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延喜式とは何か

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『格』『式』とは古代日本の基本法であった律令の施行細則である。格と式の明確な区別はない。そのうち『延喜式』はほとんどが現存し、平安時代社会を知るための貴重な歴史史料となっている。
律令の施行細則は既に奈良時代から必要に応じて所管部署で作成、施行されていた。 しかし、ばらばらに対処していたのでは各所管の式の内容が矛盾、齟齬が生じるので、統合した式が要望されていた。 そこで編纂されたものが弘仁式、貞観式である。しかし貞観式は弘仁式を統合した最終版ではなく、 弘仁式と補完して全体を網羅するものであった。そのため一本で完成した統合版の『式』が熱望されたのである。 これが『延喜式』である。 しかし、その編纂は困難を極めた。 タイトル画像は『延喜式』巻26、主計上の冒頭、新訂増補国史大系、延喜式中編、p.643、吉川弘文館


延喜式の編纂は難航を極めた


  • 延喜5年(905年)醍醐天皇の命により編纂開始
  • 延長3年(925年)督促の勅命
  • 延長5年(927年)完成
  • 康保4年(967年)冷泉天皇のもとで施行

編纂過程を見ると完成までに22年、更に施行まで40年もかかっている。事の性質上、改訂、修正は随時発生するので区切りがつかず完成が遅れたということは理解できるが、完成後、施行まで40年も放置されたのは謎というしかない。
 駅制は900年代前半には崩壊が始まり、駅路自体の維持も困難になりつつあった。これ以外にも意味を失くしつつあった法規があったかもしれない。その状況を前にして、『この問題の見通しがはっきりするまで施行を待とう…』と編者等が考えているうちに時が過ぎてしまったのかもしれない。
 村上天皇の御世にいたり、施行の機運が高まった。延喜式の研究者である虎尾俊哉氏は村上天皇の真意として、法としての厳密性に一部問題があっても、平安社会の姿を明確に描き出した『延喜式』を文化財ととらえ、一種の『文化事業』として世に残したかったのでないかと考えている。また村上天皇には天徳4年(960年)9月の大火により内裏が全焼し、貴重な典籍、文化財を多数失ったことによる、あせりがあったかもしれない。村上天皇崩御後、康保4年、冷泉天皇により施行されるに至った。


延喜式の内容


主な式を虎尾氏の『延喜式』から式名だけ拾って下に掲げた。


神祇官関係


四時祭式、臨時祭式、伊勢太神宮式、斎宮式、斎院式、践祚大嘗祭式、祝詞式、神名式


太政官および中務関係


太政官式、中務式、内記式、監物式、主鈴式、典錀式、中宮式、大舎人式、図書式、縫殿式、内蔵式、陰陽式、内匠式、式部式、大学式、治部式、雅楽式、玄播式、諸陵式、民部式、主計式、主税式、兵部式、隼人式、刑部式、判事式、囚獄式、大蔵式、織部式、宮内式、大膳式」、木工式、大炊式、主殿式、典薬式、掃部式、正親式、内膳式、造酒式、采女式、主水式


諸司関係


弾正式、左右京式、東西市式、春宮式、主膳式、主殿署式、勘解由式、左右近衛式、左右衛門式、左右兵衛式、左右馬式、兵庫式


雑式関係


雑式


延喜式の歴史研究における意義


延喜式には諸官庁、部署の職務、人員、費用、etcが具体的数字で事細かに記述されているので行政施策を通じて平安時代の社会を再現することが可能になる。この『延喜式』の価値は施行当時よりも、はるか後世の現代において絶大である。平安時代史を楽しむには必携の書である。

当サイトで利用する項目の例をいくつか挙げると
・神名式:全国の国郡別官幣社の一覧がある。官幣社は時代が変わっても鎮座の場所が変わらないことで歴史地理的ランドマークとなる。
・主税上:諸国の正税額、禄物価法、駅馬直法、運送賃、馬の積載重量
・兵部省:諸国の駅家、駅馬、伝馬数

参考文献:『延喜式』虎尾俊哉、吉川弘文館(1964)、(注意、本書は延喜式の成立過程と内容の概要を述べたものである。延喜式の原文は新訂増補国史大系、延喜式、前篇、中編、後編の3巻本、吉川弘文館)


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