更級日記の東海道の旅をもとに平安時代の古地形や文献で平安時代日本を再現
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三河国鎌倉街道(国府から岡崎まで)

三河国府から矢作河畔に到る区間は鎌倉街道と近世東海道がほとんど一致しない。その理由は急峻ではないが両側から山が迫る”地峡”を通過することによるものである。地峡の底には沢が流れたり、湿地帯があり著しく通行困難であった。治水技術が進み江戸東海道の原型らしきルートが通行可能になったのは室町時代以降と言われる。それ以前は山に挟まれた地溝部には沢が流れていたため、旅人は水を避けて両脇の丘陵に上がるしかなかった。山裾あるいは中腹の起伏がゆるい部分が道となったが、出水でがけ崩れなどが起こればその都度ルートが変わり、時代ごとに街道は一定しなかった。ここでは尾藤卓夫氏の『平安鎌倉古道』の記述を参考に古道を推定した。

明治22年地形図にプロットした鎌倉街道推定ルート

(1)長沢から藤川まで


宮路山から下りると赤石神社前に出る。この付近は長沢と呼ばれる集落で、鎌倉時代以前には沢が流れる地峡地帯であったが、現在は国道1号線(東海道)と名鉄名古屋本線が通っている。『平安鎌倉古道』によると”古道は赤石神社境内から坂を下りたところに裏山に入る入口が目につく”とあるが、神社は一般人は立ち入りできない(2012年現在)ので、古道は確認できなかった。大正7年測図の御油二万五千分の一地形図を見ても、赤石神社から鉢地(はつち)に抜ける道は記載されていない。『平安鎌倉古道』によれば、その調査時点(昭和30から40年代)までは丘陵のヘリに沿って山中を抜ける道が残っていたようだ。古道は鉢地川の対岸に菩提院が見える辺りに出て川を渡ったらしい。いずれにせよこの区間は既に森林に戻り、令和の時代にはたどることができない。

菩提院から北西に向かい県営本宿住宅の間を抜け、円如ヶ入を経て、山綱町の方に下る。湯の里賀勝苑の北側が山綱駅家跡候補地である。ここから街道は東海中学校の校庭を抜けるが、歩く場合には周囲を迂回するしかない。次に青木神社を目指し南西に向かい、社前から傳道寺、山中小学校に到る。そこから西進して山中八幡宮下に着く。さらに西に進むとジェイテクトの工場敷地にぶつかるので、いったん江戸東海道に出ると、東町の信号から約100m程で左手に稱名寺の標識がある。その路地を奥に進むと、稱名寺本堂と隣接して明星院がある。両寺院を分ける路地が市場町と藤川町の町境であり、ここが鎌倉街道筋でもある。そこから江戸東海道に戻り、山綱川、国道1号線を渡って次の目標、関山神社に向かう。

<関連寺社>

赤石神社:愛知県豊川市長沢町日焼53

菩提院:愛知県岡崎市鉢地(はつち)町寺前28

神明社:愛知県岡崎市鉢地町高山下2

湯の里賀勝苑跡(2011年閉苑):愛知県岡崎市字中野5-129

岡崎市立東海中学校:愛知県岡崎市字中柴51

青木神社:愛知県岡崎市嶋沢46

(株)ジェイテクト岡崎工場:愛知県岡崎市市場町字桐山8

傳道寺:愛知県岡崎市山綱町字下屋敷62-1

明星院:愛知県岡崎市市場町元神山6、17、24

稱名寺:愛知県岡崎市藤川町字中町南2



(2)藤川から美合


稱名寺の路地から江戸東海道に戻り、高札場の先にある小林商店脇の路地を進み、川に出て1号線を越える。関山神社の前の道が鎌倉街道である。しかし舗装道路はすぐ途絶える。既に廃業したパン屋さんスリジェの脇から1号線に出て川沿いに歩くと三河高校入口の橋がある。橋を渡ると川沿いに小径があるのでこれを辿る。駒の爪はこの道の脇にある筈?(未確認)。消えかかりそうな小径を辿り舗装道路を越えると宝塔寺に着く。さらに北西に進み船山神社を目指す。船山神社周辺には既に廃寺となった恵源寺など、往時には宗教施設が集落を形成していたという。美合小学校の裏を通り川に出て橋を渡り美合交差点に出る。流れは度々変わっているので、実際に川を渡った場所はわからない。

<関連寺社>

関山神社:愛知県岡崎市藤川町字王子ヶ入14

宝塔寺:愛知県岡崎市字前波28

船山神社:愛知県岡崎市岡町船山13

美合小学校:愛知県岡崎市岡町南石原30



(3)美合から矢作渡


美合から丘陵を現在の東岡崎駅の方に、ぐるっと迂回し六名を南下、現在の東海道線の鉄橋辺りにあったといわれる矢作渡しに到る。美合から直接丘陵を西に横断し渡し場に出れば距離が短縮される。しかし当時の自然地形では藪こぎをしながら山を越え、丘を下りたら湿地があり道のりは長くとも丘陵の裾を迂回したほうが、労力は少なくなると想像される。この区間で検討すべき点は美合から現・名鉄東岡崎駅までの具体的ルートと、矢作川の渡しが江戸東海道の矢作橋の位置ではなく、ずっと下流域に置かれていた理由である。


①美合から東岡崎まで


この区間の経由地について確たる文献情報はない。尾藤卓夫氏は『平安鎌倉古道』で美合から生田(しょうだ)、仁田を経て大西(神殿)に向かうという説を紹介している。大正9年測図の2.5万分の1地形図にその位置を示す。

この生田は現在の美合町生田屋敷(標高24m)ではなく日吉神社の西の美合町生田である。この辺りは地形図に見るように丘陵の裾であり沿道に日吉神社が位置する。確証はないが古道の条件を満たしている。地形図に示すように丘陵の縁を辿り仁田の辺りで、現在の名鉄名古屋本線にぶつかる。丘陵を辿る道は大正9年の地形図には記載されているが、現在の地図に対応する道路はなく、代わりに名鉄の線路がある。つまり、どういう経緯か古道が鉄道用地として買収されたのである。その結果、男川(おとがわ)駅から東岡崎駅まで2㎞ほどは鉄道でたどる鎌倉街道となる。仁田(現在の男川駅近く)から先は、そのまま名鉄線の経路で東岡崎に到るルートが自然だが、下の引用に示すように尾藤氏は古老の意見として山中を抜け妙大寺に至るルートを紹介している。ただ、このルートは、丘陵自体が大規模宅地開発により全く地形が変わり、現在は古道の跡をたどることはできない。前掲、地形図に緑線で示す小径に往時をしのぶのみである。一般的に言えば名鉄線ルートが丘陵の裾で見晴らしがよく、鎌倉街道の条件によく合致する。もちろん、もう一つのルートも主道が通れないときには抜け道となったであろう。

ページ末に鎌倉街道推定ルートを走る名鉄名古屋本線、美合駅から東岡崎駅区間の動画を掲載した。

<関連寺社>

地蔵寺:愛知県岡崎市美合町字西屋敷45

日吉神社:愛知県岡崎市美合町字西屋敷150

天理教今道分教会信者会館:愛知県岡崎市美合町生田4-2(歴史的施設ではない、単なる地理的目印)

生田屋敷(生田城跡):愛知県岡崎市美合町生田屋敷65(この辺りは水田地帯)

萬燈山吉祥院:岡崎市明大寺町字仲ヶ入38-30(注.吉祥院は明治44年、この地に移転してきたもので歴史的古刹ではない)

<以下参考引用>(尾藤卓夫、『平安鎌倉古道』p.226(中日出版社))

   『仁田から丘陵へ上がり、ほぼ名鉄本線に沿って二百メートル、大西向山で鉄道を渡り南西へ上り坂を十分で二俣(地名)に出る。

 一説には鉄道沿いに万灯山(吉祥院)までの直線状の道を古道とする説があるが、古老の話では作手街道の延長で大正十四年鉄道敷設以前は南から北へ傾斜が強く、一度大雨でも降れば到底安定した道ではなかったとの話に加えてとの話に加えて、ここ向山から南西は明大寺に通ずる道が一本だけ、人ひとり歩けるほどの道があった。

    十二、三年までは道影もあったが、現在は広大な竜美ヶ丘団地で推定せんさえ困難であるが、強いて推定が許されるならば、二俣、森の旧地名から野鳥の森の北をかすめて、問屋団地西入口と仕出し屋の間を左へ曲げ、信号も右へ振って、ほぼ直線上に北西へ向う。もちろんこの推定線上は古道を立証できるものは見当たらないが、明大寺へ向かう向かう昔からの山中の唯一の道で、小さな谷の上を桂馬の形で、大きな三つの池のヘリを伝って行ったとの話など地理的に、距離的に無理のない線であると考えられる。

 信号から約五百メートル、右側の三島小学校と左側の県立岡崎高校の間の道は小豆坂、馬頭、桑谷から藤川へ出る別の鎌倉街道と合流している道でもある。

 県立高校の北から左へ曲がって次の信号の手前を右に坂を下るあたりは「伝馬」あるいは「鎌倉伝馬」とも伝えられる古地名で有力な立証店である。そして伝馬の西が、今は廃寺となった明大寺跡である。』

以上引用終わり



②東岡崎から矢作(やはぎ)渡し


名鉄東岡崎駅の辺りは明大寺(みょうだいじ)町といわれ、古く鎌倉時代には矢作東宿という宿駅であった。また源義経と浄瑠璃姫ゆかりの妙大寺があったといわれ、この故事から明大寺という地名が残る。鎌倉街道はここから南に向かい現在東海道線の鉄橋がある辺りで矢作河畔に出る。妙大寺は既に廃絶しているが義経の念持仏であった十一面観音が現在の安心院に伝えられているという。路地をたどり竜海院、金剛寺、諸神神明宮を参拝し熊野神社前に出る。南に向かい重幸寺、間宮神社を経て矢作川、東海道本線鉄橋前に出る。

 矢作川の流域は時代により変遷しているため渡し場は、その流路の影響を受けるが、鎌倉時代以前の矢作川流域の地形は明らかでない。根拠は明らかでないが、尾藤卓男氏は武田勇氏の「条里前における矢作川流形」という概念図を基に流域の推定を行っている。
江戸時代の東海道は岡崎城が大平川(男川)の北岸に在ることもあり、矢作川の上流を渡る。鎌倉街道が下流域で渡河する理由として矢作川と大平川が合流して流れが一つになる点、すなわち現在のJR東海道線の鉄橋辺りで渡れば一回の渡船で済むためとされているが、地質的に六名台地が安定した場所であったことにもよる。

矢作川中世流路推定図
以下に「岡崎市の土地と震災対応」というホームページから岡崎市周辺の地質を示す。岡崎市西部矢作川沿岸部は沖積層で柔らかい地質であるが、六名台地部分がしっかりした台地として矢作川に面している。



<関連寺社住所>

安心院:岡崎市明大寺町字馬場東54

竜海院:岡崎市明大寺町西郷34-1

金剛寺:岡崎市明大寺町西郷中12

両神(もろかみ)神明社(諸神神明宮):岡崎市明大寺町諸神3

熊野神社:岡崎市久後先町郷西

重幸寺:岡崎市上六名2-2-1

間宮神社:岡崎市間宮町5

今御堂:
天白神社:岡崎市天白町吉原85

かつての鎌倉街道上を走る名鉄線の動画です

 

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