継母と父の離婚の理由
継母となった人は孝標に惚れて結ばれたわけではなく、経済的理由なんです。おそらく見合いした時は多少風采の上がらない人とは思ったけれど、まじめそうだし、なんと言っても上総の介(いまなら県知事)です。何とかやっていけるかもと思いました。それが京に帰ってみると、元の妻が実家からやってきたかと思ったら、「北の方」面して、でんと居座り、孝標も頭が上がらない様子。上総に下る時には「京に戻ったら新しい家を買うつもりだ。妻の実家には戻らないよ」というので京都に帰れば自分が本妻かと思っていたのに、ずいぶん話が違う。『思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中うらめしげにて、外にわたる…』とはこのことなのです。それに上総での生活でも孝標に対し男として、ときめきを感じることもなかったし、所詮これは釣り合わなかった縁というしかないんです。年齢的にも結婚したとき孝標は既に40半ばで、継母はおそらく20代であったろうから、共通の話題もなかったし、別れるしかなかったんです。