継母の連れ子の父親は誰か?
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継母の連れ子の父親は誰か?

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菅原家の謎
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平安時代にはまだ婚姻制度は確立していなかった


 注釈本の中にはこの稚児は孝標との間にできた子としたものもありますが、たぶんそれはないでしょう。稚児は帰京時に数えで5歳(満4歳)であったので上総赴任時には既に生まれていました。継母は上総に下る際に孝標と一緒になったのですから、この稚児の父親は孝標ではありません。仮に孝標の子だとしたら作者にとっても可愛い腹違いの弟ですから、もっと、いろんなところで登場しそうですが継母が家を去る場面にしか登場しません。また、孝標の子なら菅原家に置いてゆくのではないしょうか。実際に育てるのは乳母なのですから。
 継母(高階成行の娘)は宮仕えしているとき、誰かと関係ができたのでしょう。当時、新入りの若い女房は夜勤が多くその居室に貴族の男達が忍んで来ることは珍しいことではありませでした。相手が若い公達であったか、色好みの助平親父であったかは分かりません。でも、ちゃんとした結婚(扶養関係)ができなかったということは遊びの関係(少なくとも男にとっては)、或いは強姦であったというしかないのです。でも、そうかといって当時、それは非難さるべきことでもありませんでした。源氏物語の世界を淫乱だといっても始まりません。それがその時代だったのです。婚姻について厳格な規範が芽生えるのは武士の社会、鎌倉時代になってからです。


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