平安時代中期の主要代替貨幣交換比率
平安時代には既に銅銭という貨幣があったが量的に当時の小さな経済ですら運営するに足りず、また金属としての実体価値が購買価値に満たない、『紙幣のようなもの』であったため、鋳つぶされるなどして世の中に普及することがなかった。このため平安時代までは日本の大部分の地域で、米穀や布、金、銀、銅、鉄などの金属地金が代替貨幣として使われた。そこまでは誰しも想像するに難くないが、では一体、どのような比率で交換されていたのだろうか。そこが分からないと当時の社会の実相が分からない。これに関する研究は古くから断片的にはあったようだが、あまり多くなかった。この問題について膨大な文献を収集し、総合的に検証を加え歴史時代の世界各国、時代について交換比率表を求めた労作がある。それは新居宏氏による『金属比価の歴史』に関する一連の論文である。この成果により初めて、当時の商品がどのように売買されていたか具体的に知ることができるようになった。ここでは日本に関する部分の奈良時代から鎌倉時代までのデータに限り引用する。
新井宏:金属を通して歴史を観る、5.金属比価の歴史(1)、p.82 BOUNDARY 1994.4
代替貨幣\時代 | 奈良 | 平安(延喜式) | 平安(1152頃) | 鎌倉 |
金/米穀 | 8000 | 9000 | 10000 | 12000 |
銀/米穀 | 2500 | 2900 | 2000 | 4000 |
銅/米穀 | 28 | 25 | 80 | 50 |
鉄/米穀 | 6 | 7 | 6 | - |
金/銀 | 3 | 4-5 | 5 | 3 |
銀/銅 | 100 | 80 | 25 | 75 |
銅/鉄 | 4 | 3 | 12 | - |
金/銅 | 300 | 400 | 120 | 220 |
金/鉄 | 1200 | 1300 | 1600 | - |