菅原孝標はどんな国司だったか?
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菅原孝標はどんな国司だったか?

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菅原孝標はどんな国司だったか?


 日記に描かれた父親としての孝標はどこにもある、小心ではあるが、気真面目な子煩悩な親です。もちろん、男が父親として家族に見せる顔と、外での顔は違います。しかし少なくとも、自分の利益を大いに主張して搾り取るという、やり手タイプではないようです。初めての受領赴任で着任しても、勝手が分からず、実務は京から雇ってきたプロの実務担当者や現地の在庁官人にお任せで書類書きやハンコ押しで任期を過ごしたのではないでしょうか。やり手なら定められた国に納める税額と必要経費以外の残りは全部国司(守、介、掾、目)で分け取りしていいことになっていたので、役人が上げてくる帳簿に細かく目を通し、下僚、特に在庁官人と呼ばれる地元で採用された役人にくすねられないように目を光らせるものなんですが、孝標は帰るとき受け取る国司(介)の報酬も彼らがそこそこ準備したものを黙って受け取ったのではないでしょうか。でも、これが彼のいいところですよね。松里(現在の市川市)で上総から送ってきてくれた人々と涙の別れをしたのも、彼の人の良さが結構愛されていたという証拠ではないでしょうか。その7年後に安房、上総、下総(千葉県)全域を巻き込んで荒れ狂った平忠常の乱の原因も国司の貪欲と関係がありそうなので、それを思えば孝標はいい県知事さんだったのです。


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