平安時代女性の洗髪
平安時代貴族の女性は髪を長く伸ばしていて、これはステイタスシンボルでもあった。この優雅な髪もきちんと手入れされていれば流麗であるが、洗髪しなければ脂や埃で汚れ異臭を放ち不潔極まりないものになる。ではあの長い髪をどのように洗髪したのか、平安文学にその事例を見てみたい。とはいえ平安文学の読者対象は社会のほんの一部の上層階級であり、下世話なことはあまり書かれていない。その中で『うつほ物語』は宮廷物語であることは同じだが、生活に関する具体的なこと、下々の様子なども書き込まれている。この作者とは一体誰なのだろうという疑問が湧いてくるが、それはおき、洗髪のやり方を見てみたい。
(1)洗髪の場
平安女性の長髪は長さが半端でないので普通の盥(たらい)には収まらない。そこで庶民はタイトル画像のように川に入り、流れに髪を流すようにして洗ったようだ。庶民だけでなく貴族も七夕のような節句には賀茂川に桟敷をもうけて、洗髪を行っている(資料.1)。寒い季節にはそうもいかないので、屋内で洗髪することになるが、これは大変な作業で、丸一日かかる大仕事であった。
(2)洗髪の実際
まず水洗いする。次に泔(ゆす)るという作業がある。これは米のとぎ汁などをかけて櫛けづりながら脂分を除去する。この時艶出しの樹液等を使用したかもしれない。その後、水拭きする。問題は髪の乾燥である。盛夏である七夕の節句に屋外で行う洗髪なら自然乾燥もあっただろう。それ以外の季節に行う洗髪では火鉢に火を起こして乾かす必要があった。(資料.2)
髪の長さは身長にもよろうが、以下の資料例では130~140cmもあろうかと思われる。すべての女性がこんなに長い髪をしていたら、洗髪どころか生活や仕事に支障をきたす。絵巻を見れば長者の家族は長い髪であるが、庶民の場合、腰程度か、もっと短い例もみられる。
(3)旅の女性の洗髪
文献を知らないので、想像の域を出ないが、殆ど洗髪はできなかったのではないだろうか。せいぜい拭きながら梳(くしけず)る程度と想像される。
参考文献
日本古典文学大系『うつほ物語』二、p.216、p.377(岩波書店)
<資料1.藤原の君>p.216
七月七日になりぬ。賀茂の川に御髪すましに、大宮より初め奉りて、小君たちまで出で給へり。賀茂の川邊(ほとり)に桟敷うちて、男君達おはしまさうず。
その日の節供、川原にまゐれり。君達御髪すましはてて、御琴しらべて、七夕に奉り給ふほどに、春宮より大宮の御もとに、かく聞え給へり。
思ひきや我待つ人はよそながら 七夕つめのあふを見んとは
今日さへ羨ましく、嫉(ねた)くこそおぼゆれ
現代語訳<藤原の君>
こうして七月七日になりました。賀茂川に髪を洗うために、大宮様から幼い小君たち迄お出ましになりました。賀茂の川邊に桟敷をしつらえ、男君達はおられません。その日の節句のお膳は河原で差し上げました。皆さまが洗髪を終えられると、琴を弾かれて七夕(たなばた)に奉納されているときに、春宮(とうぐう)から大宮様の許に、次のようにおっしゃられてきました。
思ひきや我待つ人はよそながら 七夕つめのあふを見んとは
(思いもしなかったよ。私が待っている人がよそで七夕姫の逢瀬をみているとは)
今日程羨ましく妬ましく思ったことはありません。
<資料2.蔵開 中>p.377
宮つとめてより暮るゝまで御髪(みぐし)すます。御泔(みゆする)度々して御許(もと)人並ゐて参る。すまし果てて高き厨子の上に御褥(しとね)敷きて乾し給ふ。女御の君の御前にあたりて、廂に横様に立てたる御厨子なりや。母屋の御簾を上げて御帳立てたり。宮の御前には御火桶据えて、火起こして薫物どもくべて焼き匂はして、御髪炙り、拭ひ集まりて、仕うまつる。「こなたに渡り給ひて、乾させ給へ」と、大殿聞え給へば、女御の君「かうの給ふなるを、あなたにて乾し給へかし」宮「何か、今乾し果てて」との給ふ。右近の乳母といふ「乾し果てさせ給ひてこそ、渡らせ給へらめ。たゞ大殿籠りなば、御髪にたはつきなんず。御産屋のその日の中だに入臥し給ひし御心は、御髪ばかりには障り給ひなんや」宮「なにごとを。物ないひそ」との給ふ程に、大将の君の直衣着て、中の戸を押し開けて、女御の御前に突居給ふ程に、右の大臣もおはしたり。宮あらはなれば、御屏風取り出て立つれば「何か、いとよかめるものを。さてとく乾させ給へ。彼方にも御厨子多く侍るものを」などて、…
(中略)
女御君「御髪は乾給ひぬや。早渡り給へ」とて奥へ入り給へば、大将、御屏風押し開けて見給へば、宮は、濃き袿の御衣にあからかなるに、きけつきたる織物の細名が引き重ねて奉りて、白き御衣引きかけて御髪は少し湿りて、四尺の御厨子より多く打ち延へて、ようじかけたると見ゆ。
現代語訳<蔵開 中>
宮様は早朝から日が暮れるまで洗髪されます。泔(ゆすり)を何度もやるので何人も並んでご奉仕しました。洗髪を終わると高さのある厨子の上に布団を敷いて乾されました。女御の君の(お部屋)の(中庭をはさみ)御向かいにあたる廂(ひさし)に横向きに置かれていた厨子です。母屋の御簾を上げて衝立(御帳)を立てます。宮の御前には火鉢を置いて火をおこし、香料などをくべて焼き、匂いを上げ髪をあぶり集まって拭きました。
「こちらに来られて乾かしなされ」と、大殿がおっしゃると、女御の君も
「ああおっしゃっているのだから、あちらで乾かされたらいいのに」
宮「何で、今乾かしてしまってから(参ります)」とおっしゃる。
右近の乳母というのが「乾いてしまってから、いらっしゃいますよ。お寝みになるだけでも御髪は絡まってしまいます。お産の日のうちですら入ってお眠みになるようなお心では、御髪には困ったことが起こります」
宮「何てこと云うの。黙っていて」とおっしゃっている時に、直衣を着た大将の君が中の戸を押し開け、女御の御前に片膝をついていらっしゃると、右の大臣(おとど)もいらっしゃった。宮様が丸見えなので屏風を取り出して立てると
「どうってことないのに。さあ、早くお乾かしなされ。あちらにも厨子はたくさんありますものを」などいって、…
中略
女御の君「御髪は乾かされましたか。早くいらっしゃい」といって奥に入られると、大将、屏風を押し開けて見られると、宮は濃い紫の袿(うちぎ)に黄っぽい織物で作った長引を重ねその上に白い着物をかけられているのですが、御髪は少し湿っていて、四尺の厨子より沢山はみだし、艶々としていました。