更級日記原典(結婚から晩年まで)
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更級日記原典(結婚から晩年まで)

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13 宮仕へ(長元九年-長久三年)

 

十月になりて京にうつろふ。母、尼になりて、同じ家の内なれど、方異に住み離れてあり。父はたゞ我をおとなにしすゑて、我は世にも出で交らはず、かげに隱れたらむやうにてゐたるを見るも、賴もしげなく心細くおぼゆるに、きこしめすゆかりある所に、「何となくつれづれに心細くてあらむよりは」と召すを、古代の親は、宮仕へ人はいと憂き事なりと思ひて、過ぐさするを、「今の世の人は、さのみこそは、出でたて。さてもおのづからよきためしもあり。さても心見よ」といふ人々ありて、しぶしぶに出だしたてらる。
 まづ一夜まゐる。菊のこくうすき八つばかりに、こき掻練をうへに着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほかに行き通ふ類、親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかの事はなきならひに、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、現ともおぼえで、曉にはまかでぬ。  里びたる心地には、なかなか、定まりたる里住よりは、をかしき事をも見聞きて、心も慰みやせむと思ふをりをりありしを、いとはしたなく悲しかるべきことにこそあべかめれと思へど、いかゞせむ。師走になりて又まゐる。局してこの度は日ごろさぶらふ。うへには時々、夜々ものぼりて、しらぬ人の中にうち臥して、つゆまどろまれず。恥づかしう物のつゝましきまゝに、忍びてうち泣かれつゝ、曉には夜深くおりて、日ぐらし、父の老い衰へて、我を子としも賴もしからむかげのやうに思ひたのみ、向かひゐたるに、戀しくおぼつかなくのみおぼゆ。母なくなりにし姪どもも、生まれしより一つにて、夜は左右に臥しおきするも、哀れに思ひいでられなどして、心も空に眺めくらさる。たち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじく物つゝまし。  十日ばかりありてまかでたれば、父母、炭櫃に火などおこして待ちゐたりけり。車よりおりたるをうち見て、「おはする時こそ人めも見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人聲もせず、前に人影も見えず、いと心細くわびしかりつる。かうてのみも、まろが身をば、いかゞせむとかする」とうち泣くを見るもいと悲し。つとめても、「今日はかくておはすれば、内外人多く、こよなくにぎはゝしくもなりたるかな」とうちいひて向かひゐたるも、いとあはれに、何のにほひのあるにかと涙ぐましう聞ゆ。  ひじりなどすら、前の世のこと夢に見るは、いとかたかなるを、いとかう、あとはかないやうに、はかばかしからぬ心地に、夢に見るやう、清水の禮堂にゐたれば、別當とおぼしき人いで來て、「そこは、前の生に、この御寺の僧にてなむありし。佛師にて、佛をいとおほく造りたてまつりし功徳によりて、ありし素姓まさりて、人と生れたるなり。この御堂の東におはする丈六の佛は、そこの造りたりしなり。箔をおしさしてなくなりしぞ」と。「あないみじ。さは、あれに箔おし奉らむ」といへば、「なくなりにしかば、異人箔おし奉りて、異人供養もしてし」と見て後、清水にねむごろにまゐりつかうまつらましかば、前の世にその御寺に佛念じ申しけむ力に、おのづからようもやあらまし。いといふかひなく、詣でつかうまつることもなくてやみにき。
 十二月廿五日、宮の御佛名に召しあれば、その夜ばかりと思ひてまゐりぬ。白き衣どもに、濃き掻練をみな着て、四十餘人ばかり出でゐたり。しるべしいでし人のかげに隱れて、あるが中にうちほのめいて、曉にはまかづ。雪うち散りつゝ、いみじく烈しくさえこほる曉がたの月の、ほのかに濃き掻練の袖にうつれるも、げにぬるゝ顏なり。道すがら、   年はくれ夜はあけがたの月影の袖にうつれるほどぞはかなき  かう立ち出でぬとならば、さても、宮づかへの方にも立ちなれ、世にまぎれたるも、ねぢけがましきおぼえもなきほどは、おのづから人のやうにもおぼしもてなさせ給ふやうもあらまし。親たちもいと心得ず、ほどもなく籠めすゑつ。さりとてそのありさまの、たちまちにきらきらしき勢ひなどあんべいやうもなく、いとよしなかりけるすゞろ心にても、ことのほかにたがいぬるありさまなりかし。
  いくちたび水の田芹を摘みしかば思ひしことのつゆもかなはぬ とばかりひとりごたれてやみぬ。
 その後は何となくまぎらはしきに、物語のことも、うち絶え忘られて、物まめやかなるさまに、心もなりはててぞ、などて、多くの年月を、いたづらにて臥しおきしに、おこなひをも物詣をもせざりけむ。このあらましごととても、思ひしことどもは、この世にあんべかりけることどもなりや。 光る源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは。薫大將の宇治に隱しすゑ給ふべきもなき世なり。あな物狂ほし、 いかによしなかりける心なりと思ひしみはてて、まめまめしく過ぐすとならば、さてもありはてず、まゐりそめし所にも、かくかき籠りぬるを、まことともおぼしめしたらぬさまに人々も告げ、絶えず召しなどする中にも、わざとめして、若い人まゐらせよと仰せらるれば、えさらず出だし立つるにひかされて、又時々出で立てど、過ぎにし方のやうなるあいなだのみの心おごりをだに、すべきやうもなくて、さすがに若い人に引かれて、をりをりさしいづるにも、なれたる人は、こよなく、何事につけてもありつき顔に、我はいと若人にあるべきにもあらず、又おとなにせらるべきおぼえもなく、時々の客人にさしはなたれて、すゞろなるやうなれど、ひとへにそなたひとつを賴むべきならねば、我よりまさる人あるも、うらやましくもあらず、なかなか心やすくおぼえて、さんべき折ふしまゐりて、つれづれなる、さんべき人と物語などして、めでたきことも、をかしくおもしろきをりをりも、わが身はかやうに立ちまじり、いたく人にも見知られむにも、はゞかりあんべければ、たゞ大方の事にのみ聞きつゝ過ぐすに、内の御ともにまゐりたる折、有明の月いとあかきに、我がねむじ申す天照御神は、内にぞおはしますなるかし。かゝる折にまゐりてをがみ奉らむと思ひて、四月ばかりの月のあかきに、いとしのびてまゐりたれば、博士の命婦は知るたよりあれば、燈籠の火のいとほのかなるに、あさましく老い神さびて、さすがにいとよう物などいひゐたるが、人ともおぼえず、神の現はれ給へるかとおぼゆ。  又の夜も、月のいとあかきに、藤壺のひむがしの戸をおしあけて、さべき人々物語しつゝ月をながむるに、梅壺の女御ののぼらせ給ふなるおとなひ、いみじく心にくゝ優なるにも、故宮のおはします世ならましかば、かやうにのぼらせ給はましなど、人々いひ出づる、げにいとあはれなりかし。
天の戸を雲井ながらもよそに見て昔のあとを戀ふる月かな
冬になりて、月なく、雪も降らずながら、星の光に、空さすがに、くまなくさえわたりたる夜のかぎり、殿の御方にさぶらふ人々と物語しあかしつゝ、明くればたちわかれたちわかれしつゝ、まかでしを、思ひ出でければ、
  月もなく花も見ざりし冬の夜の心にしみて戀しきやなぞ
 我もさ思ふことなるを、同じ心なるも、をかしうて、   さえし夜の氷は袖にまだとけで冬の夜ながらねをこそは泣け  御前に臥して聞けば、池の鳥どもの夜もすがら、聲々羽ぶきさわぐ音のするに、目も覺めて、
わがごとぞ水のうきねにあかしつつ上毛の霜を拂ひわぶなる <
とひとりごちたるを、かたはらに臥し給へる人聞きつけて、
まして思へ水のかりねのほどだにぞうはげの霜を拂ひわびける
 かたらふ人どち、局のへだてなるやり戸を開けあはせて物語などし暮らす日、又、かたらふ人の、上にものし給ふを度々呼び下すに、「切にことあらば行かむ」とあるに、枯れたる薄のあるにつけて、
冬がれのしのゝをすゝき袖たゆみ招きもよせじ風にまかせむ


14.春秋のさだめ(長久三年-寬德二年)


上達部、殿上人などに對面する人は、定まりたるやうなれば、うひうひしき里人は、ありなしをだに知らるべきにもあらぬに、十月ついたちごろの、いと暗き夜、不斷經に、聲よき人々讀むほどなりとて、そなた近き戸口に二人ばかり立ち出でて、聞きつゝ物語して、寄りふしてあるに、まゐりたる人のあるを、「逃げ入りて、局なる人々呼びあげなどせむも見苦し、さはれ、たゞ折からこそ、かくてたゞ」といふいま一人のあれば、かたはらにて聞きゐたるに、おとなしく靜やかなるけはひにて、物などいふ。くちおしからざなり。「いま一人は」など問ひて、世のつねの、うちつけの、けさうびてなどもいひなさず、世の中のあはれなることどもなど、こまやかにいひ出でて、さすがに、きびしう引き入りがたいふしぶしありて、我も人も答へなどするを、まだ知らぬ人のありけるなど珍らしがりて、とみに立つべくもあらぬほど、星の光だに見えず暗きに、うちしぐれつゝ、木の葉にかゝる音のをかしきを、「なかなかに艷にをかしき夜かな。月の隈なくあかゝらむも、はしたなく、まばゆかりぬべかりけり」春秋の事などいひて、「時にしたがひ見ることには、春霞おもしろく、空ものどかにかすみ、月のおもてもいとあかうもあらず、とほう流るゝやうに見えたるに、琵琶の風香調ゆるゝかに彈き鳴らしたる、いといみじく聞ゆるに、又秋になりて、月いみじうあかきに、空は霧りわたりたれど、手に取るばかり、さやかに澄みわたりたるに、風の音、蟲の聲、とり集めたる心地するに、箏の琴かき鳴らされたる、横笛の吹きすまされたるは、何ぞの春とおぼゆかし。又、さかと思へば、冬の夜の、空さへさえわたりいみじきに、雪の降り積り光りあひたるに、篳篥のわなゝき出でたるは春秋もみな忘れぬかし」といひつゞけて、「いづれにか御心とゞまる」と問ふに、秋の夜に心を寄せて答へ給ふを、さのみ同じさまにはいはじとて、
あさ綠花もひとつに霞みつゝおぼろに見ゆる春の夜の月
と答へたれば、返す返すうち誦じて、
「さは秋の夜は思し捨てつるななりな、
  今宵より後の命のもしもあらばさは春の夜をかたみと思はむ」
といふに、秋に心寄せたる人、
 人はみな春に心をよせつめり我のみや見む秋の夜の月
とあるに、いみじう興じ、思ひわづらひたる氣色にて、「唐土などにも、昔より春秋のさだめは、えし侍らざなるを、このかう思し分かせ給ひけむ御心ども、思ふにゆゑ侍らむかし。我が心の靡き、そのをりの哀れとも、をかしとも思ふ事のある時、やがてそのをりの空の景色も、月も花も心に染めらるゝにこそあべかめれ。春秋をしらせ給ひけむことのふしなむ、いみじう承らまほしき。冬の夜の月は、昔よりすさまじきもののためしにひかれて侍りけるに、又いと寒くなどしてことに見られざりしを、齋宮の御裳着の勅使にて下りしに、曉に上らむとて、日ごろ降り積みたる雪に月のいとあかきに、旅の空とさへ思へば心細く覺ゆるに、まかり申しにまゐりたれば、よの所にも似ず、思ひなしさへけ恐しきに、さべき所に召して、圓融院の御世よりまゐりたりける人の、いといみじく神さび、古めいたるけはひの、いと由深く、昔の古事どもいひ出で、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶の御琴をさし出でられたりしは、この世の事とも覺えず、夜の明けなむもをしう、京のことも思ひ絶えぬばかり覺え侍りしよりなむ、冬の夜の雪ふれる夜は、思ひしられて、火桶などを抱きても、必ず出でゐてなむ見られ侍る。おまへたちも、必ずさ思すゆゑ侍らむかし。さらば今宵よりは、暗き闇の夜の、時雨うちせむは、又心にしみ侍りなむかし。齋宮の雪の夜に劣るべき心地もせずなむ」などいひて別れにし後は、誰としられじと思ひしを、又の年の八月に、内へ入らせ給ふに、夜もすがら殿上にて御遊びありけるに、この人の侍ひけるも知らず、その夜は下にあかして、細殿のやり戸をおしあけて見出したれば、曉方の月の、あるかなきかにをかしきを見るに、履の聲聞えて、讀經などする人もあり。讀經の人はこのやり戸口に立ちとまりて、物などいふに答へたれば、ふと思ひ出でて、「時雨の夜こそ、かた時忘れず戀しく侍れ」といふに、こと長う答ふべきほどならねば、
  何さまで思ひいでけむなほざりの木葉にかけし時雨ばかりを ともいひやらぬを、人々また來あへば、やがてすべり入りて、その夜さり、まかでにしかば、もろともなりし人たづねて、返ししたりしなども、後にぞ聞く。「ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音のおぼゆるかぎり彈きて聞かせむとなむある」と聞くに、ゆかしくて、我もさるべきをりを待つに、さらになし。春ごろ、のどやかなる夕つかた、まゐりたなりと聞きて、その夜もろともなりし人とゐざり出づるに、外に人々まゐり、内にも例の人々あれば、出でさいて入りぬ。あの人もさや思ひけむ、しめやかなる夕暮をおしはかりてまゐりたりけるに、さわがしかりければまかづめり。
  かしまみて鳴戸の浦にこがれいづる心はえきや磯のあま人 とばかりにてやみにけり。あの人がらも、いとすくよかに、世の常ならぬ人にて、その人はかの人はなども、尋ねとはで過ぎぬ。
 今は、昔のよしなし心もくやしかりけりとのみ、思ひしりはて、親のものへゐてまゐりなどせでやみにしも、もどかしく思ひ出でらるれば、今はひとへに、豐かなるいきほひになりて、ふたばの人をも、思ふさまにかしづきおほしたて、わが身も、み倉の山に積み餘るばかりにて、後の世までの事をも思はむと思ひはげみて、霜月の廿よ日、石山にまゐる。雪うち降りつゝ、道のほどさへをかしきに、相坂の關を見るにも、昔越えしも冬ぞかしと思ひ出でらるゝに、そのほどしもいと荒う吹いたり。
  相坂の關のせき風吹く聲はむかし聞きしにかはらざりけり
 關寺のいかめしう造られたるを見るにも、そのをり荒造りの御顔ばかり見られしをり思ひ出でられて、年月の過ぎにけるもいとあはれなり。打出の濱のほどなど、見しにも變らず、暮れかゝるほどに詣で着きて、湯屋におりて御堂にのぼるに、人聲もせず、山風おそろしうおぼえて、おこなひさしてうちまどろみたる夢に、中堂より御香給はりぬ。とくかしこへ告げよといふ人あるに、うち驚きたれば、夢なりけりと思ふに、よきことならむかしと思ひて、おこなひ明かす。又の日も、いみじく雪降り荒れて、宮にかたらひ聞ゆる人の具し給へると、物語して心細さを慰む。三日さぶらひてまかでぬ。


15 初瀨(永承元年)


そのかへる年の十月廿五日大嘗會の御禊とのゝしるに、初瀬の精進はじめて、その日京を出づるに、さるべき人々、「一代に一度の見物にてゐなかせかいの人だに見るものを、月日多かり、その日しも京をふり出でて行かむも、いともの狂ほしく、流れての物語ともなりぬべき事なり」など、はらからなる人は、いひ腹立てど、ちごどもの親なる人は、「いかにも、いかにも、心にこそあらめ」とて、いふにしたがひて、出だし立つる心ばへもあはれなり。共に行く人々も、いといみじく物ゆかしげなるは、いとほしけれど、「物見て何にかはせむ、かゝるをりに詣でむ心さじを、さりともおぼしなむ。かならず佛の御驗を見む」と思ひ立ちて、その曉に京を出づるに、二條の大路をしも、わたりて行くに、先に御あかし持たせ、ともの人々淨衣すがたなるを、そこら、棧敷どもにうつるとて、行きちがふ馬も車も、徒歩人も、「あれはなぞ、あれはなぞ」と、やすからず言ひ驚き、あざみわらひ、あざける者どももあり。
 良賴の兵衞督と申しし人の家の前を過ぐれば、それ棧敷へわたり給ふなるべし、門廣うおし開けて、人々立てるが、「あれは物詣人なめりな、月日しもこそ世におほかれ」と笑ふなかに、いかなる心ある人にか、「一時が目をこやして何にかはせむ。いみじくおぼし立ちて、佛の御德かならず見給ふべき人にこそあめれ。よしなしかし。物見で、かうこそ思ひたつべかりけれ」とまめやかにいふ人、ひとりぞある。  道顯證ならぬ先にと、夜深う出でしかば、立ち後れたる人々も待ち、いと恐ろしう深き霧をも少しはるけむとて、法性寺の大門に立ちとまりたるに、田舍より物見に上る者ども、水の流るゝやうにぞ見ゆるや。すべて道もさりあへず、物の心知りげもなき怪しの童べまで、ひき避きて行き過ぐるを、車を驚きあざみたること限りなし。これらを見るに、げにいかに出で立ちし道なりともおぼゆれど、ひたぶるに佛を念じ奉りて、宇治の渡りに行き着きぬ。そこにも、なほしもこなたざまに渡りする者ども立ちこみたれば、舟のかぢ取りたる男ども、舟を待つ人の數もしらぬに心おごりしたる氣色にて、袖をかいまくりて、顔にあてて、さをにおしかゝりて、とみに舟も寄せず、うそぶいて見まはし、いといみじうすみたるさまなり。無期にえ渡らで、つくづくと見るに、紫の物語に、宇治の宮のむすめどもの事あるを、いかなる所なれば、そこにしも住ませたるならむと、ゆかしく思ひし所ぞかし。げにをかしき所かなと思ひつゝ、からうじて渡りて、殿の御領所の宇治殿を入りて見るにも、浮舟の女君の、かゝる所にやありけむなど、まづ思ひ出でらる。  夜深く出でしかば、人々困じて、やひろうちといふ所にとゞまりて、物食ひなどするほどにしも、供なる者ども、「高名の栗駒山にはあらずや。日も暮れ方になりぬめり。主たち調度とりおはさうぜよや」といふを、いと物恐ろしう聞く。  その山越えはてて、贄野の池のほとりへ行き着きたるほど、日は山の端にかかりにたり。「今は宿とれ」とて、人々あかれて、宿もとむる、所はしたにて、「いとあやしげなる下衆の小家なむある」といふに、「いかゞはせむ」とて、そこに宿りぬ。皆人々京にまかりぬとて、あやしのをのこ二人ぞゐたる。その夜もいも寢ず、このをのこ出で入りし歩くを、奧の方なる女ども、「など、かくし歩かるゝぞ」と問ふなれば、「いなや、心も知らぬ人を宿し奉りて、釜ばしも引き拔かれなば、いかにすべきぞと思ひて、え寢でまはり歩くぞかし」と、寢たると思ひていふ。聞くに、いとむくむくしくをかし。  つとめてそこを立ちて、東大寺に寄りてをがみ奉る。石神も、まことにふりにける事、思ひやられて、むげに荒れはてにけり。その夜、山邊といふ所の寺に宿りて、いと苦しけれど、經少し讀み奉りて、うちやすみたる夢に、いみじくやむごとなく清らなる女のおはするにまゐりたれば、風いみじう吹く。見つけて、うち笑みて、「なにしにおはしつるぞ」と問ひ給へば、「いかでかはまゐらざらむ」と申せば、「そこは内にこそあらむとすれ。博士の命婦をこそよくかたらはめ。」とのたまふと思ひて、うれしく賴もしくて、いよいよ念じたてまつりて、初瀨川河などうち過ぎて、その夜御寺に詣で着きぬ。はらへなどして上る。三日さぶらひて、曉まかでむとてうちねぶりたる夜さり、御堂の方より、「すは、稻荷よりたま賜はるしるしの杉よ」とて物を投げ出づるやうにするに、うちおどろきたれば夢なりけり。
 曉夜深く出でて、えとまらねば、奈良坂のこなたなる家をたづねて宿りぬ。これも、いみじげなる小家なり。「こゝはけしきある所なめり。ゆめ寢ぬな。れう外のことあらむに、あなかしこ、おびえさわがせ給ふな。息もせで臥させ給へ」といふを聞くにも、いといみじうわびしく恐ろしうて、夜をあかすほど、千年を過ぐす心地す。からうじて明けたつほどに、「これは盜人の家なり、あるじの女、けしきある事をしてなむありける」などいふ。
 いみじう風の吹く日、宇治の渡りをするに、網代いと近う漕ぎ寄りたり。
  おとにのみ聞きわたりこし宇治河の網代の浪も今日ぞかぞふる


16 修行者めきたれど


二三年、四五年へだてたることを、しだいもなく、書きつゞくれば、やがてつゞきだちたる修行者めきたれど、さにはあらず、年月へだゝれる事なり。  春ごろ鞍馬にこもりたり。山ぎはかすみわたり、のどやかなるに、山の方よりわづかに、ところなど掘りもて來るもをかし。出づる道は花もみな散りはてにければ、何ともなきを、十月ばかりにまうづるに、道のほど、山の景色、このごろはいみじうぞまさる物なりける。山の端、錦をひろげたるやうなり。たぎりて流れゆく水、水晶を散らすやうにわきかへるなど、いづれにもすぐれたり。詣で着きて、僧坊にいきつきたるほど、かきしぐれたる紅葉の、類なくぞ見ゆるや。
 奥山の紅葉の錦ほかよりもいかにしぐれて深く染めけむ
とぞ見やらるゝ。  二年ばかりありて、又石山にこもりたれば、よもすがら、あめぞいみじく降る。旅居は雨いとむつかしき物と聞きて、しとみをおしあげて見れば、有明の月の、谷のそこさへくもりなく澄みわたり、雨と聞えつるは、木の根より水の流るゝ音なり。
  谷河の流れは雨ときこゆれどほかよりけなる有明の月
 又初瀨に詣づれば、はじめにこよなく物たのもし。所々にまうけなどして、行きもやらず。山城の國はゝその森などに、紅葉いとをかしき程ほどなり。初瀨河わたるに、
初瀨河立ち歸りつゝたづぬれば杉のしるしもこの度や見む
と思ふもいとたのもし。
 三日さぶらひて、まかでぬれば、例の奈良坂のこなたに、小家などに、このたびは、いと類ひろければ、え宿るまじうて、野中にかりそめに庵作りてすゑたれば、人はたゞ野にゐて夜をあかす。草の上にむかばきなどをうちしきて、上にむしろをしきて、いとはかなくて夜をあかす。かしらもしとゞに露おく。曉がたの月、いといみじく澄みわたりて、世に知らずをかし。
  ゆくへなき旅の空にもおくれぬは都にて見し有明の月  なにごとも心にかなはぬこともなきまゝに、かやうにたち離れたる物詣をしても、道のほどを、をかしとも苦しとも見るに、おのづから心もなぐさめ、さりともたのもしう、さしあたりて歎かしなどおぼゆることどもないまゝに、たゞをさなき人々を、いつしか思ふさまにしたてて見むと思ふに、年月の過ぎ行くを、心もとなく、たのむ人だに、人のやうなるよろこびしてばとのみ思ひわたる心地、たのもしかし。  いにしへ、いみじうかたらひ、夜・晝歌など詠みかはしし人の、ありありても、いと昔のやうにこそあらね、絶えずいひわたるが、越前の守の嫁にて下りしが、かきたえおともせぬに、からうじてたより尋ねてこれより、
  絶えざりし思ひも今は絶えにけり越のわたりの雪の深さに といひたる返り事に、
 白山の雪の下なるさゞれ石の中の思ひは消えむものかは
 三月の朔日ごろに、西山の奧なる所に行きたる、人めも見えず、のどのどとかすみわたりたるに、あはれに心細く、花ばかり咲き亂れたり。
里とほみあまりおくなる山路には花見にとても人來ざりけり
 世の中むつかしうおぼゆるころ、太秦に籠りたるに、宮に語らひ聞ゆる人の御もとより文ある、返り事きこゆるほどに、鐘の音の聞ゆれば、
しげかりしうき世のことも忘られず入りあひの鐘の心ぼそさに
と書きてやりつ。 うらうらとのどかなる宮にて、おなじ心なる人、三人ばかり、ものがたりなどして、まかでて又の日、つれづれなるまゝに、こひしう思ひいでらるれば、二人の中に、
袖ぬるゝ荒磯浪としりながらともにかづきをせしぞ戀しき
ときこえたれば、
荒磯はあされど何のかひなくて潮にぬるゝあまの袖かな
 いま一人、
見るめおふる浦にあらずは荒磯の浪間かぞふるあまもあらじを
 同じ心に、かやうにいひかはし、世の中のうきもつらきもをかしきも、かたみにいひ語らふ人、筑前にくだりて後、月のいみじうあかきに、かやうなりし夜、宮にまゐりてあひては、つゆまどろまず、ながめあかいしものを、こひしく思ひつゝ寢いりにけり。宮にまゐりあひて、現にありしやうにてありと見て、うちおどろきたれば、夢なりけり。月も山の端近うなりにけり。さめざらましをと、いとゞながめられて、
  夢さめてねざめの床の浮くばかり戀ひきとつげよ西へゆく月


17.和泉


さるべきやうありて、秋ごろ和泉に下るに、淀といふよりして、道のほどのをかしうあはれなること、いひつくすべうもあらず。高濱といふ所にとゞまりたる夜、いと暗きに、夜いたうふけて、舟のかぢのおときこゆ。とふなれば、遊女の夾たるなりけり。人々興じて舟にさしつけさせたり。とほき火の光に、ひとへの袖長やかに、扇さしかくして、歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。  又の日、山の端に日のかゝるほど、住吉の浦を過ぐ。空も一つにきりわたれる、松の梢も、海の面も浪のよせくる渚のほども、繪にかきてもおよぶべき方なうおもしろし。
  いかにいひ何にたとへて語らまし秋のゆふべの住吉の浦
と見つゝ、綱手ひき過ぐるほど、かへりみのみせられて、あかずおぼゆ。冬になりて上るに、大津といふ浦に、舟に乘りたるに、その夜、雨風、岩も動くばかり降りふゞきて、雷さへなりてとどろくに、浪のたちくるおとなひ、風のふきまどひたるさま、恐しげなること、命かぎりつと思ひまどはる。岡の上に舟をひき上げて夜をあかす。雨はやみたれど、風なほふきて舟出ださず。ゆくへもなき岡のうへに、五六日と過ぐす。からうじて風いさゝかやみたるほど、舟のすだれまき上げて見わたせば、夕汐たゞみちにみち夾るさま、とりもあへず、入江の鶴の、聲をしまぬもをかしく見ゆ。國の人々集まり來て、「その夜この浦を出でさせ給ひて、石津に着かせ給へらましかば、やがてこの御舟名殘りなくなりなまし」などいふ。心細う聞ゆ。
  荒るゝ海に風よりさきに舟出して石津の浪と消えなましかば


 


18 夫の死(天喜五年-康平元年)


世の中に、とにかくに心のみつくすに、宮仕へとても、もとは一すぢに仕うまつりつがばや、いかゞあらむ、時々立ちいでば何なるべくもなかめり。年はやゝさだすぎ行くに、若々しきやうなるも、つきなうおぼえならるゝうちに、身の病いとおもくなりて、心にまかせて物詣などせしこともえせずなりたれば、わくらばの立ち出でも絶えて、長らふべき心地もせぬまゝに、をさなき人々を、いかにもいかにもわがあらむ世に見おくこともがなと、臥し起き思ひ歎き、賴む人の喜びのほどを心もとなく待ち歎かるゝに、秋になりて待ちいでたるやうなれど、思ひしにはあらず、いと本意なくくちをし。親のをりより立ち歸りつゝ見し東路よりは近きやうに聞ゆれば、いかゞはせむにて、ほどもなく、下るべきとども急ぐに、門出は女なる人のあたらしくわたりたる所に、八月十餘日にす。後のことは知らず、そのほどのありさまは、物さわがしきまで人多くいきほひたり。  廿七日にくだるに、をとこなるは添ひて下る。紅の打ちたるに、萩のあを、しをんの織物の指貫着て、太刀はきて、しりに立ちて歩み出づるを、それも織物の靑にびいろの指貫、狩衣きて、廊のほどにて馬にのりぬ。のゝしりみちて下りぬるのち、こよなうつれづれなれど、いといたうとほきほどならずと聞けば、さきざきのやうに、心細くなどはおぼえであるに、おくりの人々、又の日歸りて、いみじうきらきらしうて下りぬなどいひて、この曉に、いみじく大きなる人魂のたちて、京ざまへなむ來ぬると語れど、供の人などのにこそはと思ふ、ゆゝしきさまに思ひだによらむやは。今はいかでこの若き人々おとなびさせむと思ふよりほかの事なきに、かへる年の四月にのぼりきて、夏秋もすぎぬ。  九月廿五日よりわづらひ出でて、十月五日に、夢のやうに見ないておもふ心地、世の中にまたたぐひある事ともおぼえず。初瀨に鏡たてまつりしに、ふしまろび、泣きたる影の見えけむは、これにこそはありけれ。うれしげなりけむ影は、夾し方もなかりき。今ゆくすゑは、あべいやうもなし。廿三日、はかなく雲煙になす夜、こぞの秋、いみじくしたて、かしづかれて、うちそひて下りしを見やりしを、いと黑ききぬのうへに、ゆゝしげなるものをきて、車のともに、泣く泣くあゆみ出でてゆくを、見出だして思ひ出づる心地、すべてたとへむ方なきまゝに、やがて夢ぢにまどひてぞ思ふに、その人や見にけむかし。  昔より、よしなき物語、歌のことをのみ心にしめで、夜晝思ひて、おこなひをせましかば、いとかゝる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀨にて、前のたび、稻荷より賜ふしるしの杉よとて、投げいでられしを、出でしまゝに稻荷に詣でたらましかば、かゝらずやあらまし。年ごろ天照御神を念じ奉れと見ゆる夢は、人の御乳母して内わたりにあり、帝きさきの御かげに、隱るべきさまをのみ夢ときも合はせしかども、そのことは一つかなはでやみぬ。たゞ悲しげなりと見し鏡の影のみたがはぬ、あはれに心憂し。かうのみ、心に物のかなふ方なうてやみぬる人なれば、功德もつくらずなどしてたゞよふ。


19 後の賴み


さすがに命は憂きにも絶えず、ながらふめれど、のちの世も、思ふにかなはずぞあらむかしとぞ、うしろめたきに、賴むこと一つぞありける。天喜三年十月十三日の夜の夢に、ゐたる所の屋のつまの庭に、阿彌陀佛たち給へり。さだかには見え給はず、霧ひとへ隔たれるやうに、透きて見え給ふを、せめて絶え間に見たてまつれば、蓮花の座の、土をあがりたる高さ三四尺、佛の御丈六尺ばかりにて、金色に光り輝き給ひて、御手かたつかたをばひろげたるやうに、いま片つかたには、印をつくり給ひたるを、異人の目には見つけ奉らず、我一人見たてまつるに、さすがにいみじく、け恐しければ、簾のもと近く寄りても、え見奉らねば、佛、「さは、この度は歸りて、後迎へに來む」とのたまふ聲、わが耳一つに聞えて、人はえ聞きつけずと見るに、うち驚きたれば、十四日なり。この夢ばかりぞ、後の賴みとしける。  甥どもなど、ひと所にて、朝夕見るに、かうあはれに悲しきことののちは、所々になりなどして、誰も見ゆることかたうあるに、いと暗い夜、六郎にあたる甥の來たるに、珍しうおぼえて、
  月もいででやみに暮れたるをばすてになにとてこよひたづねきつらむ とぞいはれにける。
 ねむごろに語らふ人の、かうで後、おとづれぬに、
  いまは世にあらじ物とや思ふらむあはれ泣く泣くなほこそはふれ
 十月ばかり、月のいみじうあかきを、泣く泣くながめて、
ひまもなき涙にくもる心にもあかしと見ゆる月の影かな
 年月は過ぎかはりゆけど、夢のやうなりしほどを思ひいづれば、心地もまどひ、目もかきくらすやうなれば、そのほどの事は、またさだかにも覺えず。人々はみなほかに住みあかれて、古里にひとり、いみじう心細く悲しくて、ながめあかしわびて、久しうおとづれぬ人に、
  しげりゆくよもぎが露にそぼちつゝ人にとはれぬ音をのみぞ泣く
尼なる人なり。
世の常の宿のよもぎを思ひやれそむきはてたる庭の草むら


20.定家奥書


常陸の守菅原の孝標のむすめの日記也。母倫寧朝臣女。傳のとのの母上のめひ也。よはのねざめ、みつのはま松、  みづからくゆる、あさくらなどは、この日記の人のつくられたる


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