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平安時代の日本列島の気候

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平安時代の日本列島の気候


  自然環境のうちでも気候は社会に大きな影響を与える。特に古代では農業が全ての源泉であるため、気候変動は直ちに社会体制の変化につながる。このことは実証的に裏付けられている。日本の歴史と気候の関係については田家(たがや)康氏による一般向けの好著がある。
※『気候で読み解く日本の歴史』(日本経済新聞社、2013)

 

気候変動の三大要因


  地球の気象変動要因としては、主として①太陽放射の変化と②火山活動が挙げられる。近代に入ってからは③人間活動による温室効果ガスの排出も要因と考えられているが、ここでは取り上げない。
  これ以外にも気候に与える要因はあり、地球は大きいので日本という狭い地域の過去の気候を正確に推測することは容易ではないが、大きな流れでどのような状況にあったかを知ることはできる。


(1)太陽の活動

地球の気温が太陽放射に依存しているのは言うまでもない。その太陽の放射は周期的に変化することが知られている。過去の太陽放射照度はいくつかの方法で推定されている。方法により差異があるが年代による推移は概ね同様の傾向を示している。 図.1には放射性炭素ならびにベリリウム10から推定する全太陽放射強度(TSI)の年代的変化を示す。これによると研究者の名が付けられた放射強度が低下する期間(極少期)には気温が低下するため、人類にとっては厳しい困難な時代であった。例えばウォルフ極小期(1280-1350)は鎌倉時代末期から南北朝時代の混乱期、シュペーラー極小期(1420-1530)には応仁の乱を経て戦国時代に至る騒乱の時代、マウンダー極小期(1645-1715)は元禄から享保の改革の景気停滞時代に対応する。

過去2000年間の北半球の平均気温推移
(2)火山活動


大きな火山の噴火は火山噴出物や硫酸エアロゾルを大気中に放出し太陽の光を遮ぎったり、反射するので地球全体を低温化する要因となる。過去の火山噴火の規模は南極、グリーンランドの氷床から切り出したコア中の硫酸化合物の量から推定可能である。幸いなことに日本の平安時代には初期に富士山噴火はあったものの世界的気温低下をもたらす巨大火山噴火はなかった。


屋久杉年輪から推論する平安時代の気候推移


  平安時代は794年~1192年の約400年間である。メイン画像には屋久杉の年輪の炭素同位体比から歴史時代の気温変動を平均気温からの偏差として示している(明治維新1868頃が±0)。このデータは時間に関して年単位の精度があるが、屋久島での推定気温との相関を日本全域に広げるのは多少問題があるかもしれない。しかし、大きな気温変動の傾向は変わらないと思われる。平安時代は一時的な気温低下時期があるものの、概ね温暖な時代であると言える。図中に更級日記が書かれた時期を赤矢印で記入しているが、ほぼ現代と同じ温暖な時代だったと言える。
 ※図引用 吉野正敏:地学雑誌 118、p1221(2009) の掲載図に平安時代の位置、更級日記の時代を加筆修正。

   田家の前掲著によれば、古代日本列島、西国と東国における気候現象の違い 大きな傾向としては高温乾燥の時代であったが、西日本と東日本では気象の現れ方は違った。『雨年に豊作なく、旱魃に不作なし』という古い諺は、おそらく東国の状況を表したものであろう。近畿など西国はたびたびの旱魃で大きな被害を受けている。これについては地理的位置、地形に由来する基礎的気候に加え、森林の乱伐による人災による影響が言及されている。奈良、京都を含む近畿地方は古来、都が営まれた土地であり、多くの宮殿、役所、住宅の建築のため膨大な木材を消費してきた。例えば都城の形態となって以降だけとっても藤原京、平城京、長岡京、平安京という四京を建設している。この間、恭仁京、紫香楽京、難波宮の造営もあり、建設用材の多くは当初、周囲の山地から伐り出されたが枯渇したため、新都の位置は北上していった。この間環境に与えた負荷は深刻で山林の保水力は著しく低下し、高温期には旱魃、雨の時期には洪水が繰り返された。これにより水路や田は荒廃し生産力が衰微していった。平安時代前期の破綻寸前に陥った国家財政の背景にはこのような環境条件があったと考えられる。
一方、東国では造都のような大規模な環境破壊がなかったため、現代と似たような気候で推移したと考えられる。もちろん河川改修、耕地改良などが現代とは天地の差があるので規模が同じ風水害でも、その被害規模が大きかったことは言うまでもない。
平安時代中期の関東地方は延暦の富士山大噴火から200年以上経過し小規模な活動が続いていたとしても火山活動の影響は軽微で、上総では平穏な気候が続いていたと推測される。平安時代中期に原因が明確でない一時的気温低下があるが、これは回復し平安末期に到る。この時期は更級日記作者の晩年以降にあたる。


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