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現代まで残っていた土葺き屋根の穴屋

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更級日記の一行が天竜川河畔で仮屋を作って、作者の病気が癒えるまで逗留したことが記されている。 この仮屋がどのようなものであったかについて、このサイトでは半地下式の穴屋ではなかったかということを述べた。日本では住居として縄文、弥生・時代以来、地面に掘込まれた穴屋が長く続き、鎌倉時代も「室」などの目的で作られていたことを述べた。
  ところが、 半地下式の穴屋はつい最近まで一部の地方では残っていたという。日常の居住用の住宅ではなく作業小屋であるが、そのことについて宮本長二郎氏は集英社、日本古代史シリーズ『豊穣の大地』の中で下記に引用する穴屋の存在を述べている。
  モグラ生活のような穴屋は歴史的に見れば、けっして特異な住まいではなく、つい平安時代くらいまでは、ごく普通の住居であった。保温性の悪い衣服、堅固な住宅資材、暖房器具がない時代にあっては、冬季には唯一穴屋のみが人間が生存できる居住空間であった。 現代でも大災害、大戦争が起こったら、この半地下住居はたちまち現実のものになる。例えば、先の大戦において空襲で家を失った人々が崖に穴を掘り小屋掛けしてしばしの年月を過ごしたことは記憶に新しい。
※タイトル画像は本物のモグラの穴であるが、ちょっと縄文時代集落の航空写真に見えないだろうか。


現代に残っていた穴屋建物


(以下引用)
  いまではまったくみられなくなったけれども、近年まで関東地方や長野県の農家の庭先には「室(むろ)」が作られて、藁(わら)の貯蔵と藁仕事の場とされていたことが、戦前の民俗学調査によって記録されている、次ページに示した図はそのうちの一例で、竪穴住居の形式をもっていることがわかる。
  民俗学的調査であるが、たいへん詳しく平面・断面図と写真を残しているので、具体的な形を知ることができる。しかし、実際に実物にあたって調べてみたいことが一つだけある。(図面の出所:『日本農民建築』第13集より)



  それはこの「室(むろ)」の屋根がたんなる草葺き屋根ではなく、草と草との中間に土をサンドイッチにした葺き方をしていることについてである。屋根に土を葺く技法は現在ではまったく存在しない。一体、どのようにして土を屋根に固定したのであろうか。調査の説明文中には、「垂木上に薄く下地草を葺き、土を置いて上葺きの草とともに縄で垂木に固定する」方法と、下地草のかわりに筵を使う方法とが記されているが、土をこのように簡単に固定できるものか不安であるし、なぜ土で葺く必要があったのか興味ぶかい。
   土を草ではさみこむのは土が垂木のあいだから落ちるのを下地の草や蓆で防ぎ、雨で土が流出するのを上葺きの草で防ぐためであることは容易に想像がつく。つまり、土葺きが主で草葺きは補助的役割を持つだけであって北方民族の土葺き屋根の竪穴住居と同系統に属するものである。このことからも、「室」は原始・古代の竪穴住居の名残りをとどめているとも考えられるのである。(宮本長二郎)(以上引用終わり)
豊穣の大地 p.98、佐原真編、集英社1986
竪穴住居のなごり


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