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更級日記に現われる「くきぬき(茎貫き)」と懸け造り構造について

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更級日記に現われる「くきぬき(茎貫き)」と呼ばれた建築構造とは


清見の関とは律令時代に静岡市清水区清見寺にあった関所と考えられている。更級日記は以下の様にその様子を記述している。 『清見の關は、片つ方は海なるに、關屋どもあまたありて、海までくきぬきしたり』 多くの更級日記注釈書では道路を封鎖するだけでなく海まで柵を立てて通行を阻止していたという解釈である。この解釈が成立するためには、平安時代中期に関所が機能していることが必要である。しかし、当時そのような社会的必要性はなかった。関とは名ばかりで地名として残っていただけである。
『くきぬき』とは木材に貫通する穴を開けそこに別の木材を通して固定することであり、これから『柵』の意味で使われる。そのよう例は蜻蛉日記に見られる。(小学館古語大辞典)
『飛鳥(神社)に御灯明奉りければ、ただくきぬきに車(の轅)をひきかけて見れば…』

更級日記の短い記述は
「清見の関の片方は海で(場所がないのに)関屋がたくさんあって、それで海までくきぬきしていた」
と読める。つまり『くきぬき』は単なる平面的柵ではなく、タイトル画像に示す清水寺の舞台に見られるような『懸け造り』という建築構造の呼び方を作者が知らず、素人目で『茎貫き』という言い方をした可能性が高い。
  正しい解釈は「清見の関では崖が海岸に迫り場所がないので、たくさんの関屋は懸け造り構造(立体的茎貫き)で海に床を張出し床面積を確保していた」ということになる。
では何故そんな狭い場所に無理をして建物を建てたのかと言えば、ここは清見潟という景勝の地、歌枕の地であったからである。東海道を旅する旅人は必ずこの狭い場所を通らざるを得ない。一方ここで宿泊や休憩というサービスを提供して儲けようとする者にとってはこれ以上の場所はない。建築に無理をしてもスペースを確保できれば採算は合ったのである。


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