菅原孝標の職歴は?
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菅原孝標の職歴は?

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菅原孝標の職歴


 藤原定家によって書かれた巻末の勘物(かんもつ、注記のこと)によると次のようになります。


  • 長保2年1月27日(1000.3.5)6位蔵人(28歳)※この時の蔵人頭が藤原行成。元東宮蔵人?、検非違使(右衛門大尉)兼任
  • 長保3年1月24日(1001.2.19)従5位下(29歳)
  • 寛仁元年1月24日(1017.2.23)上総介(45歳)
  • 寛仁5年1月得替49歳
  • 長元5年2月8日(1032.3.21)常陸介、正5位下(60歳)

 定家が書いた上の経歴を見ると実際に職務に着いていたのは、若い時期の数年~十年?と、2回の受領8年つまり一生のうち仕事をしていたのは二十年足らず、ということになります。では、その他の人生は何をして暮らしていたのでしょうか?
働き盛りの30台後半から初めての受領になる45歳まで何をしていたのでしょう。生活の方は官職がなくても位につく手当、位田、季禄などがあるので何とかなるのでしょうが、まさか学問ばかりしていた訳でもないと思いますが。
2回の受領の間にも空白期間がありますが、何か臨時の職でもあったのでしょうか?
実は『小右記』に万寿4年(1027)4月21日、孝標を小右記筆者、藤原実資の愛娘千古の家司に任じたという記事が見えます。これがどのくらい続いたかは不明ですが、これからすると、国家公務員としてのポストでなくても、有力者の家政管理職としての職はあったようです。


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