更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
文字サイズ

竹芝寺異説

竹芝寺、氷川神社説は経済合理性に基づけばありえない



 竹芝寺の所在について東京都港区三田の済海寺以外に異説はないかと思っていたら、やはり、あった。『更級日記の研究』(津本信博著)の中で埼玉県さいたま市(旧大宮市)氷川神社付近と推定。根拠は菅原家の縁者がそこにいたのであいさつに立ち寄ったのだという。

いろんな説があることは、多くの人が議論する土台となるので心強い。ただ、一般的にいえることは、文学関係の方々は、経済性、技術に無頓着で、なんでもありになる傾向がある。現代なら千葉県市川市から氷川神社まで高速道路も使えるから大した距離ではないが、平安時代に、これだけの距離を100人近い人数を引き連れ、悪路をたどって荷駄を運ぶと一体どれだけの経済的、労力的負担になるか考えなければならない。現実に自分が、かの時代にタイムスリップして運送の現場監督を請け負ったと想像すれば、「あいさつ」ごとき些事に莫大な費用と時間をかけようとは思わないだろう。「殿、どうしてもご挨拶に行かれるのなら、馬で従者を2人ばかり連れて空身で行ってください。こちらは山越えもありますので、大宮迄往復されても弘明寺辺りで落ち合えますよ。」と言うのではないだろうか。

 

カテゴリ一覧

ページトップへ

この記事のレビュー ☆☆☆☆☆ (0)

レビューはありません。

レビューを投稿