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庵(いお)は具体的にどんな構造のテントだったのだろうか?

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平安時代に庵(いお)と呼ばれたテントの構造


 よく運動会などで設営されるテントに似たテントが平安時代の行事を描いた絵巻に見られる(年中行事絵巻、御斉会)。年中行事絵巻は後白河法王の命により平安末期に描かれたものだが、そこに登場するテントは現代のものと形態はさほど変わらない。材料が現代と異なり、支柱は木でテント地は大麻、苧麻だったろう。支柱の本数も鉄でないため多そうである。(年中行事絵巻、御齋会部分)
 旅行ではこれを小さくして携帯しやすくしたテントを持ち歩いたのではないだろうか。性能的には防水性が悪く、しかも重いので同行人数が楽に入れるだけの数は携行出来なかっただろう。そこで支柱は重いので幕だけ運び立木を利用して小屋掛けしていた可能性がある。

 

画像は「年中行事絵巻」に描かれた高麗楽、唐楽を演奏する楽団が入ったテント(庵)である。


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