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延喜の荘園整理令、書下し文と現代語訳

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延喜の荘園整理令は最初に荘園設置を抑制するために出された法令である。但し、『荘園整理令』という言葉は明治以後の歴史用語であろう。この太政官符は他の一連の5通と共に延喜2年3月12日、13日に公布された。
 この『延喜の荘園整理令』は、その後の日本に与えた歴史的意義はあまりに大きく、当時の特権階級であった支配階層に大きな衝撃を与えたと思われる。にも拘わらず、この法令を発案、起草した政権首班について語られることがない。この時期の首班は左大臣藤原時平であるが、彼がその起案者であれば、この官符が『朱紫の家は憲法に憚らず競って占請をなす』と非難の対象にしていることは不自然である。
この官符が公布される18日前(延喜2年2月25日)に菅原道真が太宰府で世を去った。太宰府から京都まで上京の日数は飛駅を使えば11日である。つまりこの荘園整理令を含む5件の関連法令は道真死去の知らせを待って公布されたように見える。
 この荘園整理令の主旨は明らかに院宮王臣家、寺社の田地囲い込みを抑制するものである。これは道真の命を懸けた改革案であり、これがために既得権者の反撃を受け大宰府に左遷されることになったと想像されるのだが、では何故、時平は彼の死を待っていたかのように自分たちに不利益をもたらす法令を公布したのであろうか。この辺りに大きな謎があり勅旨田の性格も含め、この法令が目指すところと、関係者の利害得失を明確にする必要がある。村井康彦氏は延喜の荘園整理令の中心である勅旨開田を巡る諸問題をまとめている。現在の所、この問題をうまく説明する仮説はないようである。
以上の重要課題があるにもかかわらず、この延喜の荘園整理令の内容は研究者を除けば、殆ど一般歴史愛好家の目に触れることがない。しかし、多くの人に、この太政官符の内容を知っていただきたいので『延喜の荘園整理令』の書き下し文、現代語訳を試みた。筆者の浅学のため間違いもありそうだが、たたき台とご承知いただきたい。

延喜の荘園整理令の原文はこちら
※1. 飛駅:後世の早馬である。寛仁3年(1019年)4月 九州北部を刀伊の賊が襲い、太宰府から事件を知らせる早馬が4月7日に出された。使者は約11日を要し4月17日に京に到着した。
大日本古記録五、『小右記』p.135、岩波書店)
※2. 延喜の荘園整理令『古代国家解体過程の研究』村井康彦、p.224、1965(岩波書店)


≪延喜の荘園整理令、書下し文≫


まさに勅旨開田ならびに諸院諸宮および五位以上が百姓の田地舎宅を買取り、閑地荒田を占請することを停止すべき事

右、案内を検ずるに年頃勅旨開田遍く諸国にあり。空閑荒廃之地占めると雖も是、黎元産業之使を奪ふ也。加(しか)のみならず庄家を新立す。多くは苛法を施し課責尤も繁く威脅耐え難し。且つ諸国は姧濫し、百姓は課役を遁れる為に動(やや)もすれば京師に赴きて好みて豪家に属す。或いは田地を以て寄進と詐称し、或いは舎宅を以て巧みに売与と号し、遂に使に請ひて牒を取り封を加え膀を立つ。国吏矯餝之計を知ると雖も、而も権貴之勢を憚り口を鉗み舌を巻き敢えて禁制せず。これにより、出挙の日、権門に託事し正税を請けず。収納の時、私宅に蓄穀し、官倉に運ばず。このために賦税済し難し。加(しか)のみならず)賄遺(わいろ)を食す所、田地は豪家の庄となる。姧構(悪巧み)が損ずる民の烟(けむり)長く農桑之地を失ふ。終に身を容(お)く処なく還(すぐ)に他境に流冗す。
 去る天平神護元年の格を案ずるに云ふ。天下の諸人、競ひて墾田を為す。多勢之家百姓を駆使し貧窮之民、自存の假なし。今より以後一切禁断す。  宝亀3年の格に称ふ。諸人墾田開墾させるに任せ、但(いたずら)に勢を借り百姓を苦しめると言えり。よろしく厳しく禁制すべし。
 弘仁3年格に云ふ。諸国の国司は朝憲*を率せず専ら私利を求むといふ。百端の姧斯一つも懲り革むることなし。或る者は他人の名を借り墾田を買ふ。或る者は王臣に託言(かこつけ)し、競って肥えた土地を占む。民之れ業を失ふこと、これによらざるなし。宜しく重ねて下知し厳しく禁制を加ふべし。
 天長元年の格は云ふ。常に荒田あらば百姓耕作し、一代の間其れを耕食することを許す。此の因(つながり)で勢家が耕作するを得ずと言えり。 件等の格を案ずるに閑地を請開き荒田を耕食は只、百姓のためにその文を独立す。高貴に至っては重ねて(畳)厳しく制す。而(しかる)に諸院、諸宮、朱紫の家は憲法を憚らず競って占請を為す。
国郡官司判許の日、専ら、墾発を催すは其の租を輸すに似たりといえども、土民の力役を盡やし、国内の農業を妨ぐ。

  左大臣(藤原時平)宣す、勅を奉るに 正朔(天子の政令)逓変、驪翰推遷、八埏之地は限り有り、百王の運は窮きることなし。若し限りある壌を削るならば常に無窮の運奉る。
則ち後代の百姓而して耕すこと可なり。宜しく当代以後、勅旨開田皆悉く停止し、民が負作すべし。其の寺社百姓の田地は各の公験に任せ本主に還与すべし。且つそれ百姓田地舎宅を以て権貴に売寄せる者は、蔭贖を論ぜず、土浪を弁ぜず、杖六十に決す。若し符の旨に乖違、受嘱買取り 並びに閑地荒田の請占有らば、国須らく耕主並びに署牒の人、使者の名を具に記録し、早速言上すべし。論違勅を以て曾て寛宥せず、判許の吏、見任を解却す。但し、元来、相伝し庄家となる件契分明で、国務を妨げざるは此の限りに非ず。よって、官符到る後、百日以内に弁行し状を具に言上すべし。


≪延喜の荘園整理令、現代語訳≫


勅旨開田と諸院諸宮及び五位以上(貴族)が百姓の田地舎宅を買取り、閑地荒田を囲い込むことを停止すべき事

右の件を調べると昔から諸国いたるところに勅旨開田というものがある。使用されず荒れたままになっているとはいえ、もろもろの民の生業を妨げるものである。そればかりか、庄家(荘園)を新たに作ってしまう。多くは厳しい取り立てを行い絶え間なく責め立て、その脅迫は耐え難いものである。そうなると諸国は乱れてしまい、百姓は税や労役を逃れる為にややもすれば、京都に行って大きな家の使用人になる。或る者は田地を寄進と詐称したり、家屋敷を売ったということにして、登記する役人に牒を申請して貰い、封戸を示す境界札を立てる。国衙の役人は表面をつくろった悪巧みであることは分かっていても身分の高い権力者たちに憚って口をつぐみ、舌を巻いて、敢えて禁ずることもしない。これが原因で、出挙の時に権門だからといって正税を請求しない。(税の)収納の際には私宅に収穫した米穀を蓄え、官倉に運ばない。こんなことがあるために税を収納することが困難である。こればかりではなく賄賂を食わされた地域の田地は結局豪家の庄(荘園)となる。このような狡猾なからくりによって民は煙のように(烟長)農桑の地を失ってしまう。最後には身の置き場もなくなり、ほどなく他国に流浪することになる。
 去る天平神護の格は次のように言っている。 世の人は競うように田を開発している。勢力のある家が百姓を駆り出し働かせているので、零細な農民は自分の田を耕して自立する暇がない。今後このようなことは一切禁止する。
 宝亀3年の格は次のように云っている。
多くの人が好きなように新しい田を開墾し、不当に権威を振りかざし百姓を苦しめている。厳しく禁制する。
 弘仁3年格はこういっている。 諸国の国司は朝廷の定めに従わず、やることは私腹を肥やすことばかりである。多くの悪巧みの一つでも懲りて改めることがない。或る者は他人の名を借り墾田を買っている。王臣の関係だと言って競って肥えた田を占拠している。民が生業(なりわい)を失うのはこういうことによって起こるのである。再度厳しく禁制することを下命する。
 天長元年の格は云っている。
 荒田があればいつでも百姓は耕作し一代の間は耕して食べてゆくことを許す。しかし同じ理由で金持ちが耕作することはできない。

以上の格の主旨を考えれば、未利用の土地を開き荒田を耕し生計を得るのは只、百姓のためであり、高貴に至っては何度も禁じている。それなのに諸院、諸宮、朱紫の家は法の定めも憚らず競うように田の占有を進めている。国郡官司がこれを認可する場合、新田の開発をすることで、うわべは税収を計っているように見えるが、実は土民の労役を費やし国内の農業の妨げとなっている。

左大臣(藤原時平)宣す。勅を承るに 正朔逓変、驪翰推遷、八埏之地は限り有り、百王の運は窮きることなし。 黒馬、白馬が交互に通り過ぎるように天子の政策は時々に変わる。良く耕された土地は限りあるが、百代の王の治世は尽きることがない。若し限りある耕地を大事に耕していれば、いつも限りない運を奉ることが出来る。即ちこのようにして後代の百姓も耕してゆくことが出来るというものである。
当代(醍醐天皇)以後は、勅旨開田は全て停止し、民に小作させよ。
一方、寺社、百姓の田地は各々の公験(役所が出す証文)に基づき元の所有者に返し与えよ。百姓の田地や家屋敷を位の高い高貴の家に売ったことにした者は、裏で買い戻していようが、現地の浪人であろうが杖打ち六十に処す。もし、この官符の主旨に反して、寄進を受けたり、買い取ったり、並びに閑地荒田が占拠されていたら、国はすぐにそこを耕作している者、牒を作成した人、使者(間に立った人)など詳細に記録し報告せよ。勅に違うことをして許される筈はなく、認可をした役人は解職する。但し、もとから相続し荘園となった書類が明らかで国務を妨げない場合にはこの限りではない。よって、官符が到着後百日以内に処理し状況を詳しく報告せよ。


≪語句解説≫


・勅旨開田
勅旨田は延喜式、雑式に規定がある。勅旨開田とは勅旨を以て新田を開発する事。これは全国的に設置され広大な空閑地、野地、荒廃田を占拠して開墾が行われた。其の開発に既存耕地の水利を利用し、開発経費は諸国が負担した。そうした勅旨田は不輸租であり、小作させ、得られる地子(収益)は中央官庁の費用に充てられたが、その他、賜田(貴族)や寺社への施入田に当てられる例が少なくなかった。つまり、勅旨開田の性格は中央政府の収入を補うために企てられた、官営の大規模水田開発事業と言える。諸国の農民にとっては開発の労役を提供するばかりか、従来未開発の山野沼沢で木材や草刈りを行っていた入会地を奪われ、本来なら国内のインフラ整備に当てられるべき国衙に取り置かれた正税、乗稲が他の目的に費消されてしまい、民衆の福利に資するものは何もなかった。

・五位以上
五位以上を貴族と称し、宮廷で昇殿を許される身分である。

・牒(ちょう)
寺院の管理部門と役所との応答、および上下関係がなかったり、はっきりしない官庁間の応答に取り交わされる文書

・『正朔(天子の政令)逓変、驪翰推遷、八埏之地は限り有り、百王の運は窮きることなし。若し限りある壌を削るならば常に無窮の運奉る。』
これは、漢籍に登場する比喩と思われるが、出典も正確な意味も筆者にはわからない。
・朝憲(朝廷の定め=法律)
原文の『憲』と思われる異字体の文字を類聚三代格の官符で改めた。
膀を立つ
境界を示す標識を立てる。


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