更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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平安時代における海辺の集落の風景-宇津保物語に見る

平安時代の海辺に暮らす漁民の生活



更級日記の東海道帰任の旅では海岸地帯も経由する。菅原家一行も海辺の村で宿泊したにちがいないが具体的記述はない。そもそも平安文学には海辺の人々の描写はあまりない。しかし、日本は長い海岸線に囲まれているので多くの漁民が居て、それぞれの生業があった筈である。わづかに平安時代中期に成立したと思われる『宇津保物語』に紀伊国の吹上という海辺の集落についての描写があるので、以下に紹介する。物語の内容そのものは、本稿に関係ないので、解説は省略する。

登場する主(あるじ)の君とは、帝のご落胤とされる源涼である。海辺の集落、吹上に『渚の院』と呼ばれる屋敷があったという設定である。


宇津保物語は平安時代中期成立の物語。作者は不詳。成立年代は950~970年頃か?

タイトル画像:彦火々出見尊絵巻(鎌倉時代作、江戸期写本)より、十二世紀のアニメーション p.103(徳間書店)

以下引用(吹上(上)日本古典文学大系、宇津保物語一 p.329、岩波書店)


吹上、渚の院


かくて、三月十二日に初めの巳の日出来たり。君だち御祓しに、渚の院に出給ひて、漁人、潜(かづき)女召し集へて、よき物被かせ、漁父召して、大網引かせなど(し給ふ)。その日の折敷、銀(しろがね)の折敷廿、打敷、唐の羅(うすもの)、綾の重ねしたり。かねの杯(つき)どもして、御前毎に参りたり。将監どもに、蘇芳の机ども二宛給へり。

  かくて、例の君だちは、琴弾き、下部(しもべ)、童、笛吹き交わす。遊び暮して、夕暮に、大きなる釣舟に、漁人の栲縄を、一舟くりおきて、漕ぎ渡るを、少将見て「これ、かく見ゆとも、仲頼が心ざしよりは短からむかし」などいふを、

あるじの君、打ち笑ひて

 くる人の心のうちは知らねども 頼まるるかなあまの栲縄

侍従「ここまで参くるに、劣らじかし」とて、

 道とほき都よりくる心には まさりしもせじあまの栲縄

少将

ここにくるながき心にくらぶれば 名にや立つらん沖つ栲縄

といふほどに、日傾きぬ。

主の君、かくおもしろき所に、勢ある住居はし給へど、よき友達に遇ひ給ふ事、この度なれば、かくてのみおはしまさなんとおもほせど、さて物し給ふべき人々にもあらぬを、おもほす程に、渚より都鳥連ねて立つ折に、(濱千)鳥の声々に、鳴くを聞きて、(主)の君



  みやこ鳥ともをつらねて帰りなば、(千)鳥は濱に泣くなくや経ん

侍従「わが君をば正に」などて
  雲路をばつらねてゆかんさまざまに あそぶ千鳥の友にあらずや

少将

  都鳥千鳥を羽にすゑてこそ 濱の土産(つと)とて君にとらせめ

行正   君とはばいかに答へん濱にすむ 千鳥誘ひにこし都鳥

などて、(夜)一夜遊び明す。

[絵解]ここは渚の院、大きに高き大殿、潮の干、満つかたに建てり。廻はをかしき島ども数多あり。頭包みたる女ども、かき集めて、潮汲みかけたり。塩竃に、うしほ(汲)み入れ、はつかなる漁人の庵ども(に、海の藻ども)数多(あまた)懸けて乾す。泊木(はっき)して、藻乾したり。

 (以上引用終わり)



 《現代語訳》

こうして、三月十二日、上巳(じょうし)の祓いの日となった。殿方がお祓いをしているところに、お出ましになり、漁師、潜女を集め上等の被りものをさせ、漁父(網元)に地引網をひかせられました。その日の折敷、銀の折敷二十、打敷(折敷などの下に敷く敷物)、これは唐わたりの羅、綾、縑(かとり)を重ねたものです。金属製の高坏などを殿毎に置かれました。御付の者には蘇芳(すおう)色(エビ茶)の机を二つずつ出されました。

そして、この殿方たちは、琴を弾き、家来たち、童も笛を吹いて合わせます。音楽を楽しんでいるうちに夕暮れとなってきました。前の海を大きな釣舟に漁師の栲縄(たくなわ)を舟一杯にして漕ぎ渡ってゆくのを見て、少将が「これはこれほど長い縄に見えても、仲頼の思いよりは短いだろうよ」などと言っているのを主の君は笑い出され、

  くる人の心のうちは知らねども 頼まるヽかなあまの栲縄

侍従は「ここまでやって来る(縄を繰るに懸ける)のにも劣りませんよね」

 道とほき都よりくる心には まさりにもせじあまの栲縄

少将

  ここにくるながき心にくらぶれば 名にや立つらん沖つ栲縄

とやっているうちに日は傾いてきました。

主の君はこんな素晴らしい場所で贅沢にお住まいされていますが、よいお友達にお会いになることは今度が初めてだったので、こうしてここにおいで頂きたいとお思いになるが…。そうしておいでになれる方々でもないことをお考えになっている時に、ちょうど渚から都鳥が一斉に飛び立つときに浜千鳥が啼き出すのを聞いて、主の君は

 みやこ鳥友をつらねて帰りなば 千鳥は浜に泣くなくや経ん

侍従「私たちの君はまさにこうですよ」といって

  雲路をばつらねてゆかんさまざまに あそぶ千鳥の友にあらずや

少将

 都鳥千鳥をはねにすゑてこそ 濱の土産(つと)とて君にとらせめ 行正

  君とはばいかに答へん濱にすむ 千鳥誘ひにこし都鳥

などといって夜通し遊び明かしました。

  (絵巻の挿絵の説明)

ここは渚の院といって、潮の干満の際に、満ち潮がすぐ足元に来る位置に建てられた高く大きな御殿です。周りには面白い形をした島々がたくさんあります。頭に被り物をした女たちを集めて潮を汲んで、(藻に)かけています。塩竃に塩水を汲み入れています。散在する漁人(あま)の小屋には海藻をたくさん懸けて乾されています。二本の木を立て、棒を渡して藻を乾しています。

 

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