北小岩から隅田に向かう古代直線道路とは何か?
北小岩から隅田に向かう直線道路は古代の駅路であった
古代の道路というと多くの人は、自然発生的にできた曲がりくねった細い道路を思い浮かべるが、実は律令国家日本は全国に幅12mに及ぶ道路網(駅路)を計画的に作っていた。しかも直線で通せるところは直線道路であり、まさに古代の高速道路であった。古代ローマの道路のように石の舗装こそなかったが、この駅路、伝路による道路網が当時の政治経済の発展に大きな影響を与えたことは疑いない。古代直線道路の存在は以前から断片的には知られていたが、この30年新しい発見が相次ぎ、これらが国家事業として計画的に作られていたことが明らかになってきた。
東京低地についても古くは吉田東吾により指摘されていたが、佐々木や谷口によりその存在に関する研究が進められている。この道路は古くは大道(おおみち)と呼ばれていたが、現在でも、あちこち分断されながらも使用されている。
画像に示すように、太日川(江戸川)の下総の国府対岸(北小岩)から隅田まで一直線で微高地上を結ぶように敷設されている。
※アサヒグラフ別冊[考古と歴史]関東学発見 、p.171掲載図を基に加筆
東京低地を通る古代直線道路の地図:明治23年測図迅速図、陸地測量部、2万分の1市川駅に記入
