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旅の日程はどのように決めたか

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平安時代に旅の日程はどのように決めていたか?


 一応、陰陽師(おんみょうじ)に伺いを立てて決めていたといわれるが、菅原家一行の旅日程を見ると陰陽師も、単に占いで決めるというより、気候を十分検討し、旅がし易いように配慮していたようである。例えば出発日は10月4日(ユリウス太陽暦)で実際には雨になったが、普通なら台風の季節が終わり秋晴れが続く頃である。10月始めに出発すれば多少の余裕を見ても厳寒期になる前(12月中旬)に京都に着けるという計算が見て取れる。当時の旅で大問題は渡河であった。大河にはほとんど橋がないから、雨の多い季節(梅雨、、台風、秋の長雨)には荷物の多い旅は非常に困難であった。その点、台風が過ぎ去った晩秋から初冬の季節は川の水かさも減り、上流であれば徒渡りできるところも少なくない。
 陰陽師といえば何か占いで神がかり的に物事を決めていたという印象があるが、実際には当時なりの実証的経験をを生かし、それに権威を与えるため神様を持ち出したのではないだろうか。あまりに荒唐無稽のお告げで依頼者に不便をさせていたら陰陽師も仕事がなくなってしまう。いつの時代もお客様あっての話です。
 時代を下り江戸時代には雨の多い季節には渡河の多い東海道が使えない場合に備え、山道の多い中山道が用意されていた。しかし、この街道が整備され日常的に使えるようになったのは江戸時代になってからである。平安時代にも東山道として通れないことはなかったが、険しい山道でとんでもない苦労があったという。また盗賊出没の危険も大きかった。したがって女子供を連れた荷物の多い旅には利用されなかったと考えられる。


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