更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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菅原一行は相模国府を通ったか?

平安中期における相模国府と菅原一行の相模国府の通過可能性



 おそらく相模国府は西暦1020年時点では余綾(ゆるぎ)郡大磯、現在の神奈川県中郡大磯町国府本郷付近にあったと推定される。したがって東海道沿線であり一行は当然、ここを通り、挨拶と休息のために立ち寄った可能性がある。しかし、相模国府の場合、他の国と異なり、市などが立つのは国府ではなく小総駅(おぶさえき)(現在の国府津)であった可能性が高い。商売のため数日逗留するとすれば当然、小総駅(おぶさえき)であったと思われる。なお、便宜上、小総駅と言っているが平安時代中期には駅家としてはすでに機能しておらず、物資集散地、市場として地名も国府津(こうず)に変わっていた可能性が高い。現在の所、相模国府については詳しい位置は発掘調査で確定されていない。国衙の位置は六所神社の近くなので、おそらくそのあたりであろう。

 

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