更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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東京低地を流れる中川は平安時代にあったのか?

平安時代における東京低地の河川状況



 平安時代に中川はなかった。平安時代の東京低地(墨田区、江東区、葛飾区、足立区、江戸川区、俗に云う0m地帯)の状況は一面の湿地帯でところどころ土砂の堆積で出来た微高地のみに人が住みついていた。台風、集中豪雨のたびに河道は変化し時代により一定しなかった。この地で大規模な治水工事が行われたのは江戸時代になってからである。現在のような河道は江戸時代、享保14年(1729)に代官井沢弥惣兵衛により猿ヶ又以下の細流を掘り広げて開鑿されたものであるという(今井:房総万葉地理の研究p.318)。もちろん平安時代にも原形となる小さな流れか沼沢があったことは容易に想像される。

 

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