更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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作者にはほかに兄弟がいたか?

作者にはほかに兄弟がいたか?
記事コード: fam014
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更級作者に弟がいたとしても、ずっと齢が離れている



 弟がいたらしいのです。更級日記には全く登場しませんが基円という安楽寺別当を務めることになる弟がいたといいます。作者と同腹であったかどうかは不明です。いたとしたら松太夫は同じ母親から生まれたと思います。それは、上総赴任以前、孝標はたいした職についていた形跡がないので経済力がありませんでした。そんな彼に別の女性の所に通う余裕があったとは思えないからです。またそのような頼りない若造を婿として引き入れる親もいなかったと思います。全く別の考えとしては、孝標が下女に手を出して出来てしまい、妻の手前一緒に育てることができず、寺に入れてしまったことが考えられます。妻はかなり癇の強い人のようですから。

 安楽寺とは菅原道真を祭る九州、太宰府にあった由緒ある寺で現在は太宰府天満宮となっています。ここは菅原一族の氏の長者家、適任者がいなければ傍流から別当が出ることになっています。作者が弟について全く触れていないのは、僧になる場合、早くから寺に入り修行に入るため一緒に暮らした期間が短かく、また、長じては遠方に赴任してしまい、印象に残らなかったためかも知れません。ちなみに、この基円も有能な人で寺の経営に大きな業績を残しています。(池田利夫:更級日記浜松中納言物語コウ、武蔵野書院)

 同じ母親の弟がいたとすると、その子は上総赴任時、満7歳以下のはずです。もっと歳が離れた幼児、或いは乳児であれば、母親が手放さなかった可能性もあります。そんなことで他の兄弟と親密でなかったのかもしれません。

 

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