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富士、愛鷹山を巡って富知の社へ

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平安時代東海道を京に上る
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冬の野原の掟(火気厳禁)


寛仁4年10月15日(ユリウス暦1020年11月2日)


  昨日、夕食の後、皆くつろいだ気分になっていた時、父が誰に言うともなく、突然
「明日、早朝出発する。身の回りの物を片付けて準備しておいてくれ」
まま母さんがびっくりして、
「まだ支度が十分できてないんですけど…。もう一日位延ばせませんか」
「いや、ここでは、ゆっくりし過ぎたようです。もう遠からず雪も降る。急で申し訳ないがよろしくお願いします」

そんなこんなで、慌ただしく出発することになった。
身の回りの物といっても、そんなにないし、上総や、途中で仕入れた品物は、ほとんどここで売り払い、軽い物かさばらない物に変わってしまった。目立つものは6頭の馬だけだが、これはしっかり荷物を運んでくれる力持ちだ。勢ぞろいした行列を眺めてみると 上総から連れてきた馬が7頭いるので、馬だけで13頭だ。先頭の馬には侍が乗るが、それ以外の馬は全て荷物を積んでいる。
源蔵が点呼を始めた。

侍7人と三郎、源蔵 計9人
家の者…虎吉、美代次(手代)、猪野次(手代)、百合(乳母)、牧人(まきひと)、火麻呂(ほまろ)、鳶丸、犬丸、猪野(以上雑色)、蓬(よもぎ)、栗女 以上10人
家族… 父 継母、兄、姉、自分、弟(チビちゃん、芳麻呂) 以上6人
随行者…赤牛(匠)
合計27人
  これまで荷物の運搬のために臨時に雇い入れていた人足はもう居ない。ずっとこれだけの人数で京の都まで旅をする。
それに横走関に取引に来ていた伊豆の商人4人が次の永倉駅まで道案内を兼ねて同道する。
  横走関の広場に一同勢ぞろいした。いつもは空が白み始めると出発だが、今日は世話になった横山の牛養(うしかい)や村人との挨拶があり、日が登ってからの出発となった。10日程の滞在だったけれど、やはり別れはつらい。特に蓬や栗女は炊事のことで随分、牛養のおかみに世話になっていたから、名残惜しそうだ。
馬にまたがった源蔵が、
「用意はいいか。行くぞー」と大音声を上げると、男たちが拳を突き上げ
「うぉー、うぉー」と応えた。
ユリが
「頼もしいですね」と言うので、
「気合い入れるのに、あんなに大きな声でなくてもいいのにね」と言うと、
「いえ、あれは盗賊にも聞こえるようにやっているのです。これだけ大人数がいるんだぞー、と威嚇しているんです」
男たちは父を除く全員が富士の嶺に向かって吠えた。牡鹿(おじか)という侍の肩の上でチビまでが拳を上げて叫んでいる。牡鹿は蓬や鳶丸達と同じ村の出で、いつも年下の者の面倒を見ている。芳麻呂もすっかり牡鹿になついてしまった。
このところいいお天気が続いているが、風が冷たい。周りはすっかり枯野だ。大人の背丈以上もある野の草の穂先の上から冨士の嶺がすっくとそびえている。これからまた旅が続く。村の人々に見送られ歩き始める。


  女たちの前を父と兄、虎吉が歩く。村はずれまで来ると、虎吉は後ろを振り返り
「やれやれ、きわどいところでしたな。信濃の連中がもう一日来るのが遅れたら、大損する所でした」
父はにやにやしながら、
「そうだな、出発はこれ以上延ばせないからな。信濃の連中が来なければ、取っておいたものは二束三文で牛養に引き取らせるしかなかった。山賊が信濃の猟師たちだとわかった時の奴の落胆ぶりはなかったな。遅れてもいずれ来るのは分かっているから、大儲けできると、わくわくしていたんだ」 
兄が口を挟み
「聞いた話では結局、猟師、山師、博労たちが集まって一緒に旅をするため、揃うのに手間取って出発が遅れたと言っていましたね。各自別々にやってくれば、いいと思うんですけどね」
「若、今のご時世、小人数ではとても旅はできません。特にお宝を持って山道を歩くなんぞ、山賊に餌をやりに行くようなものです」
「それは分かっているんだけど…、いつか、山賊の心配をせずに旅ができる時がくるのかな。ところで、父上、あの横走の関はあの村が自分たちを守るためにあるのですか? それとも、お上の命で木戸を設け旅人を監視しているのですか。それにしては役人の姿もみえませんでしたが」
「昔は、確かに駿河国府の役人が兵士を連れてきて来て木戸を固めていたこともあったらしい。そもそも関が出来たきっかけは承平・天慶の乱だ。都の偉い方々は、平将門が攻めてくるのではないかとびっくり仰天したらしい。それで乱の後、関を作った。しかし将門は相模までは来たが、元々足柄を越える気などなかったんだ」
「若、ここだけの話ですが、坂東では『将門』などと呼び捨てにしてはいけません。上総、下総では『将門様』と呼ばないと、とんでもないことになります。都では謀反人ということになっていますが、坂東では悪い国司達をやっつけてくれた英雄なのです」
「乱はすぐに鎮圧されたんで、関はいらなくなったと思いきや、別の問題が起こった。昔は任地に土着した平氏や源氏の子孫が諸国の国府の役人をやっていた所が今よりずっと多かった。将門と争った親類もほとんど国庁の役人をしていた。そういう連中が武器を蓄え、利害が衝突すると血みどろの争いになる。乱後、その反省から諸国に兵士を置かせないようになった。ところが、今度は武器を持った盗賊がはびこり、役人が取り締まろうにも徒手空拳では何もできない。それどころか、この駿河では数人の役人が殺される事態になり、慌てて武装の認可を太政官に嘆願したんだ。それ以後、他の国でも武装した侍を置くことが認められ、やっと盗賊被害が減ってきた。横走関の村は崖の上の山で守りやすい上に、その昔、横走駅家が置かれ人も多く場所もあるので、関が置かれたんだ。しかし、幸いなことに国府や村がそれぞれに武装して自衛するようになると、襲う方も無傷では済まないので、大きな事件は起きなくなってしまった。横山の牛養(うしかい)の話ではもう爺様の時代にも国府から侍は来ていなかったそうだ。ただ、関の木戸はそのまま、村で管理し、この前のような盗賊騒ぎがあるときには閉めているということだ」
「若、上総で弓の方は上達なさいましたかな?」
「うーん、そういわれると…庭の的を狙うんなら多少は当たるけど、とてもじゃないが三郎の足もとにも及ばないよ。三郎は走る馬の上からでも半分は当たるから」
「まあ、それでも少しおは役に立つでしょう。これから、危ない山中も通りますが、いざ、盗賊が来れば私どもも弓矢で戦わねばなりません」
「そう言えばも矢もしっかり仕入れていたね」
「それにしても殿、この度の上総でのお役目、大過なく終わり幸いでした。坂東は荒くれ者が多く何が起こるか分からぬ土地でございます」
「そうだな。皆の協力あっての御蔭だが、それに天にも感謝せねばならん。この4年大きな大水も日照りもなく作柄が良かった。それが一番だ。百姓等も実入りが良ければ素直に税を出すというものだ。」
「そうでございます。悪党共も自分たちの隠し田の収穫で手一杯だったのでしょう。奴らがこれまで国衙から知られぬように、こそこそと開いてきた田も随分な広さになります。目立つところだけは帳簿に載せますが、多くは目をつぶってやりましたので文句はないでしょう。殆ど調べは着いておりましたが、筋を通すと、お互い大変なことになります。追徴課税を申し渡しても簡単に言うことは聞きませんので、兵を差し向けることになります。そしたら、下手するとこちらにも怪我人が出ます。経基(在庁官人、上総掾、三郎の父)が押領使に任ぜられていますので、弓矢を使うにやぶさかではありませんが、実際にそれを使うのは暴力で楯ついてきたときくらいですな」
「平忠常の事だな」
「そうでございます。あのチンピラ、手下を連れて下総、上総のあちこちをうろつき、地元で国衙の役人と揉め事があるや姿を現し、催促に来た役人を脅すのです。すると大抵の役人は見たものを見なかったことにして逃げ帰るのです。忠常め、あとで地主からたっぷり供応を受け土産を貰っているのでしょう」
「確かに忠常はゴロツキには違いないが、それにしても俺は坂東の土地は気の毒だと思わんこともないのだ。その昔、蝦夷征討の時代には必ず、兵、兵粮、兵器を出すのは坂東諸国だった。蝦夷を捕えれば俘虜の管理を押し付けられる。何度も反乱が起こり、村は焼かれ鎮圧に苦労した。蝦夷征討が終りになってやっと、落ち着いたかと思えば承平・天慶の事件だ。お蔭で下総、上総は焼け野原で百姓等は逃げ散り亡国になってしまった」

虎吉は慌てて、父を制するように
「将門の乱等と言いますが、上総で話を聞きますと、あれは悪党どもが都のお偉方をだまし無理やり将門殿を謀反人に仕立て上げた事件というではありませんか」
「そうだ、お上が事情をよく調べもせず、ただ、目の前の目障りな物を消そうとしたんだ」
「その結果、坂東は焼け野原、人はいなくなり、税をとれる所は、どこにもなくなってしまいました。大きな声では言えませんが、都のお偉方のお目は節穴ですかね」
「昔のことはさておき、あの忠常、今はチンピラだが味をしめてだんだん増長して行かねばよいが。百姓共もまずいとは分かっていても、少しでも多く収穫を取り置きたいのが本音だ。あんな奴らに関わるなといっても聞く耳は持つまい」


  川(黄瀬川の上流)を渡った。とても水が冷たい。男たちは膝まで浸かって浅瀬を渡ったが、女子供は輿で渡された。全員川を渡り終えると、すぐ出発だ。馬は一番に渡され、たっぷり水を飲んでいた。足が濡れたら火でも焚いて乾かして出発したいところだろうが、皆、黙々と歩き始める。
兄に
「ねえ、足は冷たくないの?」と聞いてみた。
「それは今は冷たいけど、歩いていた方が温まって自然に乾くよ。あそこで火をおこすのを待ってじっと立っているより、よっぽどましさ」
目の前には尾花や枯れかかった萩、荻(おぎ)ばかりの野がどこまでも続く。冷たい秋風が吹き抜ける瞬間、草がなぎ倒され、一瞬草の間から紅葉した山が姿を現す。

 (静岡県裾野市御宿辺りから愛鷹、富士を望む)

 一刻(とき)ほども歩いたところで一休みとなった。先頭を歩いていた伊豆の商人と虎吉が西の方を向いて話しこんでいる。
「右が富士のお山で左が愛鷹(あしたか)山です。昔はちょうど二つの山の間を東海道が通っていて、この辺り(現在地:御殿場市永原)に下りてきていたそうです(十里木越え)。そこを通れば、横走りから富士川まで一日で行けたそうです。もちろん荷駄がない場合の話ですがね。馬は水場のないところは通れませんから」
「いつごろからそこを通れなくなったんだ?」
「延暦の大噴火以来です。それが治まっても時々小さな噴火があり、最近では二十年ほど前にも溶けた岩が噴出したそうです」
「では、今は何とか通れるのか?」
「通れるそうですが、ガレ場が続き足場はよくないそうです。それに秋から冬は西から東に吹き抜ける突風が小石を巻き上げ飛んでくるので危なくて、よっぽどのことがなければ通らないそうです」

太陽が頭の上に来た頃、ちょっとした事件が起こった。右手に愛鷹山を見ながら、どこまでも続く藪コギをしながら皆の足もくたびれた頃、ずっと先の方で源蔵と思われる怒声が聞こえた。
   そこは小さな流れのある少し開けた場所で休憩場所らしい。そこでは源蔵の前に三人の少年が膝まづき、猪野などはしゃくりあげて泣いている。その前には湯沸かしの鉄鍋がひっくり返っている。集まってくる人々も一体どうしたのかしらと、遠巻きに見ている。 虎吉が源蔵と小声で何かささやき、
「みんな大したことじゃない、馬の荷物を下して水を飲ませに連れていってくれ。蓬と栗女は食いものをみんなに配るんだ」
   思い思いに腰をおろし一休みするが、吹きつけ舞上がる風に身をこごめ、じっとしていると身体が冷えてくる。蓬が渡してくれるお握りを寒さで凍えた指で受け取り、ほおばれば、やはりほっとする。蓬がそっと耳打ちして言うには、
「あの三人組、火を焚こうとして源蔵さんにぶん殴られたようです」
「火を焚いちゃいけないの?」
「もちろんです。一面の枯野なので、こんな風の強い日に焚火をしたら、周りに燃え移って皆な丸焼けです。それだけではありません。近くに村があったらそれも、もろとも焼き払われてしまいます。この辺はちょっと草が少なく開けていますが、燃えさしが風で舞い上がろうもんなら大変です。すぐ大火事になります、私の村の近くでも実際にあったんです」
「なぜ、鳶丸達は火をおこそうとしたの?」
「それが、あまり冷え込んでくるので、殿やご家族に熱い湯を差し上げたいと思ったらしいんです」
継母さんや姉さんはそれを聞いて、
「まあ、それは気の毒な事だったね。気をきかしてくれたのに」
兄が口を挟み
「でも、どんなことより火の用心は優先だよ。命にかかわるからね。4年前上総に赴任する前に受領経験のある叔父さんに『国司の心得』の解説をしていただきましたよね、父上。あの時、火事の注意がくどかったですね」
『国務条事』のことか。そういえばあの前司様は他の項目は念仏のように通り一遍だったが、火の用心だけには力が入っていたな。何でも、雑色が落ち葉を焚いていて倉庫の屋根に燃え移り危うく大火になるところだったとか。辛くも消し止めて大事に至らなんだと。確かにこれは人ごとではない。源蔵は普段は無口だが命に係わるときは厳しい。あの子供たちに身体でわからせているんだ」
継母も話に加わり
「そういえば日本紀にある日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が草薙の剱(くさなぎのつるぎ)を振るって賊が放った野火を消し止めたというのはこの駿河の国ではありませんでしたか?」
「確かに駿河の国だが、場所としてはもう少し南の焼津(やいづ)というとこらしい。でも、きっとここと同じ一面の枯野だよ」
 休憩が終り行列が動き始めたが、三人組は列の最後尾につき首をうなだれ、とぼとぼとと歩いている。身体が一番小さい猪野は大きな鍋を背負い亀になってしまった。匠の赤牛おじさんが横についてが何やら話しかけている。後ろを振り返るともう冨士の嶺は雲に覆われてしまった。
   日が傾く頃、本日の宿営地、永倉駅家(ながくらうまや)に着いた(現在地推定:静岡県駿東郡長泉町下長窪)。と言ってもただ平坦な広場があるだけだ。昔はここに替え馬や宿泊の建物があり、公用の場合に限るが食事迄面倒を見てくれたそうだ。もちろん今は何もない。でもこれだけ広い広場で愛鷹山から湧いてくる水もたっぷりある。いつものように、男たちは周辺の木や草を刈り払い、枯れ木を集め焚火の準備をする。日暮れまでも間がないので、みんなせわしなげだ。匠と少年三人組はあっという間に私たち家族の庵を建て、それから他の者が入る庵を建て始めた。できた庵にはユリと継母それに私たちも一緒になって中のしつらえを整えた。雨は降りそうにないのでとても助かる。
西の空が赤く染まる頃、食事が始まった。今日は随分歩いた気がする。前半はほぼ平坦、後半は下り坂で道は険しくなかったが、藪ばかりで岩が多く草鞋(わらじ)を3足も使ってしまった。ここでは焚火は私ら家族用、家の者用、侍用の3つだ。風のある日は食事が終わり次第、侍の庵の前の焚火だけ残し、火の用心のため消してしまう。食事の時、父は三郎を家族の焚火に呼び、声をおとし、
「どうだ、少年どもの様子は?ほかの大人ならともかく、あの源蔵に力いっぱい殴られたら、怪我しなかったかな」
「いえ、怪我はしていません。源蔵もそれは心得ています。私もあの位の齢の時にやられました。その時は痛いですが、傷は残りません。五月雨の合間の剣術の練習の時でしたか刀を抜こうとしたら錆びて出てこなかったのです。あっと思った瞬間、手がぬっと伸びて鞘ごと奪い取られ、鞘の腹で背中をバシーンと叩かれました。
『若、ぬしはもう殺されとる。刀の手入れもできねえなら、畑でも耕しとれ』と。
これを父の前で言うんです。悔しかったですが、今になって、ありがたいと思います。侍は油断したら命取りです」
「そうだな、命にかかわることは身体で覚えさせねばならん。可哀そうだがな。後で三郎から慰めといてくれ。ところで明日も天気は良さそうだから、予定通り富士の宮に着けそうだな。久々に歩いたので、年寄りには足にこたえるわ」
「殿、明日はただ愛鷹山の山裾を歩くだけですから、野遊びのようなものではないでしょうか。水場も多いし馬も草を腹いっぱい食べられるでしょう。枯野ばかりだといい草が少なく休憩時間だけでは十分食べられません。それでは力が出ません」
兄が心配そうに三郎に向かい
「馬の餌の事だけど、これから草が少なくなるので、どこかで大豆とか稗などを買い入れないともたないな。どこかで手に入るところがあるかな。でないと、人が食べる米を食わせることになる」
「そうですね、馬が13頭に増えましたから、飼葉も馬鹿になりません。たぶん富士の宮ならあると思います。馬は高価なお宝ですから、ちゃんと食べさせないと病気になったり怪我をします」
継母さんが笑いながら
「それじゃあ、まるで馬が自分の食糧を背負って野遊びに行ってるようなものだね」


寛仁4年10月16日(ユリウス暦1020年11月3日)


  昨夜は寒かった。夜明けにはまだ間がありそうだったが、目が覚めるとすぐ、姉さんと炊事をしている焚火の前に行く。正直に言えば火にあたるためだ。焚火の前では、蓬と栗女が湯を沸かしながら互いの髪を梳かしていた。
「おはようございます、茜様。お早いですね」
「寒くて、火にあたりに来たの。二人は寒くなかった?」
「冷え込みましたけど、昨晩私たち馬の毛皮にくるまって寝たんです。とてもあったかでよく眠れました」
「その毛皮ってなんなの?」
栗女は
「ほら、横走りで仕入れた馬皮ですよ。虎吉様から夜は冷えそうだから、仕入れた毛皮を使ってもいいとお許しが出たんです。そしたら牡鹿兄さんが皮を抱えてきて『二人を巻いてやるぞ。早く準備しろ』と云うんです。それで急いで横になって二人抱き合った所を巻いてもらいました」
蓬が
「毛皮って寒さには一番です。それに栗ちゃんって、とてもあったかいんですよ。寒い時には毎晩お願いね」
蓬は栗女の髪を梳きながら、嬉しげに
「姫様、この櫛、昨日長者のおかみさんから土産に頂いたんです。取っておいた猪の脂を着けると、とても気持ちよく髪をとかせるんです」と歯が二、三本欠けた白木の櫛を見せてくれた。
私たち家族には赤い漆塗りの立派な櫛を頂いた。
「私も…」と言いかけたら、姉さんが肘でつつくので、話題を変え
「私も毛皮で寝たらよく眠れたかなあ」
「でもねえ、茜様。生皮はとても臭いんです。匂いが移って、私もまだ臭いんです。近寄らないで下さいよ」
東の空が薄明るくなってきた。既に匠の赤牛おじさんと猪野は家人用の庵を片付けている。姉さんは猪野の方を見ながら蓬に尋ねた。
「ねえ、あの三人の様子はどお?」
苦笑しながら
「いや、大丈夫ですよ。昨日奥様から『気遣いありがとうと伝えて』と三人に乾し柿を渡すよう申しつかったんです」
「じゃ、もう機嫌は直っているのね。よかった」
食事が終わって出発する時、いつものように侍たちを前に源蔵が短い注意をする。
「今日は一日愛鷹山の山裾を廻るだけだ。しかし油断するな!長く伸びた列の真ん中に山側から矢を射かけられたら、反対側は沼だ。追い落とされ分断され、わずかな敵にもやられる。油断大敵だ。ぼんやりするな、よく見張るんだ」
 歩き始めて半刻(1時間)もしないうちに『かみつ池』(現在の門池)という池に着く。ここで同道してきた伊豆の商人たちと別れる。輝く朝日を背に4人の商人(あきんど)は深々と頭を下げ、
「殿様、皆様方、この度はいいお取引をさせて頂きました。ありがとうございました。手前どもはここでお別れいたします。道中お気を付けてお運び下さい」と南に去って行った。
この池は伊豆の方に行く道と富士宮に行く道が分かれる角にある。私たちは西に向かう。池の周りは緑の草で覆われ馬たちに食べさせる。草の間に見える池はどんよりと不気味だ。岸辺で菜摘をしている女が言うには、ここには竜の夫婦が住んでいるという。嵐の夜に出てくるのだそうだ。
 今日は昨日と違い風がない。愛鷹山の南面とかで日差しが暖かい。山裾の道をたどり 野遊びの気分だ。ところが父の様子がちょっとおかしい。動きがぎこちなく、右足を引きずるように歩いている。
兄さんが
「父上、大丈夫ですか?足、痛いですか?」
「いや、大丈夫だ。久しぶりに長歩きしたんで、太腿(ふともも)が凝ってしまったんだ。なに、これは無理にでも動かした方が早く治るんだ。それより新しい草鞋(わらじ)の当たり所が悪くて足の裏に豆が出来てそっちの方が痛い。そのうち藁(わら)もほぐれて柔らかくなるさ」
「馬に乗ったらどうですか?」
「いや身体の節々が痛いときは歩いて身体を動かした方気持ちいいんだ。だんだん気にならなくなる」
ユリも父ほどではないが動きがぎこちない。齢を取ると皆ああなるのかな。
   道はほとんど背丈を越える尾花や荻(おぎ)で覆われているが、開けたところもある。そんなところで気が付けば足元の草の間に青い桔梗(ききょう)がのぞいていたりする。萩もあるがもう花は終わり枯れかかった草が寂しげに風にあおられている。

こんなことを考えていると継母(ままかあさん)が
「ねえ、秋の七草を探してみましょうよ、この広い野原だったらみんな見つけられるかもよ」
姉さんが、「万葉集の山上憶良の歌ね
  『秋の野に 咲きたる花を指折り(およびをり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花  
   萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花(おみなえし) また藤袴 朝貌(あさがお)の花』だったかな」

「尾花、萩はそこらにあるよね。花はもうないけど。さっき桔梗は見つけたよ。昔の朝貌(あさがお)の花って桔梗の事だよね。草の間から2、3輪のぞいていた」
「あれ、ワレモコウかな。頭の帽子はすっかり黒くなっているね。もう冬だものね。さあ、他の七草はあるかしら?」と姉さんもきょろきょろ辺りを気にしだした。
「あっ、あれ葛よね」と継母が斜面の木に絡まっている葉っぱを指差して言った。もう紅紫の花はない。でもひと月前でも気にもしないから気が付かなかったかな。
「もう冬だから花は終わっているし、女郎花やフジバカマはあっても分からないよね。撫子(なでしこ)は唐(もろこし)ヶ原で見たからあったことにしない?」
ママ母さんは
「そんなところね、では、憶良の歌を三人で声をそろえて歌ってみよう」
憶良の声色を真似て
  「『秋の野に 咲きたる花を指折り(およびをり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花
  萩の花 尾花葛花 撫子の花 女郎花(おみなえし) また藤袴 朝貌(あさがお)の花』でした」
 進行方向に向かって右手が愛鷹山の方だが所々清らかな水がわき出しているところがある。そこにはまだ草が青々と茂っている。今日は半刻(約1時間)おきに休憩を兼ねて、馬に草を食べさせる。
 虎吉と美代次の話声がする、
「今日は、いい草も水もあるからゆっくり進もうと思っているんだ。馬に力を付けねばならんし、殿も足の具合がお辛そうだし、今日は船津辺りで泊ったらどうかな」
すると美代次が
「手前もそう思います。どちらにしても、富士の宮では今後の食糧や馬に食わせる穀物を手当てしなければなりません。私が牧人(まきひと)を連れて、これから一足先に富士宮に行き、明日のお泊りの準備がてら取引先を見つけておきます」
「そうか、それでは殿に伺ってくるから、お許しが出たらすぐ出発してくれ」


今日の宿りは浮島沼を望む船津という村になった。これまで人に逢うことはほとんどなかったが、ここには人が多い。行列が村の広場に入ると家々からぞろぞろと人が湧き出してきた。真っ先にやってきたのは沼の方で遊んでいた子供たちだ。身なりはひどいが、皆にこにこして、珍しいもの見たさにはしゃいでいる。村長らしき男がきょろきょろしながら行列の主を探している。父は後ろの方から足を引きずりながら到着した。
「上総の前司様でいらっしゃいますか。ようこそおいでくださいました。高貴なお方にお泊りいただけるような、まともな建物はこの部落にはありません。誠に恐縮でございますがこの広場に庵をお張りください。大昔にはここに駅家(うまや)のようなものがあったとか、聞いたことがありますが今では、見ての通り何もない小さな村でございます」
まだ日が高いうちに着いて、女達はすることもないので沼のほとりまで見物に出かける。案内役をかってでた小さな子供達がぞろぞろと着いてきて細い畦道を池に向かう。東海道の道筋から池の間は田んぼで既に稲刈りは終わっている。
「この沼にはたくさん魚がいるんだよ」「亀もいるよ」「ウナギもいたよ」「トンボもたくさんいる」と子供たちが騒がしい。
この沼は随分広い。道のわきを覆う草で、歩いているときは気付かなかったが船津という部落は沼の真ん中あたりにあるようだ。子供たちが私たちを連れてきたところは小舟が数艘つないである船着場だ。そこでは二人の男が漁から帰ったのか魚を魚篭(びく)から出していた。ユリが男に声をかける。
「旅の者ですが、今晩村に泊めてもらいます。今日は何が釣れましたか?」
相手はびっくりしたように顔を上げ
「はっ、それは恐れ入ります。この魚ですか?鮒(ふな)、鯰(ナマズ)がほとんどですが鰻(うなぎ)も2匹釣れました」
そこへ一人の女が駆けてきた。息を切らしながら、
「あんた、上総の前司様ご一行がお出でになったよ。今日は村にお泊りになるんだって。漁はどうだった?」
と、そこまで言って私たちに気付き、相好を崩して
「失礼いたしました。獲れたばかりのお魚を召しあがっていただこうと思いまして」
ユリが
「ここは田んぼもあるし、こんな広い沼もあって食べるものには不自由しませんね」
「お蔭さまで今年は野分(台風)も一度だけで、天候に恵まれ豊作でした。これで今年は盗賊も来ないのではと期待しています」
「ここはそんなに盗賊が多いんですか?」
「はい、ここは街道沿いですし、気候も良いので豊かな村に見えるのでしょう。不作の年には何度も押し入られて食料を奪われます。拒めば怪我をさせられますから黙って差し出すしかないのです。では準備がありますので失礼いたします」
と魚かごを背負て戻って行った。
湖面にはあちこちに葦が生えた島があり、その間で漁をしている舟が見える。その先には松が生えた対岸があり、聞けば先はすぐ海になっているそうだ。
 


寛仁4年10月17日(ユリウス暦1020年11月4日)


  昨日の夕食には今年出来たばかりの新米をふるまわれた。もちろんお魚や野菜もふんだんに出された。お父様も
「足を痛めたおかげで、うまいものが食えてよかった。元気が出たから富知の社(現在の富知六所浅間神社)迄頑張るか」
出発は少し遅かったが浮島沼を左に見て旅を続ける。浮島沼が切れると今度はものすごい葭(よし)の原だ。私など背が低い者にはどこを歩いているか分からない。強い風が通り抜けて葭が吹分けられた瞬間、ちらっと富士の嶺が見えた。葭原(よしはら)が切れたところが富知の社だ。美代次は社の門口で待っていた。



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