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新猿楽記に見る受領国司補佐役の理想像

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『新猿楽記:藤原明衡著、川口久雄訳注、p.236、東洋文庫424平凡社(1966)
成立は長元元年(1028)頃、最初の草稿ができ、24年後の永承7年(1052)頃に完稿か。 更級日記と同時代の作品である。原典は漢文であるが、川口久雄氏の分かりやすい現代語訳があるので、 それを引用させて頂く。
ここに登場する四郎君は国司に仕えるオールマイティーの郎党である。もちろんそのように多彩な人物はいないので、 現実には職能別に数人の人材を雇用することになる。 もし、いい人材に恵まれなければ、任地でまともな業務は遂行できない。 ブレーンは自ら引き連れて任国に乗りこむものであり、 現代の落下傘知事のように出来上がった行政組織の上に座るのとは訳が違う。 人材確保は赴任準備の中で最も重要な作業である。

『新猿楽記』が述べる国司郎党の資質とは以下のようなものである。


  • ・馬術
  • ・国司着任など儀式に通じる
  • ・弓矢などの武芸
  • ・算術
  • ・習字(文書作成)
  • ・地方行政の実務
  • ・役所にある諸部署の管理
  • ・検田・収納・交易などの業務、乗田の小作管理、臨時雑役の手配
  • ・任期満了時の決算、財務引き継ぎの経理処理
  • ・当地の産物を蓄積(理財の才)

テーマ画像は苗代に稲の種まきしている様子を見る田主である(江戸時代末期か?)。 時代は違うが田主を国司に見立てれば平安時代もこれに似た情景があっただろう。 下にひざまずいている茶色の装束の人物が郎党である。
出典:絵農書二、p.94、日本農業全集第72巻、農文協(1999)

(以下『新猿楽記』から引用)


『四郎の君 受領の郎党』


四郎殿は、国司の家の子郎党であり、前駆先払いにうってつけの役人である。 五畿七道の全国、くまなく行っていない所はなく、六十餘国、見ていない所はない。 風が吹いて波の荒い時も機会をうかがって船に乗り、山野の険しい道にも馬を乗りこなして跋渉する。 弓矢のわざも手だれで、算術と習字の道にもたけている。 国府に着任して入部する際の作法、着任した時神社参拝の法式、 地方行政の実務担当の優れた補佐役人としての知識経験、国守秩満交替の際の分付整理報告の沙汰、 前任者の義務の不履行を記す付與解由状の文、解由の勘定、徴税の後始末の文書のことなど、 たとえ四郎殿と等しい役目の者がいても、彼にまさるもの者は全くいない。 したがって、一般に、国司が派遣した代理の役人や、もしくは租税をつかさどる職、文書季禄の保管・作成にあたる役所 、国府に設置された兵卒の詰所、田畑のことをつかさどる役所、文書や道具の出し納れをつかさどる蔵人所の役所、 調査する役所、手工業者を管理する役所、修理事業いっさいのことをつかさどる役所、もしくは牛馬舎、 出納方の御倉を預かる役人の詰所、食膳の調理をつかさどる所、政務財務の雑用一切をつかさどる政所などの役目、 ある時は目代として、ある時は兼官として勤めてきた。まして、検田・収納・交易、国の耕作に用いる田、 臨時の雑役などの使いの仕事までつとめている。自分では望まないのに、自然と四郎殿に任されてしまうのだ。 四郎殿は、領民を疲弊させずに公事をやりとげ、主君に損失を与えずに自然と利益をあげる上手である。 そこで、万民の信頼を得て、家は常に経済的に豊かににぎわい、諸国の生産物を集めて、蓄積がたいへん豊富である。
 すなわち、阿波の絹・越後の綿・美濃の八丈・同じく美濃の柿また粽(ちまき) ・常陸の綾・紀伊の国の縑(かとり)絹・甲斐の斑布・石見の紬・但馬の紙・淡路の墨・播磨の針・[和泉の櫛また酢] ・備中の刀・伊予の手筥ならびに砥石・簾・鰯・出雲の筵・讃岐の円座(わらふだ)・上総の鞍・鞦(しりがい) ・武蔵の鐙・能登の釜・河内の鍋ならびに味噌[また伏莵]・安芸の木材・備後の鉄・長門の牛・陸奥の馬またみちのく紙 ・信濃の梨[また木賊]・丹波の栗・尾張の米・若狭の椎・近江の鮒また餅・越後の鮭また漆・備前の醤蝦(あみ) ・周防の鯖・伊勢の鯯(このしろ)・隠岐も鮑(あわび)・山城の茄子・大和の苽(まこも)丹後の若布(わかめ) ・飛騨の餅・鎮西の米などで、このような貢物や贈り物の菓子(くだもの)は、 これらをのせた車が音をひびかせながらあいつぎ、まことに位置のような盛況をなしている。 それゆえ県召しの定期異動(除目)発表の日の朝には、四郎殿の家は、親しい者もみな、 [ご主人様はどこの国にきまったかと]まず最初にかけつけて見舞にやってくるところだ。


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