更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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菅原家一行は竹芝寺にどのくらい滞在したか?

平安時代の竹芝寺は宿泊施設でもあった



 一行が竹芝寺に宿泊したことは間違いない。でなければ竹芝伝説のような話をゆっくり聞いて書き取る暇は無かっただろう。現在の済海寺の場所(東京都港区三田4丁目)にあったと思われる竹芝寺の規模であるが、これは伝説の末尾で『宮様が亡くなった後、その内裏のごとく作った家を寺にした』、それが竹芝寺だというのだから、当時としてはかなり大きな建物であったことが想像される。菅原家一行も上総を出て以来、まともなところには泊まっていなかったので、やっと、ゆっくりした気分になったのではないだろうか。久しぶりに身体を洗い清め、着替えたりしてくつろいだと思う。これは伴の者達も思いは同じだから、おそらくここで一日くらいは逗留したのではないだろうか。この寺はおそらく、こうした一行の常宿となっていたことで維持されていたのであろう。位置的には古奥州街道に面していたと考えられるから、馬の調達や必要物資の供給を行う、江戸時代でいえば立場的役割を持っていたことが考えられる。もっとも仮にそうでも規模は細々としたもので組織的な業態には程遠かったであろう。

 

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