更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
文字サイズ

平安時代は何を通貨としていたのだろう?

平安時代には通貨と呼べるものは実質的になかった




 商売をするためには必ず通貨が必要である。もちろん平安時代には銅銭という通貨があった。しかしそれが流通している場所は畿内を中心とした地域で地方では依然として米、布、鉄などの代替貨幣が主流であった。では、そういうもので買い物をする場合、どういう交換比率で買い物をしたのだろう。実は延喜式に『禄物価法(ろくもつかほう)』という規約があり米と布、鉄等7品目の物品の公定価格を定めていたという。交換に使う麻布は商布と呼ばれ寸法など規格が定められていた。しかし、米や布には品種、品質のばらつきが大きいので実際にどうやって買い物したのだろう。いちいち交渉していたのでは手間がかかって仕方がなかったと思うのだが。それに公定価格を決めても相場変動の問題にはどう対処したのだろう?

また、交換経済の場合、それより大きな問題は自分が欲しいものを持っている人が、米や布などの現物貨幣を必要としていない場合、取引が成立しないことである。あるいは不利な交換比率で取引しなければならないことである。これでは経済はうまく回らないが、当時の平安社会は、交換経済で何とかなる、小さな経済規模であったといえるだろう。このような時代、庶民には文化などという結構なものは無縁であった。

 


 

 平安末期に描かれた 信貴山縁起絵巻には尼君が米俵を携え旅をしている様子が描かれている。馬子と従者が各々米俵を一俵づつ担いでいる。これは旅の食糧としてはもちろん、旅の諸費用を支払うためのものである。

 

カテゴリ一覧

ページトップへ

この記事のレビュー ☆☆☆☆☆ (0)

レビューはありません。

レビューを投稿