更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
文字サイズ

竹芝寺の次の宿泊地はどこか?

岩瀬川(多摩川)の渡河地点



 常識的には延喜式に見える大井駅であろう。勿論、駅の設備や機能はなかったにしろ駅の出来る場所は、交通の要地であり水場もあったからである。大井駅ははっきりしないが、戸越公園、JR大井駅付近、中原街道が目黒川を越える辺り、などの説がある。

 参考文献:高橋賢治『古代の武蔵国荏原郡における東海道駅路と大井駅について』品川歴史館紀要第10号p.51

 しかし、いずれにせよ、大井駅では竹芝寺から一日行程としては近すぎる。もう少し先まで進んだと考えるのが適当である。おそらく石瀬川(現在の多摩川)の丸子の渡しまで進んだのではないだろうか。するとその日は渡河する余裕はないから川岸で宿泊することになる。もちろん、船着き場ではなく、少し手前の微高地(標高約12m)にである。具体的には多摩川浅間神社のある小山がそれらしく考えられる。古い渡し場には祠があり、それが後世地域の村社になることが多い。多摩川浅間神社の創建は鎌倉時代とされるので平安時代にはなかった。

 当時の常識では、一般的にこのような大きな川の河原で野営することは危険で、出来るだけ避けたと思われる。盗賊に襲われる危険はもちろん、雨の多い季節には、今、雨が降っていなくても上流に雨が降ればあっという間に水位が上がり流されてしまうからである。

※野性を失った現代人は危険察知能力がなくキャンプの季節に河原にテントを張って宿泊し、時々悲劇が起こる。

多摩川浅間神社

丸子橋のたもとにある。このあたりは河岸段丘で元々標高が高く、海進が進んだ縄文時代にも水没しなかったといわれる。渡し場はこの様な安定した微高地に営まれることが多く、且つ小さな祠が祀られることもある。それは後の時代に村落の社になることが多い。

 

カテゴリ一覧

ページトップへ

この記事のレビュー ☆☆☆☆☆ (0)

レビューはありません。

レビューを投稿