菅原孝標家の家族構成は意外とノーマル
菅原孝標家は平安時代にしては家族構成がシンプルで現代の家庭とさほど変わりません。菅原孝標は上総から帰京後自宅を購入していますので、当主はもちろん孝標自身です。常陸の介をを最後に隠居する時、当主に据えられたのが二女の孝子です。姉さんが存命なら、そちらが当主でしょうが若くして他界したのでそうなってしまったのです。そう、平安時代には家は女系で継承するものだったのです。兄さんはいても、そちらは婿入りして家を出ています。
一つだけ謎らしきものは其円という弟です。孝標の子といわれていますが正直、彼は母親が誰だかわかっていません。
続柄
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呼称
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生年
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性格
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備考
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父
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てて |
972
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生真面目、世渡り下手、子煩悩
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菅原孝標、上総の介、常陸の介
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母
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はは
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973?
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非社交的、保守的、
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藤原倫寧の娘、「蜻蛉日記」の作者の妹
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姉
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あね
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1001?
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聡明 |
1024年、産後没(23歳?)
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兄
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せおと
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1002
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かなり有能で世渡りも上手
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菅原定義:文章博士、大学頭、和泉の守
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このサイトでの仮名、孝子
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本人
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1008
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更級日記の作者、子2~3人?
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弟 |
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基円:安楽寺別当 |
姪
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めい
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1022?
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姉の子
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姪
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めい
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1024
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姉の子
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継母
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ままはは
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聡明、おそらく美人とは言わなくても男の目を引く魅力もある
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高階成行の娘。上総に下る時、孝標と結婚、帰京後、離別。宮仕えでは上総太輔と呼ばれる。後一条院中宮に仕える
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継母の子
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稚児ちご
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1016
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連れ子
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夫
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橘俊通
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信濃の守
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男子
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橘仲俊
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1041?
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