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長保元年令
新抄格勅符抄、国史大系27、p.18、(吉川弘文館)

長保勅旨令第十一条
応に重ねて主計主税二寮官人、前分勘料と称し多く賂遺を求め諸国公文を抑留するを禁ずべき事 右、聞くが如く諸国之吏公文勘済之時二寮官人前分勘料と称し賂遺を要する所年を逐ひて厭ふ無し。毛羽生ふを好み疵瑕を求むるを悪む。方有るは損益を計らず即時究済す。貯無くば賢愚を論ぜず数年稽滞す。拘勘之処公平存するに似たりと雖も抑留の情、猶私曲無きに非ず。勘拘に於いて明らかなるは主計之最也。出納に於いて明らかなるは主税の最也。何ぞ更に人事を妨ぐるを以て己の任と為し、人の愁を致すを以て身を謀るを為すべきや。事皇猷を乖れ、理然るべからず。
奉勅 自今以後此之輩制止に従わず猶拘絆を致し、且つ其の帳を超勘し、且つ見任を解却す。国司和同し他をして告げらるれば、成功有りと雖も勤賞に預からず。 以前条事下知、件の如し。方今号令之道、内外分けると雖も、遵行之旨、遠近何ぞ異なる。同じく宣す。
奉勅 もし新制を乖れ旧弊を改むること無ければ其の状迹に随い将に科断を加えんとすれば官宜しく承知し宣に依り之を行え。事綸旨に出で違失を得ず、符到り奉行せよ。
正五位下守右中弁源朝臣道方   正五位下行大史大多朝臣国平
長保元年七月廿七日

権記、長保2年5月8日
八日左大臣(道長)に詣る。…中略…又左府(道長)に参る。「日来所労に侍り久しく不参入の間、右衛門督藤原朝臣来訪申して云ふ、『昨、以て孝標来りて勅命を伝えて云ふ。新制官符下知の後、制法更に緩み衆人嘲りを成す。検非違使、不慥行の致す所也。能く官人等に仰せ、立行せしむべき』といへれば件の事尤もしかるべく、能く誡めらるべく仰せの事也」。但し其の次に『亦、中宮侍人着用の絹袴の由を申し、以て女房、天聴に説達の由、孝標申す有り』と云々。此事驚き承る事極まり無し。『若し誰人上奏する所哉。早く其の人を指さしめ将に召し進めん』といへり。此の次示す所甚だ多く、注能わず。之に依り参内の間、院御悩み殊に重き之由を聞く。仍って経房成信両中将と院に参り、次参内す。孝標に左大臣の旨伝奏す。仰せられて云うに絹袴之事聞かず。いかなる事哉といへれば、よって復た彼の殿に詣り、此の旨を申す。帰宅。
権記(一)p.124、史料大成4(臨川書店)


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