更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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いけだを出て渡った「深き河」の現在の河川名は何か?

更級日記の記述から、いけだを出て渡った「深き河」は暴れ川



 下総、上総のほぼ国境をなす村田川と次の宿泊地と思われる船橋市海老川の間には現在、千葉市都川と花見川がある。現在の花見川は小さくはないが、これは江戸時代に始まった利根川東遷事業に伴って水郷地帯で多発するようになった洪水対策のため江戸時代後期に着工され、なんと昭和44年に最終的に放水路としての完成をみた人口河川で、正式には印旛沼放水路という。もちろん原型となる流れはあったに違いないが小さな川であったろう。となると深き川は都川ということになる。




また更級日記の河柱に関する記述は河の氾濫で流路が変わったことを示唆している。都川はまさにそのような川である。


メイン画像は下流に向かって見た都川。正面のビルは千葉県庁である。三面張りで川幅は狭く見えるが、昔はこの3~4倍の川幅はあったであろう。蛇行の具合からこの川が暴れ川であることが理解される。

台風時の都川

2019年10月25日の台風で増水した都川画像出典:日経新聞2020.0613日


 

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