更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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更級日記を書いた訳

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更級日記は自分の子や孫に残すための自分史



  菅原孝標の娘が書いた『更級日記』という作品は日記でも随筆でもなく、厳密な自叙伝でもありません。ではこのような作品を書いた意図は何であったのでしょう。

学問をやっていらっしゃる方はいろんな理屈をこねられていますが、何も難しい事ではありません。齢を取れば誰でも分かります。還暦を過ぎた方なら一度くらい「孫たちに自分の歩んできた人生を伝えたい」という衝動に駆られたことはないでしょうか。この観点から考えれば自明です。

  松太夫の考えでは、更級作者はまだ幼い孫や、甥、姪たちの子供たちに自分の人生や生きてきた時代を伝える、現代でいう『自分史』を残したかったのだと思います。もとより広く公表する意図はなく、身内だけを対象に、家族なら誰でも知っていることは省いています。語り口も幼い子供たちにもわかるように、平易な表現を用いています。古典を趣味にする人なら一読してわかることですが、紫式部の源氏物語や歌は本当に難しく、注釈を読んでも難しいのですが、更級日記に出てくる話や歌は子供にも分かるレベルです。更級作者は和歌が上手でなかった、というのは早計です。掛詞や本歌取りなど理解できないチビちゃん達に分かるようにすると、こうなるのです。ひょっとすると更級日記は、幼い子供たちに読み書きを教えるための教科書であったのかもしれません。子供たちを飽きさせず、勉強させるためには冒険物語が一番です。だから冒頭に旅の話が来るのです。みんな目を輝かせて、おばあちゃんの朗読(読み聞かせ)を聞いていたことでしょう。

おそらく子供たちの教科書にするつもりで書いた部分は、「姉の死」辺りまでではないかと思います。姉の孫たちに、老婆になることなく若くして亡くなった彼らの祖母がどんな人だったのかを伝えたかったのだと思います。そこまで書くと、ついでにその後の自分の人生を振り返ってみたくなったのではないでしょうか。

更級作者は晩年は孤独であったかのように言われることがありますが、そんなわけはありません。兄の定義は和泉の守、文章博士を歴任し菅原家の氏の長者の位置にありました。当時、物語作者として貴族社会で多少の尊敬も集めていたと思われる更級作者には、菅原家や橘家の子供たちの教育を任されていたのではないでしょうか。更級作者は縁者の子供たちに囲まれ、幸せな晩年を送ったと思います。

 

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