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平安時代の船の構造はどういうものであったか?

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平安時代の船の構造


 鎌倉時代以前の船はかなり原始的である。外洋航海を目的に作られた遣唐船のような船は特別であるが、それでも構造が脆弱でしばしば難破している。沿岸航路、内海航路で使われていた船の基本構造は準構造船と呼ばれる、基本的には刳り舟であり、それに船首、船尾部分を取り付け、舷側に波除け板を取り付けたものであった。中心部は樟(くす)の木の大材を刳りぬいて作られていた。動力は筵で作った帆を備えるものもあったが基本的には櫂による人力駆動であった。
このような構造では大型船は無理でほとんどが100石積み以下の小型船であり、航行できる海域も波静かな瀬戸内海や湾内、沿岸部に限られていた(永原慶二『苧麻、絹、木綿の社会史p.275』吉川弘文館)。鎌倉時代には中部地方から関東まで太平洋を経由する航路が可能になったようだが、それも、天気の良い日を見計らって恐る恐る海岸に沿って航行するという状態であったと考えられる。平安時代にはいくら水運の効率が良いと分かっていても、関東から畿内まで大きなリスクを冒して直接、船で物資を輸送することは考えられなかった。太平洋は一旦沖に流され、黒潮に乗ってしまうと当時の帆走技術では岸に戻れなかったし、第一、日本の外海に関する知識がほとんどなかった。

 

メイン画像出典:「玄界灘の波濤を越えて」図版、糸島市立伊都国歴史博物館(2015)。模型現品は福岡市立少年科学文化会館蔵


準構造船の断面
鎌倉時代以前には船底部分を水密に作ることができなかったので自然木(楠)の大材を二つに割り、それを刳り抜いて使うしかなかった。刳り抜いたのち下船梁を押し込んで幅を押し広げて船の幅を確保した。両舷に上棚と呼ばれる板を貼り付け、上船梁で固定する。上船梁は舷側に張り出しここには板を渡して水手(漕ぎ手)が座る場所とした。

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