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富士の社で「かぐや姫の物語」を聞く

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平安時代東海道を京に上る
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寛仁4年10月17日(ユリウス暦1020年11月4日) 竹取物語別伝


  富士のお社のすぐ近くにいつものように四角い広場があり、そこに庵を張ることになった。昔、蒲原駅家(かんばらうまや)があったところだという。私たち家族はお社(現在の富知六所浅間神社)の宮司で村の長(おさ)でもある長者の屋敷に泊めてもらう。駅家趾のすぐ先には潤井(うるい)川が流れている。この川を境にして、その先は一面の葭(よし)の原だ。長者のおかみさんがお社に案内してくれてお参りする。小さなお社だが社の北に富士の嶺が見える。
ユリがおかみさんに
「こちらはどちらの神様をお祀りですか?」と尋ねると、社の屋根の先に見える富士の嶺を指差し
「浅間大菩薩と申し上げます。これは赫夜(かぐや)姫様が神とおなりになった後のお名前です。あちらに聳えあらせられます富士の嶺は赫夜姫様の現世でのお姿です」
「何ですって。その話もっと詳しく聞かせて」
と継母さんが声を上げた。
「こちらのかぐや姫様もやはり、竹林の中で竹かごを作って生計を立てていた爺様に拾われ、お育ちになったのです。でも、皆様が都でお聞きになっている物語とは大分違います。かぐや姫様は月にお帰りなったのではなく、富士のお山にお戻りになったのです。ここでお話しすると長くなりますので、とりあえずお参りください。よろしければ後程屋敷の方でお話しさせていただきます」
「そうね、後でゆっくり聞かせてください」
長者の屋敷に戻る道すがら、お供で着いてきていた栗女が目を輝かせ姉に向かい小声で
「私も縁の脇で聞かせて頂いていいですか。仕事を大急ぎで片付けてきますから」
「あら、そうね。それなら夕食の後で話してもらいましょうか。蓬も一緒に聞いたらいいわ」

少し早目の夕食が終わると、蓬がひとりで屋敷の縁の前にやってきた。
「栗女はどうしたの?」と継母さんが尋ねると、
「あのう、あの三人組もお話を聞かして頂いていいでしょうか。今、栗女も一緒に仕事を片付けていますので…」
「あら、もちろんよ。では、みんなが揃うまで、ちょっと待っていましょう」
冬の日は傾くのが早い。風はないが寒くなってきた。私たちは上着を羽織って縁に出ておしゃべりをしていたが、そこに筵(むしろ)を担いだ少年達が駆け込んできた。 栗女が
「お待たせして申し訳ありません。遅くなりました」
継母は苦笑して、
「そんなに急がなくてもよかったのに。では、そろそろ始めて頂きましょうか」 少年三人組と蓬と栗女は縁の両脇に分かれ、それぞれ身体を筵で覆い、顔だけ出して長者の妻の話を待った。おかみさんは縁の左右をちらりと見やり
「あら、こんなにたくさん聞き手が居たら、お話のしがいがありますね」とにっこり笑い、話し始めた。


  「この辺は川(潤井川うるいがわ)を境に南の方は葭の原でございますが、山の方は竹林もたくさんございます。竹は篭を編んだり、道具類を作るのになくてはならない物でございます。
時は、桓武天皇様の御世、延暦の頃と申します。竹の山のふもとに、もう白髪が混じる夫婦が住んでおりました。男は田畑を持たず、父親の代から竹細工で身を立てる家で、竹製品のほか笠を作るついでに始めた蓑(みの)が生計の柱でした。そのような者達は戸籍もない浮浪人と呼ばれ、本来存在してはいけないものです。だってまともな民は、お上から田を預かり税を納めて昔からずーっと生きてきたのです。でも、実際には田をもらえない人々も多かったと聞きます。そのような者達は別の生き方をするしかありません。父親の代から竹藪のそばに小屋を建て、竹細工の品々を作って、米や野菜を農家から分けてもらい生計を立ててきたのです。役所の方でも、その頃は、戸籍などあってなきが如しで、悪事を働くのでなければ取り締まるわけでもありません。役所自身も、米と交換で必要な竹製品を買い上げることもありました。農家から税として徴収するより朝から晩まで竹細工をしている職人のほうが出来も良く、安い価格で調達できるからです。
 その男の所には妻が居ましたが、この女は、元々この辺りをうろついている傀儡子(くぐつ)の娘でした。足が少し悪く、器量もよくなかったので、厄介者だったのです。傀儡たちは縁日の季節になると、この社にやって来て、芸を披露して米などをご祝儀にもらうのです。縁日には竹細工の親子、鍛冶、壺などの職人の他、見物がてらやってきた農家の者達が米、野菜を持ち込んで、互いに交換する日でもありました。竹細工を作る親子は篭や笊(ざる)背負篭を山ほど積み上げ、その前で籠を編みながら、商売をするのが常です。農家の者も竹篭など日常使うものは自分で作るのですが、ちょっと手の込んだものは上手には作れません。例えば小物を入れる飾りのついた文箱、三段重ねの竹製割子、釣った魚を入れるビク、ウナギの罠とか特殊な物はやはり竹細工師にはかないません。十歳ほどの傀儡(くぐつ)の娘には芸の出番もなく、朝から竹細工師の前にしゃがみこみ、巧みな手さばきで篭編みする手先をじっと見つめていました。あまりに長い時間そこにいるので、
竹細工師の親父は
「そんなに篭編みが珍しいか? お前も篭編みになるかい」と冗談半分に声をかけました。すると娘は小さな声で
「あたいにもその仕事できるかな」とつぶやきました。
「それは年季次第さ。ずっとやっていればだんだん上手になるよ」
娘は暫くじっと黙っていましたが、思い切ったように
「あたいも篭を編みたい」と囁くように言ったのです。
そばで虫かごに使う竹ひごを削っていた息子が顔を上げ
「俺、朝から晩まで筵(むしろ)の上で細工しているけど、もう息がつまりそうだ。 たまに竹を切りに竹林に入る時だけが息抜きなんだ。はたで見るほど楽じゃねえよ、この仕事は」
娘は悲しげに眼を伏せました。
父親は、しばらくその様子を見ていましたが、娘がどういう境遇にいるのか察したようです。
「どうだ、お前の母親がいいというなら、うちに来て竹細工をやってみるかい」
娘は顔を上げ、
「でも、おじさんはあたいを買えるの?」
傀儡(くぐつ)の群れでは子供でも十歳にもなれば自分たちが売りものだということを知っています。女の子は芸が上手で器量よしなら、群れに残されますが、それ以外は売られてしまうのです。
「そうだな、俺は貧乏だから無理かな。まあ、聞いて見るだけな」
日が傾きかけた頃、竹細工師は長年の顔見知りである傀儡の親分のところに出向いて話をすると、意外にも娘を買うことが出来たのです。相場から言えば障害があり器量も良くないので、それなりに値は安いのですが、竹細工師にとっては高い買い物です。お値段は布4反です。母親は、この子を見限っていたのか毎年2回開かれる縁日の日に2年の間、毎回布1反を渡す分割払いまで承知したのです。とはいえ、その日暮らしの竹細工師には大きな買物でしたが、息子を手元に引き留め、いずれ器用な労働力になると考えて思い切ったのです。祭りが終わり荷物を片付けている所に、母親が子供の手を引いてやってきました。
この地方では布一反は米(舂米、しょうまい)2斗5升(現代升で玄米2斗)です。この日の商いは米2斗にも足りません。蓑笠を求めた客が置いていった背負篭一杯の里芋を渡しても足りません。竹細工師は、
「ちょっと今日は持ち合わせが足りんな。どうだろう、今日売れ残った竹製品を全部渡すからそれでどうかな」
母親は、諦め顔で
「次の祭りにはちゃんと布1反用意しといてね。さあ、行きな」と娘の肩を押しました。
娘は母親の方を振り返りもせず、下を向いたまま竹細工師のそばに立ちました。
こうして黄昏の夕陽の中、娘は足をひきずりながら竹細工師に手を引かれて、乗馬(のりうま)の里、竹細工師の小屋にやってきたのです。
父親は、さほど時が経たないうちに、とてもいい買い物をしたと気付きます。この子はとても物覚えが良く、一度やってみせると、すぐまがりなりにも、それらしき形に仕上げるのです。もちろん小さな子供ですから、大きな篭などは作れませんが、薄い竹で作る小物類は大人が作ったものと変わりない程なのです。自然、曲げるのに力がいる大きな篭類は息子が作り、繊細な小物類はこの小娘が作るという風になってゆきました。本人も、
「あたいはね、一日座って細工していても、ちっとも疲れない。毎日、いろんなものを作るのがとても楽しい」と仕事を楽しむまでになったのです。
それでも、竹細工師の家の一員として受け入れられていると感じられようになってからのことですが、時折、
「あたい、母ちゃんからいつも叩かれていたし…いらない子だったの」
と涙ぐむのでした。
竹細工師は母親に愛されなかった、この子を
「小さいのに可哀そうに」と思わずにはいられませんでした。

それはそれとして、この竹細工師の方も呑み込みが早い娘に教えるのが楽しくなり、自分がこれまで考案した製品を次々と教え込みます。作り手が増えると竹の材料取りに山に入ることも増えます。父親と息子は鋸で竹を切り倒すと枝を切り払い10本程を束ねて山から引きずりおろすのです。小屋の前で二人はまず、鉈(なた)を使って竹を半割にし更にそれを半分に割って、節の内側の隔壁を鑿(のみ)で抜きます。それをまた半分に裂き、そのまた半分に裂いてゆき、用途に応じた幅の材料を作ってゆくのです。これはなかなか力のいる仕事で男手がないとできません。
数年経つと娘の方も、自分で考えた竹製品を作るまでになり、それを求めてわざわざ山里まで農家の方からやって来るほどになりました。三人は仕事に手ごたえを感じ、生活に余裕がでると、手狭になった小屋を、まともなものにしたいと思うようになりました。この辺りは冬の風がきついのです。竹細工師の父親は老境に入り寒さが身に沁みるようになっていたのでしょう。一年をかけ村人の手伝いも得て、ささやかな家が建ちあがりました。この父親は気の毒なことに最初に迎えた冬のある朝、風邪をこじらせ目覚めることなくこの世を去りました。
   息子はこの時17歳、買われてきた娘は15歳、この二人がいつから夫婦になったか誰も知りませんが、とにかくこの里でずっと暮らしてゆくことになります。男が竹取りに山に入る以外は、二人は家にこもり、黙々と竹製品を作り続けました。実を言うと手に特殊な技能があれば戸籍にのらなくても、税を課されないだけ、田を持つ農家より生活は楽でした。浮浪人と蔑まれようとも、山里で目立たないようにしていれば、生きてゆけます。
この夫婦はこうして十年も二十年もひっそりと生きてきました。贅沢なことは何も望みませんでしたが、唯一子供だけは欲しかったのです。妻はひそかに不自由な足を引きずり、山の神様に願をかけ子宝に恵まれることを祈り続けましたが終に願いがかなうことはありませんでした。二人は齢を重ねるにつれ、話す相手もいない山里で、誰にも知られず朽ちてゆく自分たちの運命を感じるようになります。こんな空気の中では些細なことでも言い争いになるのです。

竹林に現われた赫夜姫(かぐやひめ)

竹林にやってきた赫夜(かぐや)姫


  気が付くと二人は既に白髪が目立つ竹取の翁(おきな)と媼(おうな)となっていました。
子のない寂しさを紛らわすため、夫は鷹を飼い野で遊ぶことをわずかな気晴らしにしていました。妻は村で子犬をもらい太郎と名付けてたいそう可愛がっていました。
 男が山に入るときは必ずこの太郎を連れてゆくのですが、ある時、太郎が竹林の奥から男を呼んでいるのに気付きました。近寄って見ると薄暗い竹林の奥がボォーと明るくなっています。近寄って見ると斜めにすっぽり切られた竹の中に人形のようなものが置いてあります。いやそうではありません。よく見るとその1寸6分ばかりの人形は金色に輝く竹の中で口を動かし泣いているのです。
「これは何だ、生きている」
と腰を抜かし後すざりして、暫く口もきけずに座り込んでいました。そして近寄ってじーっと観察すると、小さいが間違いなくこれは人間の赤ん坊です。白い産着にくるまれ頭を動かし泣く姿はとても愛らしいのです。とにかく、こんなところには置けないので、そっと懐に入れ家に連れ帰ったのです。
 ありあわせの衣類を広げその小さな赤ん坊を寝かせ、妻と額を合わせ、しげしげとその姿を眺めました。
「ひょっとしたら、これは山の神様が私たちに育てよ、ということではないのかねえ」
「そうだ、あんな山の中に捨て子がいるわけがない。それに見ろ、全体が光輝いているじゃないか。これは神様のお子ではないか」
ともあれ二人は、この赤ん坊を大事に育て始めました。赤ちゃんは女の子で大きくなるにつれ、どんどん美しくなってゆくのです。容貌だけではありません。普通の子供より、早く言葉が出始め、しかも賢いのです。二人は物入りになったので、気分を新たに竹細工や蓑笠づくりに精を出し、自分から売り込みにも励むようになりました。以前と打って変わったこの竹取の夫婦に村人は不審なものを感じ、こっそり家を覗きにやってきます。

家は山蔭にあり夜になると漆黒の闇になるのですが、光が家の隙間から漏れ出ているのです。村人が用事にかこつけて戸を叩くと、開いた戸からサッと明るい光があふれてきたのです。主の竹取に聞けば、これは娘を包む光だと聞き、誰云うとなく、その娘を『赫夜姫(かぐやひめ)』と呼ぶようになったのです。こうして姫は竹取の夫婦に大事に育てられました。
 その姫が十六歳になった丁度その頃、都の桓武天皇様がお后様を探すために各地に使いを出しておられたのです。東海道方面は坂上田村麻呂(坂の上のたむらまろ)という将軍が担当し、この乗馬の里にもやってきました。日も傾きかかった頃、山懐に一軒の家を見つけ一晩の宿を頼みました。
 ところが通された部屋の隣がやけに明るく火を焚いているようなのです。
不審に思った田村麻呂は竹取の翁に向かい
「なんで、こんな夜中まで火を焚いているのだ?」と問いました。
「いえ、あれは火を焚いているのではありません。うちの娘を包んでいる光なのです。実の娘ではないのですが、縁あって神様からお預かりした宝として大事に育ててまいりました。小さなころから身体全体が光に包まれ、とてもよい香りがするのです。きっと私ども夫婦に子供がなく寂しく暮らしているので神様があわれと思召され遣わされたと考えております」
「それは誠か。是非その娘御に会わせてはくれまいか」
田村麻呂は、心の中で
「これぞ、探し求めていた女性だ」
とひらめきましたが、
「いや帝のお后ともなれば心映えや賢さも大切だ」
と、はやる心を抑え隣室から姫が現れるのを待ちました。
薄暗い部屋になれた田村麻呂の目は、姫を包む光芒があまりにまぶしく暫くは姫の姿を捉えることが出来ませんでした。しかし目が慣れてくると驚きのあまり声も出ません。
「これぞ、探し求めていたお后様となるべき女性だ」
と直感しました。しかし、姫と正面から対面すると、その気高さの前に声も出なかったのです。これを、位負けというのでしょう。
「ははぁー」とまるで中宮様にお目通りしたかのように平伏してしまいました。かろうじて、
「あなたこそ、帝のお后様にふさわしいお方です。私はすぐ様、帝にご報告に取って返します。戻って来るまでにご準備をなさっていてください」
と言うのがやっとでした。

  翌朝、田村麻呂は竹取の夫婦の手を取り
「わしはこれから都に戻り、帝にご報告し、姫をお后様としてお迎えに参る。それまでに是非、姫にはよしなに頼む」
と言い残して馬を飛ばして帰ってゆきました。

しかし、かぐや姫は竹取の夫婦に向かい
「人の一生は他人に宿を借りているようなものでしょう。夢、幻というか一瞬の稲妻、一滴の露のしずくのようにはかないの。私は帝の后になどなりたくない。あっという間だったけど、もうお別れのときが来たみたい。私は般若山(富士山)にある岩屋に籠ろうと思います。帝の使いが戻ってきたら、そのように伝えて」と言うのです。
老夫婦は驚き
「何を言うんですか。あなたが川に洗濯に行っている間にも姿が見えないとお父さんは大騒ぎしているのよ。それなのに富士山の岩屋に入るなどと、そんな恐ろしいことが出来ますか。たとえあなたの願いだといっても決して許しません」
かぐや姫は静かに二人を落ち着かせるように
「冨士の岩屋に籠っても二人で山に登って会いに来てくれればいいじゃない。もうお山に登る日は決まっているの」
竹取の夫婦は悄然と、その言葉に従うしかありません。金色に輝く赤ん坊を拾った時からいつか、こういう別れが来ることは分かっていたのです。
   かぐや姫が富士山に登るという噂はあっという間に近隣の村々に広がりました。姫とは申しますが、普段は家の外で小さな畑を耕したり、川で洗濯したり、村人とも言葉を交わす普通の村娘だったのです。美しくとても上品なのに、相手が誰でもにこやかに言葉を交わしていたのです。だから彼女が居なくなるとなれば、それは大変な騒ぎです。
 彼女が富士山に出発するという日には、近隣から多くの人が見送りにやって来て、家の前はまるで市でも開かれるかのようなにぎわいでした。いよいよ出発と云う時、人々は涙を浮かべ大泣きに泣いたのです。その涙は川のように流れ、それが今そこに流れている『憂涙河(うるいがわ)』(潤井川)だというのです。
 当時はまだ富士山は恐ろしい山ということで人は登っていませんでした。しかし集まった人々は名残が尽きず、姫の後からぞろぞろとついてゆき、とうとう今、中宮(五合目)と呼んでいる山腹まで登って行ったのです。
 ここで赫夜姫は追いかけてきた人々の方に振り向いて、
「皆さん、ここでお別れしなければなりません」と、きっぱりと云ったのです。
竹取の翁は姫に別れの一首を贈りました。
『世を憂しと思ひ出しに世捨て人と何にゆかしとや立ち帰る(私はこれでまた世の中を憂う世捨て人に戻ってしまいます)』
これに対してかぐや姫はこう返したのです。
『世を憂しと思ひ出し心より厭はぬ人を立ち返りてみる(心から別れを惜しんでくれる人を思い、つい私も振り返って見てしまいます)』
 この後、かぐや姫は一人富士山の高みへと登って行きました。実はこのかぐや姫は神仏の化身で富士山のご神体そのものだったのです。姫の姿は人の世に現われた時の仮の姿に過ぎません。赫夜姫は富士山の山頂に着くと釈迦岳の南の角にある大岩の岩屋へと入ってゆきました。
人々が富士山に登ることを許されたのはこの時からといいます。  かぐや姫が富士山に登った後、帝は田村麻呂が報告してきた世にも稀な美女を自分の目で確かめようと駿河の国にやってきました。帝は竹取の翁を伴い富士山へと登ります。ちょうど中間の高さまでやってきたところで帝は汗をぬぐうため冠を脱ぎ、置かれたところが現在、冠石と呼ばれているところなのです。
 やっと頂上に着き帝は赫夜姫と対面しましたが、姫の姿を見ると。共に岩屋に入りたいと言い出されたのです。
 後に分かったことですが、竹取の翁とは愛鷹権現、その媼は犬飼明神という神様がお姿を変えて現世に現われた姿だったのです。


  「さて、以上がこちらに伝わります『赫夜(かぐや)姫』の物語です。ほら、あちらの冨士のお山をご覧ください」
と長者の妻が北の空を指差すと薄暗くなった空に、頂上が赤く染まった富士の嶺が浮かび上がった。
すると、莚から五つの首が飛び出して、口々に
「本当だ!あのてっぺんの赤い火のようなものはかぐや姫から出ている光だったんだね」と、皆、納得。
「おしまい」となった。


 

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