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十六夜日記に見る東海道(鎌倉街道)の旅

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十六夜日記、東海道関東下向の旅(鎌倉街道をたどる)


弘安二年(1279年)十月十六日(グレゴリオ暦11月28日)、阿仏尼は相続の訴訟のため鎌倉に旅立ち、十月廿九日(グレゴリオ暦12月11日)鎌倉に到着した。正味14日間の旅であった。彼女は鎌倉街道をたどり、速度も女性の脚であったので、ほぼ標準的な交通であったとみられる。十六夜日記は他の鎌倉時代紀行文と比較すると着眼が異なる部分も多く、旅行記部分は交通の参考文献として重要である。以下、旅行記部分のみ引用する。
中世日記紀行集、十六夜日記、p186、新日本古典文学大系、岩波書店
※アラビア数字の日付は現代と同じグレゴリオ暦である。
タイトル画像は一遍上人絵伝、尾張国、萱津宿
以下引用


弘安二年十月十六日(1279年11月28日)


粟田口といふ所より車は返しつ。程なく逢坂の関越ゆる程も、

  定めなき命は知らぬ旅なれど又逢坂と頼めてぞ行く

野路といふ所は、来し方行先人も見えず。日は暮れかゝりて、いと物悲しと思ふに、時雨さへうちそゝぐ。

  打しぐれ故里思ふ袖濡れて行先遠き野路の篠原

今宵は鏡といふ所に着くべしと定めつれど、暮れ果てて行着かず。守山といふ所にとどまりぬ。爰(ここ)にも時雨猶慕ひ来にけり。

  いとゞ猶袖濡らせとや宿りけん間(ま)なく時雨の守山にしも

今日は十六日の夜なりけり。いと苦しくて、うち臥しぬ。
いまだ月の光かすかに残りたる明ぼのに、守山を出でて行く。野洲川渡る程、先立ちて行旅人の駒の足音ばかりさやかにて、霧いと深し。

  旅人も皆もろともに先立ちて駒うち渡す野洲の川霧


十七日の夜は、小野の宿といふ所にとゞまる


月出て山の峰に立続きたる松の木の間、けぢめ見えていと面白し。 こゝも夜深き霧の迷ひにたどり出でつ。醒が井といふ水、夏ならば打過ましやと思ふに、徒歩(かち)人は猶立ち寄りて汲むめり。

  結ぶてに濁る心をすゝぎなば憂き世の夢や醒が井の水

とぞ覚ゆる。


十八日、美濃国関の藤河渡る程に、先ず思ひ続けける


  わが子ども君に仕へんためならで渡らましやは関の藤河

不破の関屋の板庇は、今も変らざりけり。

  隙(ひま)多き不破の関屋はこの程の時雨もいかにもるらん

関よりかきくらしつる雨、時雨に過(すぎ)て降くらせば、道もいと悪しくて、心より外に笠縫の駅(うまや)といふ所にとゞまる。

  旅人は蓑うち払ふ夕暮れの雨に宿借る笠縫の里


十九日、又こゝを出でて行く


夜もすがら降つる雨に、平野とかやいふ程、道いとゞわろくて、人通ふべくもあらねば、水田の面(おも)をぞさながら渡り行く。明くるまゝに、雨は降らずなりぬ。昼つ方、過行道に目に立つ社あり。人に問へば、結ぶの神とぞ聞ゆると言へば、

  まぼれたゞ契結ぶの神ならば解けぬ恨みにわれ迷はさで

洲俣とかや言ふ川には、舟を並べて、まさきの綱にやあらん、かけとゞめたる浮橋あり。いと危うけれど渡る。此川堤の方はいと深くて片方は浅ければ、

  仮の世の往き来と見るもはかなしや身の浮舟を浮橋にして

とぞ思ひ続けける。
又一宮といふ社を過ぐとて、

  一の宮名さへなつかし二つなく三つなき法を守るなるべし


廿日、尾張国下戸(おりと)という駅(うまや)を行く


避(よ)きぬ道なれば、熱田の宮へ参りて、硯取り出でて書きつけて奉る歌五、

  祈るぞよわが思ふこと鳴海潟かた引く潮も神のまにまに

  鳴海潟和歌の浦風隔てずは同じ心に神も受くらむ

  満つ潮のさしてぞ来つる鳴海潟神やあはれとみるめ尋ねて

  雨風も神の心にまかすらんわが行先の障りあらすな

  契りあれや昔も夢にみしめ縄心にかけてめぐりあひぬる

潮干の程なれば障りなく干潟を行(ゆく)折しも、浜千鳥いと多く先立ちて行くも、

  浜千鳥鳴きてぞ誘ふ世中に跡とめむとは思はざりしを

隅田河のわたりにこそありと聞きしかど、都鳥といふ鳥の嘴(はし)と脚(あし)と赤きは、この浦にもありけり。

  言問はむ嘴と脚とはあかざりし我住む方の都鳥かと

二村山を越えて行に、山も野もいと遠くて、日も暮れ果てぬ。

  はるばると二村山を行過ぎて猶末たどる野辺の夕闇

八橋にとゞまらんといふ。暗くて橋も見えずになりぬ。

  さゝがにの蜘蛛手危うき八つ橋を夕暮かけて渡りぬる哉


廿一日、八橋を出でて行くに、いとよく晴れたり


山もと遠き原野を分行く。昼つ方になりて、紅葉いと多き山に向ひて行。嵐につれなき所々、朽葉に染め変へてけり。常盤木どもも立ちまじりて、青地の錦を見る心地す。人に問へば、宮路の山と言ふ

  時雨けり染むる千入(ちしお)の果ては又紅葉の錦色かへるまで

此山までは昔見し心地するに、比(ころ)さへ変らねば、

  待ちけりな昔も越えし宮路山同じ時雨のめぐりあふ世を

山の裾野に竹のある所に。萱屋の一見ゆる、いかにして何の便りにかくて住むらんと見ゆ。

  主や誰山の裾野に宿しめてあたり淋しき竹の一むら

日は入果てて猶物のあやめも分かぬ程に、渡津(わたうど)とかやいふ所にとゞまりぬ。


廿二日の暁、夜深き有明の影に出でて行く


いつもより物悲し。

  住みわびて月の都を出でしかど憂き身離れぬ有明の影

とぞ思ひ続くる。供なる人「有明の月さへ笠着たり」と言ふを聞きて、

  旅人の同じ道にや出つらむ笠うち着たる有明の月

高師の山も越えつ。海見ゆる程、いと面白し。浦風荒れて松の響すごく、波いと高し。

  我ためや浪も高師の浜ならん袖の湊の浪は休まで

いと白き洲崎に黒き鳥の群れゐたるは、鵜といふ鳥なりけり。

  白浜に墨の色なる嶋つ鳥筆の及ばば絵に描きてまし

浜名の橋より見渡せば、鴎(かもめ)といふ鳥いと多く飛びかひて、水の底へも入る。岩の上にもゐたり。

  鴎ゐる洲崎の岩もよそならず波のかけ越す袖に見馴れて

今宵は引馬(ひきま)の宿といふ所にとゞまる。此所の大方の名は、浜松とぞ言ひし。 親しといひしばかりの人々など住む所也。住み来し人の面影もさまざま思ひ出られて、又めぐりあひて見つる命の程も、返すがえす哀なり。

  浜松の変わらぬ影を尋ね来て見し人なみに昔をぞ問ふ

其世に見し人の子孫など呼び出でてあひしらふ。


廿三日、天竜の渡りといふ、舟に乗るに、西行が昔も思ひ出でられて、いと心細し


組み合せたる舟たゞ一にて、多くの人の往来に、さし帰る暇もなし。

  水の泡のうき世に渡る程を見よ早瀬の小舟棹も休めず

今宵は遠江見付の里といふ所にとゞまる。里荒れて物恐ろし。傍に水の井あり。

  誰か来て見付の里と聞くからにいとゞ旅寝ぞ空恐ろしき


廿四日、昼に成て、さやの中山越ゆ


言任(ことのまま)とかやいふ社の程、もみぢいと面白し。山陰にて嵐も及ばぬなめり。深く入(いる)ままに、遠近(をちこち)の峰続き、異山に似ず、心細く哀也。麓の里に菊川といふ所にとゞまる。

  越え暮(くら)す麓の里の夕闇に松風送るさよの中山

暁、起きて見れば、月も出にけり。   雲かゝるさやの中山越えぬとは都に告げよ有明の月

河音いとすごし。

  渡らむと思ひやかけし東路にありとばかりは菊川の水


廿五日、菊川を出でて、今日は大井川といふ川を渡る


水いとあせて、聞きしには違ひてわづらひなし。河原幾里とかや、いと遥か也。水の出でたらん面影、推し量らる。

  思ひ出る都のことは大井川幾瀬の石の数も及ばじ

宇津の山越ゆる程にしも、阿闍梨の見知りたる山伏行あひたり。「夢にも人を」など、昔をわざとまねびたらん心地して、いと珍かに、をかしくも哀れにもやさしくも覚ゆ。急ぐ道なりと言へば、文もあまたはえ書かず。たゞやむごとなき所一にぞ、音信(おとづれ)聞こゆる。

  我心うつゝ共なし宇津の山夢にも遠き都恋ふとて

  蔦楓時雨(しぐ)れぬ隙(ひま)も宇津の山涙に袖の色ぞ焦がるゝ

今宵は手越といふ所にとゞまる。なにがしの僧正とかやの上るとて、いと人しげし。宿借りかねたりつれど、さすがに人のなき宿も有けり。


廿六日、藁科川とかや渡りて、興津の浜に打出づ


「なくなく出し跡の月影」など、先づ思ひ出でらる。昼立ち入たる所に、あやしき黄楊(つげ)の小枕あり。いと苦しければ打臥したるに、硯も見ゆれば、枕の障子に、臥ながら書きつく。

  なをざりのみるめばかりをかり枕結びおきつと人に語るな

暮かゝる程、清見が関を過ぐ。岩越す浪の白き衣(きぬ)を打着するやうに見ゆる、いとおかし。

  清見潟年経る岩に言問はん浪の濡れ衣重ね着つ

程なく暮て、其のわたりの海近き里にとゞまりぬ。浦人のしわざにや、隣よりくゆりかかる煙、いとむつかしきにほひなれば、「夜の宿なまぐさし」と言ひける人の詞も思ひ出でらる。夜もすがら風いと荒れて、波たゞ枕に立騒ぐ。

  ならはずよよそに聞こし清見潟荒磯浪のかゝる寝覚は

富士の山を見れば、煙も立たず。昔、父の朝臣に誘はれて、「いかに鳴海の浦なれば」など詠みし比(ころ)、遠江国までは見しかば、富士の煙の末も朝夕確かに見えし物を、いつの年よりか絶しと問へば、さだかに答ふる人だになし。

  誰が方になびき果ててか富士の嶺の煙の末の見えずなるらん

古今の序の詞まで思ひ出られて、
  いつの世の麓の塵か富士の嶺を雪さへ高き山となしけん

  朽果てし長良の橋を造らばや富士の煙も立たずなりなば

今宵は浪の上といふ所に宿りて、荒れたる音左右(さう)に、目も合わず。


廿七日、明はなれて後、富士川渡る


朝河いと寒し。数ふれば十五瀬をぞ渡りぬる。

  さえ詫ぬ雪よりおろす富士河の川風凍る冬の衣手

今日は日いとうらゝかにて、田子の浦に打出づ。海人(あま)どもの漁(いさり)するを見ても、

  心からおり立つ田子の蜑(あま)衣乾さぬ恨みと人に語るな

とぞ言はまほしき。
伊豆の国府といふ所にとゞまる。いまだ夕日残る程、三嶋の明神へ参るとて詠みて奉る。あはれと三島の神の宮柱たゞこゝにしもめぐり来にけり

  をのづから伝へし跡もあるものを神は知るらん敷島の道

  尋ね来てわが越えかゝる箱根路を山のかひあるしるべとぞ思ふ


廿八日、伊豆の国府(こう)を出でて箱根路にかゝる


いまだ夜深かりけりれば、

  玉くしげ箱根の山を急げどもなを明けがたき横雲の空

足柄山は道遠しとて、箱根路にかゝるなりけり。

  ゆかしさよそなたの雲をそばだててよそになしぬる足柄の山

いと険しき山を下る。人の脚もとゞまりがたし。湯坂といふなる。からうして越え果てたれど、麓に早川といふ河あり。まことに速し。木の多く流るゝをいかにと問へば、海人の藻塩木を浦へ出さんとて流す也と言ふ。

  東路の湯坂を越えて見渡せば塩木流るゝ早川の水

湯坂より浦に出でて日暮かゝるに、猶とどまるべき所遠し。 伊豆の大島迄見渡さるゝ海面(うみづら)を、いづことか言ふと問へば、知りたる人もなし。海人(あま)の家のみぞある。

  蜑(あま)の住むその名も白浪の寄する渚に宿や借らまし

丸子川といふ河を、いと暗くてたどり渡る。今宵は酒匂といふ所にとゞまる。 明日は鎌倉へ入べしといふ也。


廿九日、酒匂を出でて、浜路をはるばると行く


明(あけ)はなるゝ海の上、いと細き月出でたり。

  浜路行く心細さを波間より出でて知らする有明の月

渚に寄せ返る浪の上に霧立ちて、あまた有(あり)つる釣り舟見えずなりぬ。

  蜑(あま)小舟漕ぎ行(ゆく)方を見せじとや浪に立添ふ浦の朝霧

都遠く隔たり果てぬるも猶夢の心地して、

  立離れよもうき波はかけもせじ昔の人の同じ世ならば

東(あづま)に住む所は、月影の谷(やつ)とぞいふなる。浦近き山もとにて、風いと荒し。山寺の傍なれば、のどかにすごくて、波の音松風絶えず。


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