更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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平安時代の信用取引で本人確認はどうしていたのか

平安時代における個人認証、本人確認は顔パス



  経済が円滑に発展してゆくためには貨幣が必要である。日本では奈良時代に和銅開珍が鋳造され貨幣経済の時代が始まった。当初は円滑に流通するか心配されたが、案に相違して順調に利用は拡大していった。ところがいくらも経たないうちに銅銭は不足し始めた。政府は高額銭貨への改鋳により乗り切ろうとしたが銅地金の決定的枯渇はいかんともしがたく、平安時代に至り、銭の流通は激減し、中期までに貨幣経済は終焉を迎えた。それに伴い、取引は完全に古来の『物々交換』に戻ってしまった。

一方、銭貨を含め現物経済では高額、遠隔地取引はできないので、日本では寛平年間(889年~)頃、「信用決済制度」が生まれていたと見られる。これにより、遠隔地、高額取引も可能となったが、『切符』など有価証券証書を所轄の国府に持参するまではいいが、物品の給付を受ける際に「本人確認」はどうしたのであろうか。

 答えは「顔パス」である。当時の支配階層は中央および地方の上級者を含め、究めて限られた家族で運営されていた。地方政治は既に受領国司制となり、守、介ほか上層部は殆ど中央から派遣されているので、国府の中には一人や二人の知己、縁者が居たのである。直接面識がなくても共通の知人があれば、本人であることは話の中で確認できたと思われる。要するに当時の支配層は狭い仲間うちでポストをたらい回しにしていたので顔見知りが多かった。その実例として在原業平の東国旅行を上げる。ただし、この時代にはまだ信用決済制度はなかったので、『切符』などの有価証券を利用したのではなく、本当に顔パスで知人に便宜を図ってもらったのである。


 

在原業平の人脈



  在原業平は伊勢物語の主人公として有名だが、歴史的には実在の人物である。 業平は平城天皇の皇子、阿保親王を父、桓武天皇の皇女、伊都内親王を母として生まれた高貴な血筋である。臣籍降下した事情はここでは割愛するが、官途につき貴族としての人生を送っている。



  業平は貞観4年(862年)、38歳の時に「東下り」という関東旅行を行っている。この旅行には少なからぬ友人たちが同行したようだ。

さて、この旅行負担(宿泊、食糧、馬、案内人)をどう調達したのであろうか。当時、従五位上という貴族であるから資力そのものには問題なかったが、宿泊設備や交通機関もない時代にどのように、「物見遊山の旅」をどう実行したのか。公用であれば駅路に沿って設けられた駅家で宿泊、食事の提供、馬の交換をしてもらい旅行を続けられるが、私用旅行では原則禁止である。正式な手続きで認可されたものは駅鈴を受領して旅に出発することになる。抜け道があるとすれば、所管の部署に裏から手をまわして「公用」という通達を出して貰うことである。このような無法がまかり通ったかと言うと、通ったらしい。

  駅制は平安時代に入るとほころびを見せ始めたが、その原因の一つに、貴族階級の権威を笠に着た利用の横行が挙げられている。駅家は中央から費用が給費されるのではなく、駅家郷の納税額をその費用に充てるのであるから、国司赴任など公用以外の利用は想定していない。当時高価であった馬の購入も駅の義務であった。不適切利用による負担増や天候不順で不作が続けば駅の運営どころか、自分たちも食べられなくなるので、駅を放棄して駅家郷全体が逃げ出すことにもなった。

  多くの困難があっても旅をしたいというのは、変わらぬ人間の欲求である。とにかく業平たちは旅に出た。角田文衛氏は『業平の東下り』の中で、日本各地に赴任している親類、知己を訪ね歩き便宜を図ってもらっていたと考えている。それによれば当時の支配階級はかなり限られた家族によって構成されていて、姻戚関係、歴任官庁での職場関係だけみても直接知っている人たちは少なくない。角田文衛氏は東国旅行が行なわれた貞観4年時点で各地の国庁に在任した業平の縁者を『三代実録』からピックアップして、その結果を下表にまとめた。(角田文衛:業平の東下り『王朝の映像』p.208,東京堂出版)




貞観4年時点で諸国に在任する在原業平の縁者、知己
国名国司として在勤する業平の縁戚、知己
近江守:源融 (父、阿保親王のいとこ)
介:藤原良尚(以前の上司)
伊勢守:源令(いとこの子 )
権守:高階峯緒
尾張守:安倍房上(同行者、安倍貞行の縁者か )
三河守:藤原安棟(蔵人時代の同僚)
遠江 
駿河権守:大枝直臣(遥任で当地にいたか?)
伊豆 
相模守:源勤(母方のいとこ)
介:藤原万枝(蔵人時代の同僚)
武蔵介:安倍此高(左近衛府時代の同僚 )
下総介:神門氏成(元部下)
常陸守:賀陽親王(遥任、母方の伯父)
介:藤原真冬(遠い親戚)
陸奥守:坂上当道(近衛府時代の上司)
介:伴春宗(蔵人時代の同僚)
鎮守府将軍:小野春枝(右近衛府で懇意)
下野 守:藤原三藤(知人)
上野守:忠良親王(いとこ)
信濃守:在原行平(異母兄)
介:紀冬雄
美濃 
 

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