら後押ししたのは実資ではなかったかという想像がわいてくる。思えば、孝標は父親を早く亡くし有力な後援者が居なかった。そのため文章博士にもなれず、受領任官も40歳まで待たねばならなかった。その後も上総赴任期間は都を留守にしているので、中央の有力者に取り入る暇がなかった。孝標が初めて有力者と親密な関係を持てたとすれば藤原千古家の家司を務めた期間しかない。実資は孝標の献身的な職務遂行に対し、蔭ながら受領任官を後押しする形で報いたのではないだろうか。


孝標と実資のある日のひそひそ話(仮想会話)


実資「前司殿(孝標のこと)、今日は折り入って娘の事で聞きたいことがあるのだが」
孝標「いかがなされました。何かお身体の具合でもお悪いのですか」
実資「いや、そんなことはないのだが…。実は最近どうも娘としっくりゆかんのだ。半年くらい前までは、わしが宮中から戻ると奥から転がるように飛び出してきて出迎えてくれたのだが、最近は出迎えどころか…。昨日も宮中で頂いた珍しい菓子を土産に持ち帰ったのだが、姿が見えない。そこで、わしの方から部屋まで出向いて
『姫、今帰りましたよ。今日はおいしい菓子を頂いてきたので一緒に食べましょう』
と声をかけたのに、ものも言わず几帳の陰に隠れるのだ。そばにいる女房に小声で何かあったのかと問うても、何も特別なことはなかったという」
「それはご心配なことです。」
「どうなんだろうのう。時々わが身を振り返って思うのだが、ひょっとして千古はわしのような老いぼれが、父親であることを恥じているのではないかな。父親と言えば普通は二十代かせいぜい三十代だ。女房どもが最近いろいろ物語なんどを読んで聞かせているらしい。そこに出てくる父親はそれは若かろうて。それに引き替えわしは、頭は薄く、皺だらけでよぼよぼしとる。」
孝標は何事かと真剣な顔で聞いていたが、そこまで聞くと、笑ってよいものかと思案顔で、
「大殿、それは全然違いますぞ。女の子とはそんなものなのです。手前には三年前に亡くなった上の娘と、姫君より三歳年上になる下の娘がおりますが、二人とも同じでした。上の娘が十四、五になった時分でございましたか、急に私を避け、話しかければツンツンした返事しかしないのです。一体何が気に入らないのか、さっぱりわかりませんでした。暫くして、人から教えられて分かったのですが、それは女の子が子供から「女」になりかけてゆく自然な姿なのです。父親から離れないことには、婿殿を迎えることもできません。これは、殿、父親として喜ばしいことですぞ。」
「そうか、そんなものなのか。しかし、それは寂しいのう。で、わしはこれから、どんなふうに姫に接すればよいのだ?」
「今までと変わらぬ態度で構いませぬ。ただ、言葉遣いは大人に対するように、少しづつ変えてゆかれたほうがよろしいかと存じます。姫もいつまでも幼児のように扱われては、うっとうしいと思われるのでございますよ。大人としてお接しになれば、頼もしい父上でございます。何でもご相談されるようになると存じます。」
「そうか、いつまでも可愛く小さいままで居てほしいというのは、所詮無理な話というものかな。」
「私は上の娘を亡くしてはっきり分かったのですが、女の子の方が男の子より父親の事を大事に思ってくれるものです。二十歳近くになるともうすっかり一人の女性です。お恥ずかしい話ですが、上総から戻ってから暫く家の中で、少しばかり揉め事があったのですが、その時は、この娘には助けられました。」
実資は声を潜め
「それは、ひょっとすると、北の方と上総の大輔とのあれのことか?」
「さようでございます。いやいや、男たるもの、女の争いの前には全く無力でございます。妻の方では、上総の受領任官は自分の里の後押しで実現できたのだから屋敷の女あるじは自分だと思っているのです。ところが橘どの(上総大輔のこと)は、上総に同道し四年間も家族の面倒を見てきたのは自分で、妻から召使扱いされる謂われはないと思っているのですから、小さなことから大きなことまで、ことごとく衝突して喧嘩になるのです。これにはまいりました。そんな時、娘はそのたびに妻に意見をしていたようなのです。妻は私の言うことなど耳も貸しませんが不思議と、娘の言うことは聞くのです。それで何とか治まるかと思っていたのですが、結局、橘どのの方から家を出てゆくと言い出して、ことは終わりました」
「そうだったのか。その娘御は早くに亡くなって惜しいことであったな」
「はい、今でも孫の顔を見るたびに、娘の面影が浮かび涙が出てまいります。いや申し訳ありません。私事で失礼いたしました」
「わしの方こそ、悲しいことを思い出させてすまなかった。今日はいい話を聞かせてくれた。また色々教えてくれ。礼を言うぞ。」


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