平安時代の新任国司テキスト『国務条事』(『朝野群載』巻22)から垣間見える地方行政の不都合な実態
平安時代文書集『朝野群載』巻22に「国務条事(国務条々事)」という文書が収録されている。これは新任国司が赴任旅行から、着任、執務開始、日常政務に及ぶ決まり事、ノウハウ、心得などを42ヶ条にわたり、事細かくまとめたものである。この文書は公文書ではなく、現代で言えばハウツー本に近く、新任の国司内定者はこれを書写しながら、準備書面、赴任旅行の準備、着任してからの行事、儀式、現地での執務要領、注意点、心がけなどを予め学んだと思われる。以下、項目だけを現代語訳で示す。内容解説は『朝野群載 巻二十二校訂と注釈』p242(吉川弘文館2015)に詳しいので割愛する。
この文書は実用書であるため、新任国司が陥りそうな落とし穴を具体的に述べ、警告を発するとともに対策を示している。裏返せば25条以下の項目が順守されず、任地での国司の公私混同、不適切な組織管理、在地顔役・有力者との癒着によって地方行政が歪められることが多かったことを示している。画像は松崎天神絵巻に見る播磨守の国司館の様子であるが、執務室に妻が居て何やら筆を持って書いている。このような環境では、妻に取り入り国司に内緒で何らか便宜を図る書面を出させることも可能である。この画像はそんな公私混同、越権行為、公文書偽造が日常に行われていたことを推論させる。
他方、『国務条事』ではそのようなことはあってはならないと新任国司を戒めているので、不正が当然視されていたわけではないことが分かる。千年以上昔でも、日本社会はどうして、捨てたものではない。
新任国司の心得
- 第1条 不与状と勘畢税帳を持って行く事
- 第2条 任国に赴任する日は吉日とする事
- 第3条 出発の初日は寺社に宿泊しない事
- 第4条 京・関を出る際には道の神に幣を奉げる事
- 第5条 (旅の)途中での闘乱(けんか)を取り締まる事
- 第6条 1~2名の有能な郎等を先行させ、その夜の宿泊の手配させる事
- 第7条 任地の境に入るに当たっては吉日、時を選ぶ事
- 第8条 国境での出迎えの儀式の事
- 第9条 国司館(こくしのたち)に入る日は吉日、時を選ぶ事
- 第10条 国司館に着いたら新任の太政官符(任符)を前司に受け取ってもらう事
- 第11条 印鎰(いんやく)を受領する事
- 第12条 歓迎の宴の準備をやめてもらう事
- 第13条 国司館に着いた日に各部署の職員が自己紹介に来る事
- 第14条 (役所にある国司の)席に着座する日は吉日を選ぶ事
- 第15条 ベテラン職員から当地の慣習・状況を聞く事
- 第16条 神拝の後、吉日、時を選んで最初の政務をおこなう事
- 第17条 日常業務の定型儀式の事
- 第18条 吉日を選んで引き継ぎ業務を行う事
- 第19条 交替引き継ぎの期限の事
- 第20条 吉日を選び、種々の公文書を引き渡すよう前司に連絡する事
- 第21条 国内の官物相折帳(官有物の帳簿数量と現数量の対照帳)を作成すべき事
- 第22条 期限内(120日)に必ず与不(引継清算)をすべき事
- 第23条 旬納(分割納税)の単位日数(旬)は7日とすべき事
- 第24条 誠実な態度(信)で民を治める事
- 以下就任後の具体的心得
- 第25条 一、政務を実施する場合、必ず官人(在地の役人、在庁官人)を登用する事
- 第26条 一、いったん決定した政策を簡単に変更してはならない事
- 第27条 一、郡司、雑色(諸職員)を安易に解任してはならない事
- 第28条 一、郡司、雑任等の清廉さや勤惰を知るべき事
- 第29条 一、在地の浮浪人(役人でもない顔役)及び郡司・雑任と気安くなれなれしくしてはならない事
- 第30条 一、国司が任地巡回する際、饗応はほどほどに負担を懸けさせないようにすべき事
- 第31条 一、国司は特に病気でもないのに、気軽に肉や香りの強い香辛料、野菜を摂ってはならない事
- 第32条 一、火に注意する事
- 第33条 一、符宣(国府の指令書)なしに館人(国司館の職員)と称して国内に闖入し悪事を働く連中を捕えてつき出すよう諸郡に命ずる事
- 第34条 一、(国司は)家子(近親者)や位階のある郎等に陰口をたたかせないように注意する事
- 第35条 一、国司の妻は一切、公文書に署名をしてはならない事
- 第36条 一、讒言に乗ってはならない事
- 第37条 一、新任の職員と古くから仕える職員を差別してはならない事
- 第38条 一、文書能力に優れる人物を目代とする事
- 第39条 一、五位以上の者を郎等として使ってはならない事
- 第40条 一、能書の者を二、三人連れてゆく事
- 第41条 一、手練れの武者を二、三人連れてゆく事
- 第42条 一、修験者並びに智慧ある僧を一、二名連れてゆく事