更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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平安時代東海道における駿河国府の西よりの宿営地は岡部か

平安時代東海道における駿河国府の西よりの宿営地は岡部、仮宿、藤枝、前島?



  平安時代東海道を京に上る駿河国府の次の宿営地はどこであろうか。平安時代以降、駅家の荒廃と連動して安倍川西部山塊の通過は宇津ノ谷峠経由と考えられている。駅路東海道の場合、横田駅(駿府国府近傍)の次は小川駅である。しかし宇津ノ谷越えの場合、古代駅家がないので後世の宿場を参考にする。

候補地としては距離的に現在の藤枝市内の岡部、仮宿、藤枝、前島の4地点が考えられる。 平安時代中期にはこの地域に宿泊施設、或いは集落はなかったと思われる。ここに一定の人の居住が始まるのは、平安末期の事の様だ。候補地について駿河国府からの距離から、次の4か所が候補となる。

参考文献:※静岡県歴史の道調査報告書ー東海道ー、p.32(静岡県文化財調査報告書第20集)



(1)岡部(江戸時代東海道岡部宿)



  岡部宿は平安末期に駿河権の守であった藤原清綱を祖とする岡部氏の居館が鎌倉時代に至り宿駅整備の際に岡部宿になったと考えられている。 しかしその位置は確定していない。 現在の江戸時代の岡部宿か、あるいは仮宿にあった岡部氏居館(仮宿館)ではないかと言われている。 江戸時代の本陣のある一帯は峠を下り山合いから出た、開けた場所で、岡部川の流れもあり宿営に適した場所である。駿河国府から約12㎞、 (静岡県藤枝市岡部町岡部831)



(2)仮宿 旭山城南麓(岡部氏居城)岡部氏居館


  上記の岡部氏は中世に至り朝日山に城を構え今川氏に属していた。 (城跡に朝日稲荷神社)。岡部氏の居館がその麓にあったと伝えられ(仮宿館)。東側に朝比奈川が流れ西は水田地帯である。 駿河国府から約15㎞、(静岡県藤沢市仮宿字一丁田)

(3)藤枝 



  海道記にある『藤枝の市を通れば花は咲きかかりたり』から鎌倉時代には「藤沢」という地名があり、市が立っていたことが分かる。 この現在地は神亀3年(726年)創建と伝えられる真言宗鬼岩寺の麓辺りと想定されている。 想定東海道はこの門前を通る形になる。駿河国府から約17㎞、(鬼岩寺、静岡県藤枝市藤枝3-16-4)



(4)前島


前島の名は鎌倉時代の紀行文『海道記』、『東関紀行』に現れる。この地名は現代にも残る。 地形的には大井川扇状地の微高地上に位置する。鎌倉時代には市も立つことから東海道の沿道であることが分かる。 現在は市街地化しているが、前島神社が目印となる。 但し、この社は古くても天正年間(1574年)浅間神社として創建されたと伝えられるので平安はおろか鎌倉時代にもなかった。 駿河国府から約20㎞、(静岡県藤枝市前島1-18-1)



以上の4候補地の中で、多くの荷駄を伴って峠を下ってきた旅の場合、最も無理がないのは江戸時代岡部宿の位置である。

 

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