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平安時代における物々交換経済の実際(宇津保物語に見る)

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平安時代400年のうち前期には畿内を中心に貨幣による取引が行われていたが、 中期に至り全く銭の流通は見られなくなった。このため経済取引は米、布などの物品を介する物々交換経済に戻っていた。 その原因は”平安時代に銅銭が流通しなかった理由 ”で述べた。
物々交換経済では、米、布、鉄などが代替貨幣となるが、その不便さは現代人の想像を絶するものである。 鎌倉時代に入れば地方でも定期的な「市」が立つようになるが、平安時代中期には京都を除けば、 安定、豊富な物品交換の場がなく、必要な物品があれば、それを持っている人を訪ね歩いて交換してもらうしかなかった。 逆に物品を売る場合も同じである。ここで取り上げる『宇津保(うつほ)物語』は平安中期(950年頃?)に成立したとみられるが、 この作者は文学的才能もさることながら、庶民の下世話なことにも通じていて物語の中で貴重な社会実態を書き残している。
『宇津保(うつほ)物語』では寄る辺ない姫君が妊娠し、それを下働きの老婆がわづかに家に残された「唐鞍」を売り、 出産、育児に必要な物品を揃えるというくだりである。
唐鞍とは儀式用の螺鈿、蒔絵などの装飾が施された附属品一式を含めた豪華な鞍である。老婆は物を担いで、 このような高価贅沢な物品を必要とする限られた客を訪ね歩き、”多くのもの”と換えてもらった。 多くのものとはおそらく”米”である。これを、衣料品とか布を持っている人の所にゆき交換してもらった。 細々とした必要な物はそれだけではないので『媼よろづにし歩きて、そのをりの事みなしいでつ』と、 いろんな場所を訪ね歩き物品を揃えたのである。現代なら一日で済むことである。


宇津保物語引用


月日へて、子生むべきほどになるまで、見知らでゐたるに、九の月といふに、この使ふ媼物食せなどに前に出できて、うち傾きて見ていふやう
「あやしく、などか御さまの例ならずおはします。もし人も近く御物語やし給ひし」いらへ「いさや、近きまゝに、蓬葎(よもぎむぐら)とこそは語らへ」。
(媼)「あな、さがな。戯れにも、の給ふべきことにあらず。媼には、な隠し給ひそ。おうなは早うより、然(さ)は見奉れど、然(さ)もえ聞えざりつるなり。よし御かたきをば知り奉らじ。いつよりか御汚は止み給ひし。いと近げになり給ふめるを、の給へ。いかでか御設せざらむ」
いらへ「あやしくもいふかな。われはいかゞはある。れいすることは九月ばかりよりせぬ。されどなほ然(さ)有るにこそあらめとて、ともかくも覚えず」といへば、
(媼)「さらば、この月たゝむ月にこそおはしますなれ。あないみじや。かゝる御身を持ち給ひて、今まで知り給はざりけるはかなさよ。媼亡くなり侍りなば、いかゞなり給はん。あが君の御ためにこそ、拙なき身の命もをしけれ」といふにぞ「わが御身はかゝる事有りけり」とおもふにぞ、いとゞいみじき心ちして、はづかしくさへ有りて泣くをみて
「よし、いかゞはせむ。媼知り侍るは、物なおぼしそ。野山をわけても御をば仕うまつらん。子の御寶となり給はんとも知らず…御身々とだになり給ひなば、媼おひかづきても仕うまつらん。あが佛の御ゆかりには骨、舎利のなかよりも、あまき乳房は出で来なむ。白き髪の筋も、銀(しろがね)黄金(こがね)となりなん。あぢきなし、かなしともな覚えそ。唯御手をかいすまして、神佛に「御身々となし給へ」と申し給へ。また、媼の命を念じ給へ」と泣く泣くいひて、媼思ひまはして、片田舎に子供など有りければ、それがもとにいきて、君にはともかくもいはで、かの折に使ふべきものども、求めて、さりげなくて「この比(ころ)はいかでかおはしましつる。哀、いかにせむ。殿の内にとかくうちして、使ふべきものはありや」といへば、君「いさ、いかなるものをか、さはする」
(媼)「「何にまれまれあらん物を、いかにもいかにもしなして、おほくはこの御ために物せむかし」といへば、いと美しげに調じたる唐鞍を取り出だして「これは何にすべき物ぞ」とて見すれば「さはこれしていとようつかまつるべかめり。又物はなしや」と問へば「見えざめり」といふ。媼是をとりもちて、要じ給ふべき所々に持てゆきて、おほくになして、衣(きぬ)布などを買ひて、その設す。ものなど食はするをも僅にして、このことをのみ心に思ひ惑ひありく。女君は、草の生ひ凝りて、家のあばるゝまゝに、夜昼涙を流して、子生まんことを思はである程に媼よろづにし歩きて、そのをりの事みなしいでつ
かくて六月六日に子生まるべくなりぬ。気色ばみて悩めば、媼肝心を惑はして「たひらかに」と申しまどふほどに、殊に悩むこともなくて、玉光り輝く男(をのこ)を生みつ。
※引用:宇津保物語一 俊䕃 p.69 日本古典文学大系10岩波書店

<現代語訳>
月日が経って子が生まれる頃になるまで分からないでいたところ、妊娠9か月ともなり、使っている婆やが食事もとらないので、やって来て首をかしげてこういうのです。 「よくわかりませんが、御様子がいつもと違います。もしか身近な方にお話しされましたか」
その答えは「いいえ、身近にある蓬(よもぎ)や葎(むぐら)と話しています」
婆や「あら、いけませんよ。ふざけておっしゃることではありません。婆にはお隠しなさいますな。私は早くから妊娠されているのではないかと思っていましたが、そんなお話はお聞きしておりません。お相手の方を存じ上げません。いつから月のものは止まりましたか。一番近かったものをおっしゃってください。すぐ、ご準備をいたします」
答えは「変なことを言うものですね。私がどうしたっていうの。それは9か月ありません。だけど、そんなものかなと思って、どうってことないと思っていました」というので 婆「それなら今月が出産の月ですよ。これは大変です。このような御身体なのに今までご存知なかったとは幼すぎます。婆が死んでしまったらどうなされることでしょう。姫様のためであればこそ、このつまらない身の命も惜しうございます」というと
「私の身体はそのようなこと(妊娠)になっていたのか」
大そう良くない気持ちになり、恥ずかしくさへなって泣くのを見て
「よろしい。どういたしましょう。婆が知った以上は何もご心配なさいますな。野山を分けてもご出産のお手伝いをしますよ。子というのは宝物であるとも知らず…御身体が二つになられさへすれば、婆は背負ったりささげてもお仕えします。私の仏様のご縁で骨、舎利のの中からも甘い乳房は出てきます。白くなった髪の毛だって銀(しろがね)、黄金(こがね)となりますよ。いやなことだとか、悲しい事だなんて思ってはいけません。唯、御手を清めて神佛に「無事に出産できますように」とおっしゃってください。又、婆の命があるように祈ってください」と泣く泣く言って、思慮をめぐらし、片田舎に子供が居たので、そこに行って姫にはそのことを言わずお産の時に使える物を探したが、何もなく
「この頃どんなにされていますか。あれあれ、どうしましょう。御屋敷の中に何か使える物はありますか」というと
姫君「さて、どんなものが役立つの」
婆「何でも構いません、ある物をいかようにも工夫して、お産のために役立てましょう」と言ったらとても美しく作られた唐鞍を出してきて
「これは何にするものなの」
「それは、とても役立ちそうですよ。他には何かありませんか」と聞くと「ありません」という。
(婆は)これをかかえて必要としそうな御屋敷のいくつかに持って行って、多くのものに取り換え、衣料や布を買ってお産の準備をしました。食事もあまりとらず、お産の事ばかり心に懸けあちこちを駆けまわりました。女君は草が生い茂り、家の荒れるのも気に留めず、夜昼涙を流して子を産むことさへ考えられない間、婆はあちこち歩き回りお産の準備はすべてやってしまいました。
こうして、6月6日に子供が生まれそうになり、産気づき苦しんでいると、
(婆)心臓がどきどきして「ご無事で」と称えているうちに、特に苦しむこともなく玉の光輝く男の子を産みました。


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