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菅原家一行は上総からどんなものを持ち帰ったか?

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旅には通貨たる米と、かさばらず交換価値の高い特産物が重要


 延喜式によれば隣の下総(上総は文献が手元にない)は庸として布(特に断らなければ麻布)、調としてあしぎぬ(絹布)、布、紺布、黄布、中男作物(17-20歳の男性に課される税、地方の特産品で納める)として麻、紙、紅花が課されたという。上総については雑魚の干物、あわび、海藻がみられるという。麻布は上総、下総の国名「総(麻の古名ふさ)」になっているように、この地方の特産である。特に望だ郡の望だ布は極上品として珍重されたらしい。その他、塩も税として科されることはなかったかもしれないが重要な産物だっただろう。従って、上記のような産物を帰京の際に国司の報酬として持ち帰ったはずである。但し、これらの産物を最終目的地の京都まで持ち帰るとは限らない。途中で、京都で珍重される別の産物に交換出来れば、交換しただろう。それもなるべくかさばらず高価なもの程望ましい。

 米は当然ある程度の量は携行したと思われる。自分たちの食糧としてはもちろんだが、米は量を自在に計量できるメリットがあり、こまごました物資を調達したり、臨時雇いの人足の給与を支払うための、代替貨幣としての利便性が高かった。現代人の感覚では、重量のある米は通過地点で必要量を調達しようと考えるだろうが、人口が約600万人と現代より圧倒的に少ない平安時代の日本では集落の規模は小さく備蓄している米も少ない。調達が可能なのは市の立つ国府所在地とか、舟運のある港ぐらいであった。運ぶのは大変だが10俵以上の米俵を常時携行していたのではないか。



図は一遍上人絵伝、備前福岡市より。米や布、陶器壺、高下駄などが売られている。


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