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平安時代の米作りの生産性と税負担

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日本は弥生時代から現代まで米作りで生計を立て、社会を維持してきた。 では平安時代には米の生産性はどの程度であったのだろうか? 平安時代に編纂された延喜式には、その目安となる数字が記されている。 それを基に現代との比較で生産性を考える。また課税負担がどの程度であったかを江戸時代との比較で考える。


(1)平安時代の反当たり収量


①稲、米穀の計量

古くから米の生産額や課税には『束』という単位が使われたが、実用単位でなくなった平安時代にも公用単位として使われ続けた。田にかかる税は田租といい、これは収穫量に対してかかる物ではなく田の面積に対して課税された。 稲束を計量する単位として『把』があり、これは実が入った稲穂(穎稲という)の首を片手で握れるだけ握った量である。 それを1把とし、10把が1束である。この単位は計量具がいらない代わりに正確でない。 そこで実際には和同元年(708)以降『束』で記載された稲は、その稲束から獲れる籾穀を『斗』と読み替えることになった。但し、この『斗』は律令時代から平安時代の容量単位『斗』であるので現代とは実容量が異なる。 1束の稲束から1斗の籾穀(籾状態の米)が獲れる。これを籾摺りすると5升の玄米(舂米しょうまい)となる。 古代の『升』は現代の升の0.4掛けである。つまり1束の稲束から2升(現代マス)の玄米が得られる。 玄米1升は約1.56㎏であるから、 重量換算で1束の稲束(穎稲)から3.12㎏の玄米が得られる。

②平安時代の米の生産性


延喜式巻26、主計上には田の等級別に1町当たりの収穫束数が記載されている(表.1)。水田には当然、土質、水利、日照などで生産性に優劣が出てくる。単純に面積だけでは課税の公平を期すことが出来ないので、田の等級を定めたものである。実際には更に細かく区分して運用されたという。この等級別生産額から反当たり収量を計算して表1に示した。 更に『上田』の反当り収量を他の時代と比較したものが表.2である。延喜式巻26主計上(国史大系、延喜式(中)p.652吉川弘文館)


表.1 延喜式にみる田種による反当り収量
田の等級 穎稲収量 (束/町) 穎稲収量 (束/反) 籾穀 (斗) 舂米(玄米)(㎏/反)
上田 500 50 50 156
中田 400 40 40 125
下田 300 30 30 94
下下田 150 15 15 47

表.2各時代の米穀の反当り収量
時代 反当り玄米収量(㎏/反)
平安時代(上田)
 
156
江戸時代 350
現代(平成22年) 530

江戸時代の収量数値はないが、幕末に畿内で400㎏/反に達したという記事があるので、350㎏/反と仮定した。
この結果から、平安時代の米穀の反当り収量は現代の1/3にも満たず、江戸時代の半分にも及ばないことが分かる。


(2)収穫に課される税額


律令体制の下では田の面積にかかる田租と調、庸があるが、後の二つは原則として指定された布などで支払うが、 なければ米穀で購入して納税する。その際の交換比率は明確でないが禄物価法を援用していたと考えられる。延喜の治以降は『調・庸』分の課税は廃止され田租一本となる。二つの時代の税負担の比較をするためにモデル家族を設定し各時代の税負担額を算出する。
 


表.3 平安時代のモデル家族に与えられる口分田
本物の家族 付与口分田(反)
 
偽籍上の家族 偽籍付与口分田(反)
男 61歳(老丁) 2 男 66歳 2
女 60歳 1.4 女 60歳 1.4
男 41歳(正丁) 2 男 41歳(正丁) 2
女 38歳 1.4 女 38歳 1.4
男 21歳(正丁) 2 男 16歳 2
女 23歳 1.4 女 23歳 1.4
男 6歳 2 男 6歳 2
女 5歳 0 女 5歳 0
男 2歳 0 男 2歳 0
合計 12.2   12.2
 

表.4 上記家族モデルにおける奈良時代と平安時代『延喜の治』以降の人民の税負担比較
時代 戸籍の真偽 課税対象 課税額/単位 租(束) 調
(穎稲換算)(束)

(穎稲換算)(束)
納税穎稲
合計(束)
奈良時代 偽籍 田 12.2反 2.2束/反 26.8     107
調 正丁 1人 布1反/人   40  
庸 正丁 1人 布1反/人     40
実籍 田 12.2反 2.2束/反 26.8     227
調:正丁2+老丁1⇒2.5人 布1反/人   100  
庸:正丁2+老丁1⇒2.5人 布1反/人     100
平安時代
延喜以後
実籍 田 12.2反 5.5束/反 67.1 0 0 67.1
 

正丁:21-60歳の男、老丁:61-65歳の男(正丁の1/2と計算)
調、庸は麻布、絹製品(絹布、絹糸、絹綿)などで納税するのが原則だが、稲穀に換算して納税することもできた。
布と穎稲の交換比率は地方によって異なる。『禄物価法』には上総、下総、安房、武蔵、常陸5国については絹一疋が80束という数値が見えるが調布については記載がない。しかし畿内では絹1疋:調布2反で等価とされているので布1反で40束と考えた。
表.4の結果から、律令時代と平安時代・延喜以降の税負担を比較すると、田租は律令時代の方が軽いが、調・庸等物納分の負担が非常に大きいことが分かる。偽籍で正丁の人数をごまかしても負担は大きかったと考えられる。平安時代になると、調・庸が全廃され、米穀のみの納税になり、人民の負担は軽くなったかにみえた。一方田租については土地課税であるため脱税不可能で税収は、確実に増加したものと想像される。しかし調庸物対応額の賦課がなくなったかどうか定かではない。

 

(3)平安時代、延喜以降は江戸時代と比べて税負担は重かったか?

モデル家族が耕作する12.2反の田で得られる収穫から税を差し引いたら生活して行けるのだろうか。各時代で税引き後の収穫量を玄米重量で比較してみた。

表.5 モデル家族(1町2反耕作)の税引き後の玄米収穫量
時代 玄米収穫量(㎏) 税額(束) 税額(玄米㎏) 税率(%) 税引き後玄米収量(㎏)
奈良(実戸籍) 1903 227 708 37 1195
奈良(偽籍) 1903 107 334 18 1569
平安(延喜以後) 1903 67 209 11 1836
江戸(5公5民) 3512   1756 50 1756
江戸(4公6民) 3512    1405 40  2107
以上の結果で奈良時代には、正直に家族構成を申告すると、生きてゆけないレベルであろう。一家族に正丁1名という偽籍の場合がやっと”カツカツ”生活できる程度とすれば、平安時代、延喜の治以降には同じ生産性でも税率が下がり、多少のゆとりが出てきたと考えられる。江戸時代なると税額が5公5民の場合、平安時代より手取り収量が減るように見えるが、そもそも江戸時代には裏作の麦や芋、豆類などの畑作物は原則無税だったので実際に手元に残る穀類は潤沢だったと考えられる。逆に試算に用いた奈良、平安時代の田は『上田』としたので、実際にはもっと厳しい食糧事情であったと考えた方が良いかもしれない。更にここでは数字がわからないので取り上げなかったが、律令時代には税と化した正税出挙があったのでその負担もあった。
結論的には平安時代の人々は『延喜の治』以降は税負担が軽くなり、同時に国家歳入も増えたはずである。但し、あの時代に課税率11%(中田の反当り収率を使っても14%)は低すぎるように思える。調庸物の賦課が全廃されたのでなく形を変え、土地税(年貢)に賦課され徴収されていた可能性はないだろうか。この辺の事情は今少し調べる必要がある。

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