平安時代には旅の間に夜間どういう照明を使ったか
たいまつ(松明)は平安時代には唯一の屋外照明であった
野山を旅をするうえで必ず必要なものは、照明である。なるべく照明の必要がないよう夜明けとともに出発し、日暮れまでに所用を済ませて寝るというのが原則だが、どうしても夜道を歩いたり、作業をしなくてはならないことはある。その場合使われたのが”松明(たいまつ)”である。
松明は松の枝そのものではなく、松の脂の多い部分を細く割り、束ねたものであるという。こうすることで、空気の通りを良くし燃焼しやすくなるよう工夫されていた。これにしても1束の燃焼時間が限られるため、あらかじめ多くの松明を用意しておかなければならなかった。
画像は「長谷雄草紙」から
これについて民俗学者、宮本常一氏の解説を紹介する。
まず「長谷雄草紙」には「続松」が描かれている。続松は松明とも書き、松の脂の多い部分を割って細くし、それを束にしたものである。これを長くつないで、時間を長くもたせるようにしたものを特に続松といったのではないかと思う。油燈や電燈の出現するまで、夜の闇は深かったもので、夜間外出しようとする者は必ず松明に点火してそれを持って歩いたが、それでも蝋燭やランプのように長持ちはしないので、「伴大納言絵詞」には松明を背負って歩いている男の姿がある。また、夜間に貴族や検非違使の役人たちが出歩くときは火長とよばれるものが、行列の先頭を歩いた。これも「伴大納言絵詞」の中に見えている。ただし、同絵詞には一人しか描かれていないが、正しくは二人で道の両側から火をかざすのがきまりであったといわれる。「長谷雄草紙」には二人が火をかざしている。しかし、民間の場合は火を持つ者はたいてい一人であったようで、「一遍聖絵」の中に覚順が因幡堂へ一遍を訪ねていくところでは少年が松明を持って先導している。
「松崎天神絵巻」にみえる松明は背丈ほどもあるもので、これは片手では持てないから両手で抱きかかえるようにするか、かつぐ場合もあったのではないかと思われ、こういうものが続松といわれるものであろう。
日本絵巻大成、月報9(中央公論社、昭和52年10月)