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竹芝寺

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平安時代東海道を京に上る
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竹芝寺の一夜


10月10日(雨のち曇り)
 昨日、寺に着いてから、結構忙しかった。久しぶりにまともな宿にたどり着いたので、やることがたくさんあった。まだ夕刻という時刻でもなかった筈だが、雨雲で真っ暗になり、ぐずぐずしていると、何もせぬまま寝なくてはならなくなる。ユリが付きっ切りで
「姫様、早くしないと何も見えなくなりますからね。盥に水をお持ちしましたから身体をお拭きになってください。使った手拭はすぐ渡してくださいね。きれいに洗ってお渡ししますから。それが済んだら、着替えはここですよ。」
などと、小さい子のように世話をやく。私は手っ取り早く、着物を全部脱いで素裸になり片付けたが、姉さんは下着を肩に掛けたまま、身体を清めるのもやりにくそう。大人って不便だな。
 外のほうは人馬の騒ぐ音でやかましい。明るいうちに荷下ろしをして、全員の寝場所を決めたり、馬の世話、食事の用意もしなければならない。私たち主人の家族には寺の方で食事の準備をしてくれるが、供の者や人足たちは、もちろん、自分たちで煮炊きをしなければならない。暗くなるにつれ雨音が激しくなってきた。でも、この寺の境内には屋根のある台所があり、そこなら雨が降っても煮炊きができるので少しは助かっただろう。
 薄暗がりに灯がともされる頃、食事になった。昨日はたくさん歩いたので、御腹がペコペコだった。用意されたお料理はもちろん豪勢なもので文字通り山海の珍味が並んだ。そのおいしいこと、でも、みっともないから、いちいちは書かない。でも一番のご馳走は食後に聞いた、竹芝伝説だった。昨日、この寺に着いたとき、寺の辺り一面に建物の礎石らしきものが、ずっと向こうの方まで広がっていた。一体ここはどういう所だろうと気になり、食事の終わりに、冷たい水を椀で配っている中年の女に、
「ここはどういう場所なの?」と、尋ねてみた。

 「この寺は昔、帝の姫宮様のために建てられたものなんですよ。この地方では有名な話だったのですが、もう百年以上も昔のことで、だんだん忘れられてしまいます。でも本当の話なのです。」
 皆は「えっ」という顔で女の顔を見つめ、父の方を見ると、父は促されるように
「それはどういうことだ。詳しく話してくれ」と先を促した。
「そうですか。それでは、手短にお話させていただきます。」
と、語り始めた。
 もう、百年以上前のことといいます。ご存知のように都の宮中の警備には地方毎に割り当てられた若者達が衛士として任ぜられます。この竹芝の郷からも若者が一人出かけてゆきました。家族や親類達に見送られ、都に上るということで期待に胸を膨らませ出かけていったのです。でも、実際に都に着き、仕事についてみると想像していたのと、現実は大違い。衛士の詰め所に放り込まれると、そこには先輩衛士が新入りを、手ぐすねを引いて待っていたのです。棒術の訓練といっては、棒で散々こずき回され、食事も先輩の残飯しか食べさせてもらえません。火焚き屋の衛士というのは夜盗を警備するため、一晩中火を焚きながら宮中を警備する仕事です。絶対、火を消してはいけないので、それは大変な仕事です。先輩たちは徹夜の大変な仕事は新米たちに押し付けてしまい、しかも何かあると昼間の仕事にも駆り出すのです。これでは元気な若者でもたまりません。疲労困憊して、一体何でこんなところに来たんだろうと、わが身を嘆くのです。逃げ出す者も後を絶ちません。しかし、途中で見つかって半殺しにされ連れ戻されるものも少なくありません。この竹芝の郷から出かけた若者も逃げるに逃げられず、夜の警備のほか、昼間に庭の掃除も押し付けられていました。彼は毎日、御殿の前の庭を掃きながら、自分を慰めるように鼻歌を歌っておりました。
「どうして、こんなつらい目に遭うんだろう。俺は国では、酒をも作る大家の息子。直柄(ひたえ)のひさごが浮かぶ酒壷三つ、七つ。南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびく。西風吹けば東になびき、東風吹けば西になびく。のんびり気楽に暮してた。」
こんなたわいもない歌なんです。でも元々歌自慢で国にいるときにも、それはいい声で歌っていたそうです。その御殿には帝がたいそう可愛がられていた姫宮様がお住まいなされておりました。姫宮様は最初のうちは聞き流されておりましたが、そのうち、だんだん気になり始め、一体誰が歌っているんだろうと、ある日、誰もそばに居ないとき、御簾のそばに寄り、柱の陰から覗いて見られたのです。宮様はそのとき十三、四歳であらせられたでしょうか。一番好奇心の強いお年頃です。衛士の若者はそれほど、たくましく美しいというわけでもなかったそうですが、人好きのする、いってみれば、とっつきやすい風貌をしていたそうです。いつも、きつい仕事を押し付けられていましたが、元々明るい性格だったのか、歌を歌うときは、それは気持ちよさそうに歌っていたそうです。二番三番になるにつれ、いよいよ滑稽な歌詞になり、若者は歌い終えると自分で笑い転げていました。宮様は、調子の良い歌の節に酔われたのか、つい気楽な気持ちで声をかけてみたくなられたのです。御簾を上げ
「その者、ちょっとこっちに来なさい。」
と、若者を高欄のそばにお呼びになり、
「さっき歌っていた、ひさごとはどんなひさごなの、もう一度詳しく話してごらん。」
若者は、辺りに侍女も居なかったのに気を許し、面白おかしく、酒壷のこと、国での生活のことを、お話し申し上げたのです。この宮様は高貴な方には珍しく活発な方で、宮中の、礼儀とか作法でがんじがらめの生活にあきあきしておられました。何か刺激のある面白いことに飢えておられたのでしょうか、二人はすっかり身分の違いも忘れ、意気投合してしまったのです。そして、あろうことか宮様は
「そこに私を連れて行って。前世からそんな運命になっている気がするの」
と、真剣な顔をしておっしゃるのです。若者は仰天し、とんでもないこと、と思いました。でも宮様は帝が大事にされるのも無理もない位、美しい方だったそうです。まだ幼さを残す美しいまなざしで、目を覗き込まれた若者は、もういけません。もう何とでもなれと、夢見る心地で
「はい、お連れ申し上げます。」
とお答えしてしまったのです。詰め所に戻り、正気が戻ってくると、すっかり青くなってしまいました。しょげ返っているところに、先輩が起きてきて
「おい、この着物洗っておけ」
と、自分の洗濯物を頭に投げつけたのです。この瞬間、若者の頭の中で、何かプツンと切れてしまいました。
「そうだ、これは前世の因縁なんだ。宮様をお連れして逃げよ、ということなんだ。」
若者の心は決まり、彼の頭は直ちに逃げる段取りに取り掛かったのです。逃げるのはそれほど難しいことではありません。何せ、火焚き屋の衛士は夜の警備を行う者たちです。一と所の火焚き屋は二人一組で勤務するのですが、先輩は、巡視のある最初のうちだけ、まじめに仕事をして、夜が更けてくると、 「じゃあな」と姿を消してしまいます。逃亡の機会はいくらでもあります。問題は故郷まで逃げ帰るための路銀です。今でも旅は大変です。食べ物がなければ行き倒れてしまいます。百年も前に飢えた人間に自分の食べ物を恵んでやれる人間など、いたでしょうか。いや、人にも会えず山の中で狼に食われてしまうのが落ちでしょう。
 その夜、火焚き屋でゆらめく炎を見つめ、思案をめぐらしていると、御殿の方で白いものが振られています。宮様です。高欄のそばに近寄ると、声を潜めて
「路銀になるようなものは私が用意するわ。あなたは私が見つからないよう、女の着物を捜してきて。四、五日すれば朔(月末)だから、月もなく真っ暗でしょう。」
宮様は心変わりするどころか、すっかりずっと前からの恋人同士のように話されたのです。若者は激しく心を揺り動かされ、改めて宮様のためならどんなことでもしようという気になってしまいました。しかも、この宮様が、意外にも下々のこと、たとえば旅の準備や地方の事情についてもかなりの知識を持っておられる事に驚き、心底魅了されてしまったのです。思うに宮様は、女のやることより、男のやることに、ご関心のある聡明な方だったのでしょう。男宮様にお生まれであれば帝になられた方かもしれません。
 闇夜が訪れた晩、若者はかがり火にたっぷりと薪を入れておきました。濡れ縁に現れた宮様を音もなく、抱き下ろすと、手早く上着を取り、すっぽり街女の着物を掛けました。そして、わらじをお履かせし、手に手を取って闇に消えたのです。
 若者もただ者ではありませんでした。必ず追っ手が来ることを予想し、釘抜きや金槌など大工道具を盗み出していったのです。勢田の橋(滋賀県大津市)を渡ると、宮様にそこで、お休み願い、今来た方にとって返し、橋板を全部はがして川に投げ捨ててしまいました。こうすれば、少なくとも馬では絶対追っては来れないのです。こうして二人は武蔵の国まで逃げ帰りました。
 もちろん内裏では大騒ぎです。帝やお后様のおうろたえようといったら、ありません。すぐに捜索が始められ、火焚き屋の衛士が連れ去ったらしい事が判明し、直ちに追っ手がかけられました。しかし、勢田の橋まで来てみると、人が集まり大騒ぎしています。橋板が外され渡れないと騒いでいるのです。こんなことで、追っ手は失敗し、改めて武蔵の国に使者が出されました。
 三月後、大勢の武者を従え、武蔵に到着した使者は若者を推挙した郡司の屋敷にいたり
「宮様をすぐ、ここにお連れせよ。そして、素直にあやつを差し出せば、これに関してお前たちに、これ以上お咎めはない。」と恫喝したのです。郡司がおそるおそる 「あの者はどういうことになるのでしょうか?」
「宮様をさらった者がどうなるかなど決まった話ではないか。言うまでもないことだ。」
すると、その時、屋敷の奥から宮様が姿をお現しになり
「あの者は、私がこの家をどうしても見たくて、連れてゆけと頼んだから、連れて来たのです。もし彼が処罰されるのだったら、後に残された私はそのままではいられません。私がここに来たのは何か前の世から決まった運命のよう感じているのです。ここで、根を下ろせというお告げではないかと思っています。都に帰り帝にそのように奏上しなさい。」
と、静かに、しかし、しっかりと使者の目を見すえて、おっしゃたのです。
 使いは已む無く都に帰りその通り、帝にご報告するしかありませんでした。帝も深くお悩みになったことは、間違いありません。しかし、帝は本当に宮様が可愛く大事にお思いになっていたので、最後には、宮様のご意思のとおりにされたのです。
 「竹芝の者が生きている限り、武蔵の国を任せよう。税その他の負担も免じる」 そういう旨の宣旨(天皇の命令)が出て、男は家を内裏のように建て替え宮様をお住まわせ申し上げました。宮様が亡くなられた後、そのお住まいを寺としたのがこの竹芝寺なのです。宮様がお産みになったお子様には、武蔵という姓をいただいたそうです。
 こんな事件があって後、宮中の火焚き屋には男に代えて女を勤めさせるようになったということです。



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