更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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「あすだ川」は現在の大岡川か?

「あすだ川」の現在名が大岡川であった可能性はある



 この問題は明らかな更級作者の思い違いがあるので複雑である。横浜市の大岡川であるという説は武内廣吉氏の提唱された貴重な仮説である。現在の横浜市南区を流れ東京湾にそそぐ大岡川の古名が、その流域の蒔田(まいた)の語源が「あすだ」であったことから「あすだ川」と呼ばれていたというものである。これはかなり説得性がある。

ところがこの川を更級日記が言うように国境の川としてしまうと話がおかしくなってしまう。氏の提案されている武蔵から相模に抜ける経路(弘明寺から相武国境の尾根に上がり小菅ヶ谷を経て鼬川(いたちがわ)に下る)を受けいれると、矛盾が生じる。大岡川であれば弘明寺に向かうために川、或いは入り江を渡る必要がない。渡ると、もう一度渡り戻って弘明寺側に来なければ、尾根道に上がって相模に向かうことが出来ない。要するに、この場所は舟を使う必要がないところである。少なくとも大岡川は更級作者一行が『あすだ川を舟で渡ったら相模になった』という記述にある「あすだ川」とは別の川である。
作者は弘明寺あたりに着いた時、前を流れる大岡川のことを「あすだがわ」と聞いてメモに残していたのだろうか。しかし、あすだ川(大岡川)は国境の川でもなく、それを当てはめるのに色々苦心した揚句、隅田川のことにしてつじつまを合わせたのだろうか。管理人としては断定はしかねるが、武内氏説が主張する大岡川とは全く関係がないように思える。

大岡川にかかる蒔田橋。

「あすだ」が蒔田になったというのだが。

 

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