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まのの長者は何故没落したのだろうか

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まのの長者が没落した原因と平安時代の産業の仕組み


 市川市史に次のような解説(竹内理三)がある。(第二巻古代中世編p.150)『「下総国まののてう」は「下総国真野の長者」の意であろうという。昔の橋柱の残るを見て長者の邸趾といい伝えられたことを信じた人々が、十世紀頃あったことが知られる。その河は、今日のいずれに当たるかさだかでないが、下総国にはそうした没落した長者伝説が古くに存在したわけである。そしてこの長者は、さきに述べた私営田領主が、農民の抵抗によって田地の経営に失敗し、没落したものだといわれる。』

 上の解釈は当時の政治、経済的背景と結びつけてなされたものであるが、一方で、単純に台風のような、自然災害が原因と考えることも可能だろう。河の中の柱は更級日記が伝えるように実際に「門の柱」であり、大きな台風か梅雨時の集中豪雨でこの辺一体が大洪水に見舞われ、長者の麻布工場、屋敷もろとも流されてしまい、ついでに長者一族も水に呑まれ再起することがなかった。都川の河道もそのときに変ってしまい、昔の門の位置が河になってしまったという筋書きである。現代なら損害保障保険や預貯金などで再起を図るところだが、当時は工場や生産された商品在庫そのものが資本であったから、大きな災害があればそれで一巻の終わりだったのである。

※画像は粉河寺縁起絵巻(日本絵巻物全集、角川書店)からコピーしましたので、綴じ目が広げられず黒い線となったしまいました。この絵巻は火災にあって黒い焦げ目があちこちにあります。


粉河寺縁起絵巻『倉』の図、模写:今昔物語集(四)挿絵より、日本古典文学全集(小学館)
原本は火災に遭い、老朽化で見づらくなっている。

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